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「”言葉”が彩る新しい世界へ」取材こぼれ話10選・10
単語
Lycka till!
発音
リュッカ・ティル
意味
いいことたくさんありますように
文法
lycka(名詞)は、「幸運」「幸福」
tillは、前置詞だと「~へ」(英語のtoに相当)、副詞だと「加えて」「さらに」
解説
 最後は「わたしの好きなスウェーデン語」ということで、Lycka tillをとりあげます。
 この言葉に初めて接したのは2007年、ドイツ・ドレスデンの語学学校でした。その語学学校にはスウェーデン人がいました。クラスが違ったので最終日のパーティで初めて話したのですが、わたしがスウェーデン文学の研究をしていると言うと、とても喜んでくれました。当時はまだスマホやLINEはなく、手帳にメールアドレスを書き合って連絡先を交換したのですが、そのスウェーデン人は自分の名前、アドレスとともに、大きな字でLycka till!と書いてくれました。スウェーデン語会話の基礎的な表現ですが、わたしは知らなくて、スウェーデン人に意味をたずねたのを覚えています。「今から何かする人にかける言葉だ」ということで、それがドイツ語ではViel Erfolg!であることは、わたしがスウェーデン人に教えました。スウェーデン人は、わたしがその言葉を知らないことに少しびっくりしたようでした。わたしはそのころ、スウェーデン語を独習してスウェーデン文学に関する博士論文を執筆中でした。しかし、研究対象は100年前の文学。日常生活で使われる語彙を、わたしはほとんど知りませんでした。今ではそのスウェーデン人の名前は忘れてしまいましたが、初めて会ったわたしのメモ帳に、そのような言葉を書いてくれたことがとても嬉しかったです。
 さて、Lycka till自体はそこまで深い意味で使われる言葉ではなく、これから何かにとりかかる人(たとえば博士論文の執筆)に対し、その取り組みがうまくいくように、というニュアンスで、日本語なら「頑張ってね」と言うシチュエーションで使われます。ドイツ語のViel Erfolgは直訳すると「たくさんの成功」なので、その取り組みが成功するように、という願いになると思います。ただ、lyckaというスウェーデン語の持つニュアンスは、日本語の「頑張る(努力)」やドイツ語の「成功(Erfolg)」とは違います。『スウェーデン語辞典』には、「幸福」「幸運」「つき」「成功」「繁栄」という訳が載っています。英語のLuck(形容詞形はlucky)やドイツ語のGlück(形容詞形はglücklich)と同語源なのですが、『小学館独和大辞典』のGlückの項目には「1.幸運」「2.幸福、幸せ」の意味が載り、古形として中世のg(e)lücke(意味はGeschick/運命、めぐりあわせ)を挙げています。これらを考えると、lyckaは、「幸せと感じること」のみならず、「運がいい」という感覚がまずあって、「運がいいので恵まれている、幸せと感じる」という順序での「幸せ」ということになります。逆に英語のluckyも、日本語の「ラッキー」よりもう少し広い範囲を網羅しているのかもしれません。
 「北欧」は「幸せ」なイメージと結びつくことが多く、その根拠の一つはおそらく、「世界幸福度ランキング」です。スウェーデンでは、このランキングを英語のままWorld Happiness Reportと呼んでいますが、その説明にはlyckligという言葉が使われています。lyckligは、luckyと同語源ですが、happyのスウェーデン語訳としても使用されるということになります。わたしは、幸福度ランキングは胡散臭いと思っていて、一番の理由は、西欧中心の価値観で世界の様々な文化や考え方をランク付けする「幸福度」という考え方そのものが植民地主義的な発想だからなのですが、それに加え、言語に着目して見ると、「happyに当たる単語がそもそもどのようなニュアンスを持つのか」「その単語がどのような場面で使われるのか」は言語によって違います。仮にスウェーデン人の大半が自分たちをlyckligだと感じているとしても、その人たちが日本語で言うところの「幸せ」であるとは限らない気がします。
 スウェーデンは「福祉国家」として知られています。「福祉」という言葉にも「幸福」の「福」が入るので、「福祉国家」という制度も「みんなが幸福な国」というイメージの形成に少なからず関与しているように思います。しかし「福祉」に相当するスウェーデン語はsocialbidrag(社会貢献)で、lyckligやlyckaという語は使われていません。スウェーデンの映画や文学を通じて、わたしがよく感じるのは、善意と努力に対する諦念です。「本当に困ったときには、人は人を助けない」「困った状況を変えるのは思いではなく力である」「「力」は財力だったり、権力だったり、体力だったり、知力だったり、行動力だったりするが、最低限の財力や権力がなければ体力や知力や行動力は発揮できない」という現状認識です。論理的な根拠があるわけではないのですが、福祉国家では、善意と努力が機能しない状況に陥ったときの自分や人を見たくないので、そうした状況が発生しないように制度を整える、というのがわたしの仮説です。善意と努力を信じないからこそ、それらを必要としない制度を整え、その中で安心して正義感や親切心を発揮できる社会。わたしにはその社会は、善意と努力を前提にし、人にはその発揮を強要するが、実際にそのようにふるまった者は搾取されるような社会よりも、少しだけましな社会に見えます。
 Lycka till!という言い方は、上記のような諦念の中で、他人の「幸せ」を願う言葉と受け止めています。努力だけでどうにかしろというのでもなく、必ずしも成功を求めるわけでもなく、ままならないこともたくさんある中で、幸多かれ、運があなたに向いてくるように、その運をつかむべく努力して、その結果として成功するといいね、という言葉。この連載の締めくくりとして、新たなスタートを切る人たちに贈りたいと思います。
参考文献
参考URL
関連業績
・マリット・テルンクヴィスト『幸せの島』(未邦訳)Marit Törnqvist: Den lyckliga ön. , Rabén & Sjögren, 2019
原書はオランダ語Het gelukkige eilandで、原書著者が自分でスウェーデン語訳しています。水平線を目指して船で進んでいく少女が、最後に「幸せの島」を見つける話。