「”言葉”が彩る新しい世界へ」取材こぼれ話10選・6 |
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単語 | tass |
発音 | タス |
意味 |
動物の前足 |
文法 |
「動物の前足」を表す名詞。「動物の後足」はbakben。
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解説 |
フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語です。現在のフィンランドにはスウェーデン語を母語とする「フィンランド・スウェーデン人」(Finlandssvenskar/通常「スウェーデン語系フィンランド人」と訳される)が5.5%います。『ムーミン』の作者トーベ・ヤンソンもその一人。その背景については関連論文を読んでいただくとして、スウェーデン語で『ムーミンパパ海へ行く』(原題Pappan och havet/パパと海)を読んだときにぶったまげた表現があります。
ママは彼らをちらりと見て、壁画のところへ行きました。彼女は両前足をりんごの木に押しつけました。何も起こりませんでした。
Mamman gav dem en hastig blick och gick fram till sin väggmålning. Hon pressade tassarna mot äppelträdets stam. Ingenting hände.
(Pappan och havet, s.194/小野寺訳285-286頁)
tassarnaを知らなかったので、原型tassを『スウェーデン語辞典』で調べてみたところ、「(犬、猫などの)手、足。《口》(人の)手」とありました。念のためスウェーデン語・ドイツ語辞典も見てみると、tassに相当するドイツ語はPfote(動物の前足、特に先端に近い部分)でした。わたしがこれまで人間の手(hand)のように認識していたムーミンママの手は「動物の前足」である――つまり、ムーミンは「動物」であること。スウェーデン語やドイツ語では「人間の手」と「動物の手」を区別すること。これは、『ムーミン』のみならず、ゲルマン諸語における「人間」「動物」の概念を考えるうえでも重要なポイントだと思いました。
とはいえ、tassは、口語では「人間の手」を表すこともある。もしかするとヤンソンは、「動物の手」ではなく、口語の「人間の手」のつもりでtassという語を選んだのかもしれません。『ムーミン』シリーズの中でわたしの好きな作品に、「目に見えない子」(短編集『ムーミン谷の仲間たち』)があります。おばさんにいじめられて姿の見えなくなった少女ニンニが姿を取り戻す過程で、最初に見えるようになるのが「爪先」「両足」です。動物的な見た目のムーミンママと違い、ニンニは、スナフキンやミイのように人間に近い見た目で服も着ています。この場面はどう書かれているのでしょう?
Det var tassarna.
Ninnis tassar som kom klivande nerför trappan, mycket små och med ängsliga små tår som höll sig tätt intill varandra. Det var bara tassarna som
syntes och det såg hemskt ut.
それは両後足でした。
ニンニの両後足は、すたすたと階段を下ってきます。とても小さな後足で、不安なほどに小さな爪先がついていて、その爪先はお互いに近い距離を保っています。見えているのは両後足だけで、その様子はとても奇妙に見えました。
人間らしく見えるニンニも、やっぱり足は「動物の後足」なんですね。ニンニの全身が見えるラストシーンでもニンニの足は鳥の足のようになっています。ニンニをムーミン一家のところに連れてくるおしゃまさん(スウェーデン語版では Too-ticki/トゥー=ティッキ)は、ヤンソンのパートナーのトゥーリッキ・ピエティラ(Tuulikki Pietilä)をモデルにしています。ヤンソンが描くピエティラとおしゃまさんはそっくりなのですが、足の形だけ異なり、おしゃまさんは鳥のような足です。スナフキンやミイは靴を履いているので足の形は不明ですが、ミイやミムラ姉さんの手は、やっぱり鳥の足みたいな形です。(著作権に配慮して画像は載せませんので、各キャラクターの画像はリンク先=公式サイトのキャラクター紹介からご覧ください)
ただし、『ムーミン』の登場人物たちを表す人称代名詞は、人間にしか使わないhan(彼)やhon(彼女)です。彼ら、彼女らが何者かを論じるためには、おそらく本を一冊書く必要がありますが、「手足」と人称代名詞からだけ結論を出すとすれば、動物の身体を持ち、人間として扱われる、動物でも人間でもない存在なのだと思います。
話題としてはこれで終わりなのですが、せっかくなので、北欧で撮影した動物の写真を貼っておきます。たくさんのtassをご堪能ください!
▲ストックホルムには、スウェーデン各地の建物を移築したテーマパーク「スカンセン」があります。ここではスウェーデン特有の動物を中心にさまざまな動物を見ることができます。第一弾は柵がないところにいて、普通に道を歩いていた動物と鳥。熊はさすがにガラスの向こうでしたが、スペースの関係でこちらに。
▲スカンセンの動物第二段、家畜編。
▲スカンセンの動物第三段、野生動物編。
▲生活圏の中にいる動物たち。
▲街なかにいる鳥たち。右下の鳩は排水溝に集まり、暖を取っています。
▲白鳥は夏も冬も見かけます。
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参考文献 参考URL 関連業績 |
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