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日本語版 | 大塚勇三訳『はるかな国の兄弟』(リンドグレーン作品集)(岩波書店、1982)ISBN:9784001150786
同(岩波少年文庫)(岩波書店、2001)ISBN:9784001140853 |
スウェーデン語版 | Astrid Lindgren: Bröderna Lejonhjärta, Stockholm (Raben och Sjögren),2013(レヨンイェッタ兄弟) ISBN:9789129688313
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作品紹介 |
リンドグレーン屈指の名作。1973年に初版刊行。河合隼雄がプッシュしたこともあり、日本にもファンの多い作品です。
主人公&語り手は、病弱な少年クッキー(スウェーデン語ではSkorpanで、「ビスケットくず」などを意味しますが、嫌な意味はなく、愛称です)。ある時、自分の死期が近いことを知ってしまったクッキーは、兄ヨナタンに不安を打ち明けます。ヨナタンは、死ぬのは恐ろしいことではない、死後の世界「ナンギヤラ」はたき火とお話の世界で、そこでは病気も治って楽しく暮らせるし、健康な自分も老いて死んだらそこにいく、そして、時間の流れが違うので、長く待つこともないと語ります。しかし、実際にはヨナタンが先に死んでしまい、やがて病気でこの世を去ったクッキーは、ナンギヤラの「サクラ谷」でヨナタンと再会します。そこは、生前の予想通りたき火とお話の時代でしたが、独裁者テンギルがカトラという恐ろしい竜を使って近隣の「野バラ谷」を支配していました。ヨナタンとクッキーは、サクラ谷の指導者ソフィア率いる有志とともに野バラ谷を解放する戦いに身を投じます。
リンドグレーンはほかにも、『ミオよわたしのミオ』や「公子エーカのニルス」など、中世ヨーロッパ(風の場所)を舞台に悪との戦いを描いていますが、個人的には『はるかな国の兄弟』が群を抜いて面白いと思います。
この作品は、「児童文学における死の表象というタブーに挑戦した作品」とされることが多く、スウェーデンの書店に行くと、「死を考えよう」というコーナーに必ずおいてあります(そういうコーナーがあるところが、良くも悪くもスウェーデンと日本の違うところです)。『ニルスのふしぎな旅』(1906/1907)には、死の描写が結構あるので、この作品がどのような形でタブーに挑戦したのか、『ニルスのふしぎな旅』のころにはタブーでなかった死の描写がどのような経緯を経て1970年代までにタブーとなったのか、もしくは、主人公自身が死ぬということが新しい書き方であったのか、等、これから調べていきたいです。
わたしが中学生のころにこの作品を初めて読んだ時には、「死を描く」こと自体ではなく、「子どもが世界のために命を賭すべきか」ということがテーマであるように思いました。13歳のヨナタンや10歳のクッキーが世界のために命をかけて戦うというのは、子どもの視点からはそうするべきだと思うのですが、周りの大人たちが子どもを危険な任務に就かせるというのはどうなんだろう?命を賭して、より良い世界を子どものために残すのが大人の仕事なのではないかと思いました。ただ、この作品において、ヨナタンとクッキーの力なしに戦いに勝つことはできなかったのは事実です。世界のあり方が決まる大事な戦いで、負ければ子ども自身の将来がないという時に、子どもだからノータッチでいさせればそれでよいわけでもない。そんなことを考えた作品で、今も答えは出ていません。
上記の意味で、リンドグレーンは、「子どものために」ではなく「子どもの視点から」作品を書ける珍しい作家だと思います。大人として、もしくは研究者として『はるかな国の兄弟』を読んだ時に面白いのは2点。1点目は、当時の世界情勢=冷戦の反映です。独裁者が作る「壁」は、明らかにベルリンの壁をモチーフにしていますし、最後に殺しあう2頭の化け物カトラとカルムは冷戦の二大勢力の象徴とも言えそうです。リンドグレーンは、『長くつ下のピッピ』をはじめ社会風刺的な作品を多く執筆していますが、世界情勢への関心がはっきり分かるものはおそらくこの作品だけです。もう1点は、サクラ谷の指導者ソフィアと野バラ谷に暮らす老人マティアスの存在です。ソフィアは、いわゆる女戦士的な人物ではなく、中年の農婦です。マティアスは、登場以降、クッキーのおじいさんのような存在になりますが、戦うのが怖くないのかと尋ねるクッキーに対し、怖いけれども戦わなくてはいけないのだ、と返します。リチャード獅子心王と同じ名前レヨンイェッタ(ライオンの心)を名乗る子どもたちだけでなく、農婦やおじいさんといった「普通の人々」が、自由と独立のために戦う、まさに総力戦です。1点目の特徴と重ねると、社会批判的と言うよりはむしろ、西洋的・資本主義的な価値観をふんだんに体現している作品かもしれません。
それはともかく、この作品でわたしが一番好きなのは、最初は危険だからという理由でクッキーを置いて行ったヨナタンが、「ぼくは、カールといっしょにいたいんです」と最後の旅にクッキーを同行する場面です。クッキーの成長を軸に書いた同作ですが、その中で、完全無欠に見えたヨナタンはクッキーに頼ることを少しずつ覚えていきます。それが可能になるのは、決してクッキーが「強くなる」からではありません。彼は最後まで勇ましいながら「小さき」存在です。強いヨナタンが小さなクッキーに頼る構造は、『山賊のむすめローニャ』において、マッティスがローニャに頼る構造と重なります。最終章のタイトル「小さな勇ましいクッキー」は、リンドグレーンの長編の小題で、わたしが一番好きなタイトルです。
【関連写真】
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◀リンドグレーン作品のテーマパーク「ユニバッケン」(ストックホルム)の庭にあるリンドグレーン像。傍らにはナンギヤラの鳩がいます。
▴手に持っている本には『はるかな国の兄弟』の最後の台詞「ああ、ナンギリマだ!そうだ、ヨナタン、そう、ぼくには光が見える!」 |
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他の翻訳・バージョン |
【実写映画】
・オッレ・ヘルボム監督『はるかな国の兄弟』(Bröderna Lejonhjärta)、脚本:アストリッド・リンドグレーン、主演:スタッファン・イェーテスタム、ラーシュ・セーデルダール、制作:スヴェンスク・フィルム、1977年
・キャスト・受賞などの英語版情報はこちら。1978年第28回ベルリン国際映画祭出品作。同年、スウェーデンで最も権威ある「金虫賞」を受賞。
・現在、新しい映画企画が進行中。2014年12月に公開予定でしたが、延期されたようです。制作に関するニュースは、以下のリンクをご覧ください。
日本語
英語
スウェーデン語1(制作開始)
スウェーデン語2(公開延期)
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関連書籍 |
【中世/はるかな国における悪との戦いをテーマとしたリンドグレーン作品】
・『ミオよわたしのミオ』(大塚勇三訳、岩波書店、1967) スウェーデン語原典は Mio, min Mio
・『ミオよわたしのミオ』は、1987年にソ連・スウェーデン・ノルウェー・イギリスの合作で実写映画となっており、日本語でも『ミオとミラミス 勇者の剣』というタイトルでDVD化されています。ウラディミール・グラマチェコフ監督、リンドグレーン脚本、ニコラス・ピッカード主演。子役時代のクリスチャン・ベールが主人公の親友役、クリストファー・リーが敵役で出演しています。その他の情報はこちら。
・ 「公子エーカのニルス」『小さいきょうだい』所収、大塚勇三訳、岩波書店、1969
【『はるかな国の兄弟』論】
・河合隼雄『ファンタジーを読む』講談社、1996
本文にも書いたとおり、日本における同作の受容には河合の紹介が大きく影響していると思います。わたし自身も、河合の講演会に参加してこの作品の存在を知りました。
ただし、この書籍で河合が展開する『はるかな国の兄弟』論はものすごくくだらないです。河合隼雄の児童文学論は、全体としてはわたしが研究者を志すきっかけの一つでした。それだけに、この論を読んだ時にすごく腹が立ったのを覚えています。もちろん、体が動かないまま生きるよりはむしろ死を選ぶ、という動機づけ(を肯定的に書くこと)に、今の時代に賛同することはできません。しかし、この作品が問題にしているのは「自殺がいいか悪いか」という次元ではなく、必ずしも自分の思い通りにならない状況の中で、怖さと不安を抱えながら自分で一歩を踏み出すことができるかどうかです。重要文献として挙げておきますが、興味のある方はまず『はるかな国の兄弟』自体を読むことをお勧めしますし、河合の論を読んでつまらなさそうだと思わずに、ぜひ本文を自分で読んで確かめてほしいです。
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出版社HP |
日本語版 岩波書店
1.リンドグレーン作品集・初版http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/6/1150780.html
2.岩波少年文庫http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/3/1140850.html
スウェーデン語版 ラーベン・オ・シェーグレン社
http://www.rabensjogren.se/bocker/Utgiven/2013/Host/lindgren_astrid-broderna_lejonhjarta-kartonnage/
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