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リンドグレーン15選・1
日本語版
大塚勇三訳「五月の夜」(『親指こぞうニルス・カールソン』所収、岩波書店、1974) ISBN:9784001150766
スウェーデン語版
Astrid Lindgren: En natt i maj, i: Nils Karlsson Pyssling, Stockholm (Raben och Sjögren), 2003 ISBN:9789129657661
作品紹介
今回から15回にわたって、アストリッド・リンドグレーンの作品を紹介します。わたしが北欧文学の研究者になった最大の要因はリンドグレーンです。小学校低学年・中学生・高校生・大学生と、わたしには4度の「リンドグレーン・ブーム」が起こっています。その時々にも自覚していましたが、今振り返ってみても、人生の転機にはいつもリンドグレーンがいました。
 リンドグレーンについては、色々な方が既に色々なことを書いていらっしゃいますし、わたしは北欧文学者なので、本来ならば研究者としての視点から何かを書くべきなのかもしれません。しかし、それは、今後予定しているリンドグレーン研究をしたら否応なくすることになるので、「リンドグレーン研究者」になる前に、「愛読者」としては最後の機会として、リンドグレーンの魅力をご紹介できたらと思います。
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  「五月の夜」は、小学校低学年の「第一次リンドグレーン・ブーム」の頂点となった作品です。この頃から、将来は「大学」と「大学院」に行って、ゆくゆくはこんな本を書いたり、スウェーデンの本を訳したりする人になろうと思うようになりました。…もちろん、ずっとそう思っていたわけではない上、研究者になった現在も、書く方も訳す方もやってないので、初志貫徹は難しいところです。さて、わたしが最初に読んだリンドグレーン作品は、ご多分に漏れず『長靴下のピッピ』三部作。その後は、『やかまし村の子どもたち』シリーズ、『名探偵カッレくん』シリーズと、岩波のリンドグレーン作品集を順番に読んでいって、16番目にあたる短編集『親指こぞうニルス・カールソン』を読んだのは3年生の時でした。「5月の夜」は、その中の短編の一つです。
 ある5月の夜。ストックホルムの郊外エッペルヴィーケン(Äppelviken、「りんごの湾」の意)で、少女レーナは5歳の誕生日を迎えます。りんご園を経営するレーナの家ではりんごの花が満開です。レーナは色々な人から誕生日のお祝いをもらいますが、おばさんからもらったのは、白いレースの縁飾りのついた美しいハンカチでした。ハンカチを含むプレゼントを窓辺に置いて、明日はどれで遊ぼうか、と眠れないでいたレーナの耳に、すすり泣きの声が聞こえてきます。泣き声の主は、裸の妖精ムイでした。聞けば、今夜レーナの家のりんご園で、妖精の王子さまのお妃選びの舞踏会があるのに、ムイはドレスを破いてしまい、着ていく服がないのでした。
 レーナがもらったハンカチに目をとめたムイは、そのハンカチをちょうだいとレーナに頼み、レーナはそれに応じます。その代わり、レーナは妖精の舞踏会を見せてもらえることになります。美しいドレスを着たムイは、王子さまと幸せそうに踊ります。…と、ここまでは、割と王道のシンデレラ・ストーリーです。しかし、舞踏会が終わって、「王子さまはきっとあなたをおきさきにするわね」というレーナに対し、ムイはこう答えます。
わたしは、そうなるとは思っていないの。……それに、そういうのは、どっちでもいいの。もしかわたしが妖精のお妃になったにしても、今夜のようにしあわせにはなれないわ。今夜のわたしのように、しあわせになれるのは、だれだって、一生に一度だけしかないんだわ。
「これもあなたのおかげよ、ありがとう」と言って、ムイは去っていきます。レーナは、ハンカチがなくなったことをお母さんにどう言い訳しようかと悩むのですが、「あたし、ひとに親切にしようとおもって、あれをあげちゃったって、そういおう」とつぶやいて眠りに落ちます。
 リンドグレーンは、『長靴下のピッピ』があまりにも有名なので、ハチャメチャで明るい話を書く作家と思われがちですが(ちなみに、『ピッピ』は別にそういう作品ではありませんが)、「人に親切にすること」の価値を繰り返し書き続けた作家です。
 「5月の夜」は、王子さまと結婚しない結末が『人魚姫』と共通するわけですが、成就しなかった想いの昇華の仕方が全く違います。人魚姫は、心から望んでいた相手と結婚する王子を祝福するのみならず、美しく思いやり深い王女を祝福することで、すべて自己完結する形で、王子への想いを諦めることを納得します。髪を魔女にやってナイフを手に入れ、人魚姫を助けようとした姉たちの善意は、人魚姫の救いにはつながりません。それに対して、ムイは初対面のレーナが自分に向けてくれた親切を「一生に一度だけの幸せ」として、当初の目的であった王子との結婚より価値あるものとします。
 小学生のころに思っていたのと違い、文学研究とは学問なので、「人に親切にすること」を直接の議論の対象にはできませんが、文学について科学的に考察することは、メタなレベルで書いた人・読んだ人の思いを受け止めることでもあるので、研究者としての寿命が尽きるまでには、そうした魅力も伝えられる形でリンドグレーンの研究をしたいなと思っています。
他の翻訳・バージョン
・山室静訳「妖精にあげたハンカチ」(短編集『妖精にあげたハンカチ』所収、恒幸子絵、サンリオ・ギフト文庫、1976)
・山室静訳「レーナちゃんのなくしたハンカチ」(『おにんぎょうのミラベル』、くろだただきみ絵、文研児童読書館、1979)
関連書籍
  ・アンデルセン「人魚姫」(大畑末吉訳『完訳 アンデルセン童話集 1』所収、岩波文庫、1981
出版社HP
日本語版 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/X/1150760.html
スウェーデン語版 ラーベン・オ・シェーグレン社
http://www.rabensjogren.se/bocker/Utgiven/2003/Host/lindgren_astrid-nils_karlsson-pyssling-kartonnage/