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訳者
平塚らいてう(ひらつか・らいちょう、1886~1971)
一言でいうと
日本の女性解放運動の代表格。スウェーデンの女性解放思想家エレン・ケイを思想の支柱とした。
解説
 日本の女性解放運動の草分け、平塚らいてうの女性解放思想には、スウェーデンの作家エレン・ケイが大きな影響を与えています。
 らいてうについては、既に色々な文献やサイトがありますので、詳しい経歴はここには書きませんが、大正期の日本の女性解放運動の中心となった人物です。1911年9月、平塚らいてうは4人の女性と共に、雑誌『青鞜』を創刊します。概則に「本社は女子の覚醒を促し、各自の天賦の特性を発揮せしめ、他日女流の天才を生まむ事を目的とす」とあるように、青鞜社は当初、女性の法的・政治的解放ではなく、女性に自己表現の場を提供することを目的とする文芸団体で、詩・小説・戯曲、外国文学の翻訳などが掲載されていました(この背景には、当時、女性の政治活動が禁じられていたため、女性が主催する政治雑誌が刊行できなかったこともあります)。『青鞜』は、創刊から一年ほどは女性の絶大な支持を受け、入会希望者があとを絶ちませんでしたが、度重なる発禁処分 や、社員の私生活に関する暴露記事から否定的な世論が形成され、社員は男性のように行動したがる「新しい女」と揶揄されるようになります。これを受けて脱退者が相次ぎ 、社の主宰する文芸研究会も中止に追い込まれる中、平塚らいてうらは、「新しい女」を自ら肯定的な意味で使い、女性を縛る社会的な制度そのものに目を向けるようになります。その過程でらいてうが着目したのが、スウェーデンのエレン・ケイ(Ellen Key, 1849-1926)でした 。
 エレン・ケイは、スウェーデンの女性解放運動家フレドリカ・ブレーメル(Fredrika Bremer, 1801-65)が、男女の絶対的な同権を主張したのに対し、女性が家庭において母親として果たす、子どもを生み育てる役割の評価を求め、自ら女学校の教壇に立つ傍ら、活発な文筆活動を通して、スウェーデンの女子教育・児童教育の発展に尽くした思想家です。19世紀末、イギリス、アメリカで、従来の書物中心教育を批判し、児童の自主性・主体性を重んじる「新教育(New Education)」運動が始まり、第一次世界大戦期にかけて、欧米諸国、インド、中国などに広まりますが、その論理的支柱の一つとなったのが、ケイの代表作『児童の世紀』(Barnets århundrade, 1900)でした。「新教育運動」は、大正期の日本にも波及し、大正デモクラシーの風潮にも押されて、教師中心の「注入主義」を廃し、子ども中心の「新教育」を目指す「大正自由教育運動」へと展開しました。
 『青鞜』では、1913年の新年号で、女性問題の特集が組まれますが、この時、平塚らいてうは、エレン・ケイ『恋愛と結婚』(Livslinjer I. Kärleken och äktenskapet, 1904)の翻訳を連載し始めます。また、メンバーの伊藤野枝(1895-1923)が『恋愛と道徳』の翻訳 、山田わか(1978-1957) がケイの主著『児童の世紀』の翻訳を連載しました。いずれも、英語からの重訳でした。『恋愛と結婚』および『児童の世紀』の翻訳は、『青鞜』の無期休刊により、完結しないままとなりますが、『青鞜』の活動は、女性問題への関心を高め 、大正デモクラシー期の女性解放運動へと引き継がれていきます。
 ケイの主張の一つに、優生学を背景とした「母性の保護」があります。その後展開された、平塚らいてうや山田わかの政治的な女性解放運動にも、ケイの影響は色濃く表れていました。らいてうや山田わかは、女性は男性からも国家からも独立するべきだと主張する与謝野晶子に対して、妊娠・出産・育児期の女性を国家が保護すべきだと主張しています(母性保護論争)。その後、らいてうは、市川房枝らとともに「新婦人協会」を発足し、女性の政治活動を制限する治安警察法の改正、女性参政権、国家による母子の保護などを求めて活動、山田わかは、1934年に母性保護法制定促進婦人連盟(後の母性保護連盟)の初代委員長に就任、1937年の「母子保護法」の成立に貢献しました。
主な訳書・参考文献
・ケイ著・平塚らいてう訳「恋愛と結婚」(大正2(1913)年1月・2月・6月・7月号)、「性的道徳発展の過程」(同年8月号)、「恋愛の進化」(同年9月・10月号)、「男女恋愛の差別」(大正3(1914)年5月号)、「恋愛の自由」(同年6月・7月・8月・10月号)、「母権」(同年12月号)、『青鞜復刻版』所収、不二出版、1983
・伊藤野枝訳「恋愛と道徳」(大正2年5月)、同上
・山田わか訳「児童の世紀」(大正4(1915)年7月・10月・11月・12月号、1916年1月・2月号)、同上
・エレン・ケイ『児童の世紀』小野寺信・小野寺百合子訳、冨山房、1979
・米田佐代子『平塚らいてう―近代日本のデモクラシーとジェンダー』吉川弘文館、2002
・米本昌平他『優生学と人間社会』、講談社現代新書、2000
※日本におけるケイの受容には触れていませんが、日本と北欧を含む各地域の優生学思想の展開について、一章を割いて説明されています
リンク
NPO法人平塚らいてうの会
・市野川容孝 福祉国家の優生学 ―スウェーデンの強制不妊手術と日本― (『世界』1999年5月号所収、岩波書店)の記事
・スウェーデンのエレン・ケイ博物館公式HP(スウェーデン語)