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訳者 | 宮原晃一郎(みやはら・こういちろう、1882~1945) |
一言でいうと | ノルウェーのノーベル文学賞作家ハムスンほか、多くの北欧文学、英文学、ロシア文学、フランス文学を翻訳。「我は海の子」の作詞者 |
解説 | 日本語に訳された北欧文学は、児童文学の割合が圧倒的に高いのですが、ノルウェーのノーベル文学賞作家クヌート・ハムスンとシグリッド・ウンセット、スウェーデンの劇作家アウグスト・ストリンドベルイなど、大人向けの作品を多く訳した翻訳者の一人が宮原晃一郎。北欧文学のみならず、トルストイやユーゴ―など、各国語の文学を手広く訳しています。なんと、「我は海の子」の作詞者でもあります。
宮原は、1882年鹿児島市加治屋町生まれ。西郷隆盛と大久保利通が住んでいた地域だそうです。幼少期に父の仕事で札幌に引っ越し、高等小学校卒業後、鉄道運輸の事務につきます。20歳でキリスト教の洗礼を受けて牧師から英語を学び、キリスト教系の小樽新聞(後、他の多くの新聞社とともに「北海道新聞」に合併)に転職します。その傍ら、文学と外国語を研究し、北欧文学を含む各国文学を翻訳。「海の子」(「我は海の子」)は、文部省(当時)の新体詩懸賞募集に応募し、当選したものです。現在は3番までしか知られていませんが、実際には7番まであり、最後は軍艦に乗り込んで「海の国」を守りに太平洋(?)に繰り出します。
宮原の功績は、当時、ドイツ語からの重訳で人気を博していたクヌート・ハムスン(1859~1952)を初めてノルウェー語から訳したこと。ハムスンは、現在の日本ではほとんど知られていませんが、1920年にノーベル文学賞を受賞したノルウェーの作家です。ラーゲルレーヴと同じ「北欧90年代文学」の作家で、ナチズムに協力したことで、戦後、ノルウェーで裁判にかけられ、有罪判決を受けます。その後は顧みられることが少なくなりましたが、現在は再評価が進んでいます。『飢え』(1890)は都市クリスチャニア(現オスロ)を舞台に、作家志望の青年の困窮を書いた小説。『土の恵み』(1917)は勤勉な農民を描いたノーベル文学賞受賞対象作。いずれも宮原による翻訳があります。
宮原が『ふたりの母・瀬戸人形』(「ノーベル賞文学叢書」、今日の問題社、1940)を訳したシグリッド・ウンセット(1882~1942)は、デンマーク生まれ、ノルウェー育ちで、1928年にノーベル文学賞を受賞。代表作『クリスティン・ラブランスダター』は中世のノルウェーを舞台に一人の女性の生涯を描いた大河小説。邦訳は、『花嫁の冠』(矢崎源九郎訳、中央公論社、1966)、「十字架」(山室静
・林穣二訳、『キリスト教文学の世界』所収、主婦の友社、1978)など部分訳があります。
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主な著書・訳書 |
・『北欧近代短篇集』、白水社、1939
・ハムスン『土の恵み』石賀修訳、三笠書房、1939/40
・ハムスン『飢え』、角川文庫、1956
・ウンセット『ふたりの母・瀬戸人形』(ノーベル賞文学叢書 第1)、今日の問題社、1942
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リンク |
・吉田藤人「『我は海の子』の作詞者」(『高等商船学校五期生会誌』2004年8月投稿)
宮原の経歴についての記述の多くは、このページを参照して書きました。
【追記】2014年9月12日に上記記事が掲載されていた「仙台陸軍幼年学校48期生HP」は閉鎖されましたが、吉田藤人さんのご厚意により、当
ホームページ内で宮原に関する記事を掲載することとなりました。10年余にわたるホームページ運営に敬意を表しますとともに、宮原に関する情報の提供、当ホームページへの記事の転載にあたるご理解・ご協力に深く感謝いたします。
・「歴史が眠る多摩霊園」内宮原晃一郎
・北海道大学図書館HP内主要コレクション
宮原の英・露・北欧文学の蔵書約700冊を所蔵
・Amazon.co.jp内宮原晃一郎
Kindl版を無料でダウンロード可
・東京大学大学院人文社会系研究科留学生作文集『ぎんなん』(2011)掲載小論文 徐暁紅「日本におけるハムスン文学の受容」
宮原の翻訳の意義に触れられています
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