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長谷川1/700新版 戦艦 伊勢/日向について
2003/02/09 本文記述
2005/10/15、10/19 一部訂正補足

 伊勢型は当初、旧日本海軍最初の超弩級戦艦として建造された扶桑型の3・4番艦として計画されましたが、後に扶桑型の運用実績を取り入れる形で大幅に設計が改められて竣工しました。先の大戦では戦艦としての戦歴はほとんどなく、ミッドウェー海戦後に多数の艦載機を搭載する航空戦艦に改造されました。しかし艦載機を運用する機会はなく、比島沖海戦や南方からの軍事物資の輸送などで活動しましたが、伊勢日向共に大戦末期の空襲で大破着底し、終戦後に解体されました。

 前作の伊勢型は伊勢が航空戦艦、日向が戦艦の状態として発売されていました。シルエットはどちらも実艦のイメージに沿ったものでしたが、考証には少し問題があり、モールドも含めて一ヶ所手を付けたら収拾が付かなくなる位まとめるのが難しいキットでもありました。今回の新作では考証面の問題はかなり改善されていますが、モールドは若干甘めで、伊勢日向共に戦艦と航空戦艦の両タイプを発売した事にも疑問が残りました。

 まずは例によって評価表から。
項 目 名 内      容
ジャンル 近代艦船・旧日本海軍戦艦/航空戦艦
名  称 伊勢(日向)
メーカー 長谷川
スケール 1/700
マーキング ネームプレートの艦名、艦載機のマーキング一式、日章旗、軍艦旗、
艦載艇艦名
モールド ★★★★ 細部はやや甘めですが、全体的には○
スタイル 戦★★★★★
航★★★
戦艦には大きな問題はないようですが、航空戦艦は艦橋のバランスや格納庫付近の表現が気になります。
難易度 ★★★ 航空戦艦の場合、甲板のモールドを削る工程で少し工具や技術が要ります。
おすすめ度 戦★★★★★
航★★★★
航空戦艦のキットは、模型の経験がない方には作り辛い内容かもしれません。
コメント 基本的には良い内容ですが、航空戦艦には少し問題があり、最近の長谷川の艦船キットの問題点も集約されているように思います。

 部品割は以下の通り。
  • A部品
    • 艦尾上甲板、船体(左舷)、後部マスト、デリックブーム
  • B部品
    • 艦底板、船体(右舷)
  • C部品
    • 艦首楼甲板、艦橋基部、探照灯台支柱、煙突、艦橋司令塔
    • 艦橋兵員待機所、艦橋測的所、防空指揮所、主砲測距儀
    • 主砲方位盤、17m内火艇、15m内火艇、煙突探照灯台座ほか
  • J部品×2
    • 主砲一式、カッターダビッド、旗竿、高角砲台座、副錨、ほか
  • G部品
    • 船体ビーム一式
  • W部品×2
    • (大型艦用ディテールアップパーツに同じ)
  • バラスト
  以上 戦艦/航空戦艦 共通
  • D部品
    • シェルター甲板(前半、後半)、羅針艦橋、副砲指揮所
    • 下部見張所、戦闘艦橋、上部見張所、後部艦橋一式
    • 後部艦橋主砲方位盤、副砲方位盤、煙突機銃座
    • クレーン動力室、後部マストトップ、ほか
  • K部品×2
    • 副砲、煙突探照灯台座、4.5m測距儀、91式高射装置
  以上 戦艦のみ
  • E部品
    • シェルター甲板(前半、後半)、飛行甲板、後部艦橋一式
    • 飛行甲板、噴進砲+台座、バルジ上端、煙突機銃座
    • 後部マストトップ、ほか
  • F部品
    • 羅針艦橋、副砲指揮所、戦闘艦橋、上部見張所
    • 格納庫(右舷、左舷)、格納庫機銃座、艦載機エレベーター
    • エレベーター壁面、ほか
  • L部品×2
    • カタパルト、煙突射撃指揮装置台座、飛行甲板支柱
    • 14m特型運貨船、3連装機銃(Wパーツ不足分)、ほか
  • M部品
    • 彗星艦爆、瑞雲水爆一式
  以上 航空戦艦のみ
  (デカールはそれぞれ専用のものが入っています)



外箱の仕様


箱の幅と長さは他の大型艦と同じですが、
背が非常に高いので、
旧製品と容易に見分ける事ができます。
(箱の仕様は戦艦/航空戦艦共に同じです)



 キットは戦艦が1940〜41年頃、航空戦艦は1944年秋頃の状態のようです。内容は戦艦/航空戦艦共に伊勢日向で全く同じもので、後部マストの一部の部品の取り付け位置を変えるよう説明書で指示されているだけです。これはメーカー側の怠慢ではなく、太平洋戦争に於ける伊勢型戦艦は後部マストの形状以外にほとんどあまり識別点が無く、1/700というスケールでは他に充分に違いを表現できないという事情に依るものです。なお、戦艦日向の箱絵では艦橋の中段付近に少し違いがありますが、これは1936年に終了した近代化改装直後の状態で、それも1940年の改装で伊勢と同じに近い形状に改められています。

 戦艦のキットに関しては外形、考証共に大きな問題はないようです。これらは航空戦艦にも共通する事ですが、船体とシェルター甲板の部品割が細かくかつ凝った構成になっているため、全体的に若干組み辛い感があります。そのため仮組を慎重に行う必要があります。また、後部マストは省略が過ぎた感があり、これは真鍮線のハンダ付けやエッチングパーツなどで置き換えた方が良いかもしれません。煙突周辺の探照灯や機銃台の支柱は彫りの深いムクになっていますが、ここも非常に目立つので真鍮線を組んだりエッチングパーツなどで置き換えるとより印象が良くなると思います。

 戦艦の艦橋は特徴を良く捉えていますが、伊勢に関しては見張指揮所(D9)とその上の戦闘艦橋(D11)の関係が今一つ表現されていません。実艦では見張指揮所の天蓋の上に戦闘艦橋の三角サポートが接する形になっています(右図参照)。割と目立つ部分なので、可能なら修正するとより良くなると思います。※注
 また、戦艦/航空戦艦共に船体中央部、前から6番目と7番目の副砲の間に装備されていた塵捨筒がないので、プラ板などの細切りで付けると良いと思います(これらは学研の「伊勢型戦艦」に掲載されている亀井新氏の模型が参考になります)。
 主砲塔にはラッタルのモールドが2種類付けられていて、測距儀の有無によってどちらかを削るよう指示されています。浅いモールドで木に巻いた水ペーパーで比較的楽に削り落とせるものですが、別に削らないと組み上がらないというものでもないので、自信がなければそのままでも良いと思います。 

 あと、キットの9mカッターの装備位置は航海状態のようで、停泊(碇泊)状態と戦時格納状態では装備位置が異なります。戦艦/航空戦艦共に停泊状態の場合は3番主砲周辺のカッターをそれぞれバルジの外側に付けたボートダビッド(部品W23)に付けます。また戦時格納状態では艦橋両脇のカッターを、シェルター甲板(戦艦:D1/航空戦艦:E12)上にモールドされている架台の上に乗せていたようです。ダビッドはボートを装備しない場合舷側に格納されていたので、厳密を期するなら注意が必要です(これも「伊勢型戦艦」p29の艦後半部の拡大写真や亀井新氏の模型が参考になると思います)。それと、キットの船体には舷外電路のモールドが無いので、大戦直前〜大戦中の戦艦の状態を設定する場合、外側に伸ばしランナーなどで追加する必要があります。
 戦艦のキットに関しては他に書くことはありません。


 航空戦艦の方にはかなり問題があります。まず気になるのは艦橋のアウトラインで、特に戦闘艦橋(F4)の正面にモールドされている大型の遮風柵と、その直下の見張指揮所(F16・17)との関係に疑問があります。キットは遮風柵が下側まで張り出して、戦艦時代は2段構造だった見張指揮所の上側が撤去された形と解釈しています。しかし、キットが想定している1944年秋の状態ではこの遮風柵は撤去されていたようで、これは比島沖海戦で米軍が撮影した空中写真からも確認できます。また、終戦後の写真を見る限り、見張指揮所の上段部分は再び設置されたように見え、下部見張所(F16)の位置も若干下がり気味でバランスが良くないように見えます。そのため、部品F16の2段になった部分で一旦切り離して窓のある部分を1mm程度かさあげし、F4の正面のモールドは削り落とした上で下側を1mm程度削って側面の斜めのラインを合わせると共に、下側も甲板の底に合わせる形で切り落とすと共に、見張指揮所の上部もプラ板等で作ると良いと思います。※注



戦艦/航空戦艦 伊勢/日向
艦橋見張指揮所付近の形状

 ちなみに、この戦闘艦橋の遮風柵は1943年夏の航空戦艦改造直後の伊勢にのみ装備されていたもので、日向には装備の記録がありません。よって日向を作る場合には遮風柵のモールドも下側に張り出した外板も共に削る必要があります。「伊勢型戦艦」p26-29に掲載されている写真を見る限り、遮風柵の下には窓らしきものは見えないのですが、上記の通り終戦後の写真では見張指揮所の上部は戦艦時代と同じような形で残っているように見えます。そのため、ここは遮風柵が装備された時にもそのままだったのではないかと考えますが、はっきりしたことは判りません。

 また、伊勢日向共に、艦橋基部の部品(C8)の後部両脇に円柱を半分に切ったようなモールドがあります。これは戦艦時代に副砲の予備指揮所として用いられていた部分ですが、航空戦艦への改造で副砲が全て撤去された事に伴い開口部が閉鎖され兵員待機所として用いられていたようです。形状が変わっている可能性もありますが、ここはモールドを埋めるだけでも良いと思います。また公試時や終戦後の写真を見ると、この部分から見張り台らしき張り出しが見えるので、気になる方は付け加えると良いと思います。

 航空戦艦の飛行甲板の艦載機軌条は、回転盤も含めて従来通りの凸モールドになっていますが、公式図や終戦後の艦上写真を見る限り甲板は軌条の上面までセメントコーティングが成されていたようです。よって厳密を期するなら凸モールドを削ってPカッターなどで凹モールドに彫り直す必要があります。 また機銃座の支柱も従来通りの逆三角形の柱ですが、ここは棒状なので気になる方は削り落として伸ばしランナーや真鍮線などで作り直す必要があります。
 それと、伊勢の公式図の主要部切断図を見る限り、エレベーターは完全に平らではなく、軌条周辺がその高さの分だけ下側に凹んでいたようです。上面平面図にはそのような表現はありませんが、飛行甲板上の軌条が凹ならば、それに接するエレベーターもセメントコーティングしない限り甲板の高さが合わなくなります。そのため、この形状には合理性があると考えます(もちろん上面図が正であって、エレベーターは平らでその上にもセメントコーティングがされていた可能性もありますが)。
 また、飛行甲板の最も艦尾側の旋回盤と両舷側に斜めに伸びている軌条の関係は、公式図に依れば斜めの軌条の内側が中央の軌条に入り込んでその中心線で接する形状になっていたようです(右図参照)。よって、その部分のモールドを追加するだけで、斜めの軌条の位置を修正する必要はありません。旋回盤にはなぜか軌条がモールドされていないものが3個あるので、モールドを追加する必要があります。

 日向の公試時や伊勢の比島沖海戦当時の写真を見ると、左舷側格納庫の張り出しの直後に、船体から張り出すような膨らみが認められます。戦艦当時はクレーンの動力室があった部分で、それが飛行甲板の直下に移動したあとも膨らみそのものは残っていたようです。それで、この部分は伊勢日向共に戦艦の部品(D21)を複製するか、プラ板などから膨らみを作って付ける必要があります。また、伊勢日向共に航空戦艦に改造された際に舷外電路を撤去したようで、その後の写真から確認する事はできません。ですから、航空戦艦に関しては舷外電路のモールドを追加する必要はありません。
 また、伊勢日向共に比島沖海戦の時は後部マストの下側に信号関係の指揮所(手持ちの伊勢の公式図では字が潰れて読み取れません)と、その下に用途不明の構造物がありましたが、キットでは再現されていません。これも写真等を参考に追加する必要があります。それと、公式図では両舷の機銃台の艦首側の先端から甲板に降りるラッタルと通路があったらしいので、付ける必要があると思います(これは伊勢型戦艦掲載の折込図面が参考になります)。

 航空戦艦のエレベーター外壁(F13)を取り付ける際に、艦尾甲板のモールドを削り落とすよう指示されていますが、いくら何でもこれは作る側に対する配慮がありません。穴を開けるのと異なり、甲板のモールドを綺麗に削る事は簡単にはできませんし、上で述べた砲塔のモールドと異なってここは削らない限り組み込む事ができません。後部甲板の差し替えは戦艦との絡みで無理だとしても、エレベーターの「底」を素通しにして艦首側の壁の下側をカットすると共に、艦載機運搬軌条やリノリウム押さえに当たる部分にも切り込みを入れ、艦尾のハッチを1つ別部品にすれば、削らなくとも何とか組立は可能になったように思うのです。そもそも格納庫の内部が再現されていないのにエレベーターだけ下げても意味は無く、そんな中途半端な表現を今の愛好者が望んでいるかどうかも疑問です。上げのみの表現に不満を感じた時に始めて底を付けたり削ったりといった愛好者の作業が始まる訳で、最初から削らないと組立ができないというのは、あまりにも思いやりに欠ける事だと感じます。


航空戦艦伊勢/日向
飛行甲板及び格納庫の詳細

 以上、考証面で長々と書きましたが、これらは多少の工作技術があれば修正可能なことがらだと思いますし、キットの価値を大きく下げるものでもありません。このキットが抱える本質的な(かつ重大な)問題は、別にあると考えます。

 戦艦/航空戦艦共に太平洋戦争中の伊勢型には識別点がほとんど無いと上で書きました。ですから、キットの内容が実質的に同一なのもやむを得ないのですが、にもかかわらず同じ内容のものを2隻出した事にまず疑問が残ります。
 もちろん営業政策上形式の違う船を1隻ずつ出すより、2隻ずつ4隻の方がより販売数が見込めるという狙いがあるのかもしれません。しかし、ある程度知識のある方であれば納得できることですが、そうでない方にとって決して安価でもないキットを2隻買って内容が全く同一であったら、決して良い感情は持たないように思いますし、店頭で見比べて結局は片方しか買わないという事になるのではないかと考えます。

 また、部品割は設計者が苦心した跡は伺えるのですが、田宮や青島に比べて合理的なものとは言い難く、二分割された船体がそれぞれ別グループになっていたり、金剛型の当時よりは改善されているとはいえ相変わらず細かいパーツグループも多く、結果としてそれらを収容する外箱は異様に背が高いものになってしまいました。模型店の棚で目立つという利点はありますが、従来のシリーズから大きく外れた箱は店にとっても整理し辛いものですし、それは結果として仕入れを控えさせる事にもつながりかねません。
 箱絵についても、商品化する時点でキットの時代設定と大きな識別点の有無はまず最初に検討される事ですから、「今度キット化される太平洋戦争直前の伊勢型戦艦には識別点がほとんどない」という情報が徹底していたならば、商品の状態を反映していないという事も、上がった絵を見比べた時点で判ったのではないかと思うのです。

 航空戦艦の組立で愛好者に対する配慮が足りない点と合わせて、今回の伊勢型のキットに対する長谷川の姿勢には腑に落ちない事が多いように感じます。企画や設計は買う人の姿や商品が模型店の中でどう扱われているのか見えていないのではないか、営業はそれら最前線の情報を社内に浸透させているのか…私は外からキットを眺めて思うだけで、これらの事柄は杞憂に過ぎないのかもしれません。しかし、もう少し上手い方法はなかったのかと。


 最後は厳しい言葉になってしまいましたが、キットの内容は前作より大きく改善されていますし、問題点も容易に修正できるレベルに留まっています。多少組み辛い部分もありますが、誰にでも戦艦の勇姿や航空戦艦の特異な姿を再現できると思います。それだけに、キットに「商品」としての総合的な視点も考慮されないと、長谷川のWLは迷路に入り込んでしまうのではないかと、そんな危惧も強く感じます。

2003年2月9日 記

※注
 艦橋中部の見張指揮所の形状に関しては、当初は伊勢日向共に同じ形状と考えていましたが、その後掲示板で「日向はキットの形状で正しいのではないか?」という指摘があり、改めて開戦直前の写真を見た所、確かにキットの形状通りに見えます。そのため、この部分に関しては伊勢のみ修正と訂正します(伊勢に関しては開戦直前の写真が手元にないため、日向と同じ形状=キットの形に改められた可能性も考えられます)。

 これと合わせて、発売当時違和感がぬぐえなかった航空戦艦伊勢の艦橋遮風柵の表現に関して少し考えてみました。改装直後の公試の写真と比較するとキットの部品は下側に突き出して、まるで漫画のマジンガーZの顔のように見えます。その直下は見張指揮所が撤去された解釈になっていて、中央支柱を除いてがらんどうになっていますが、実艦ではそのようには見えません。

 キットと図面や写真を比べて考えてみたのですが、どうも下部見張所(戦艦:部品D10、航空戦艦:F16)の窓がある部分の高さが元々足りず、遮風柵の大きさも下側に張り出した表現になっているため、ここの「がらんどう」さがより強調されているように思います。この部分の修正は少し大変ですが、下部見張指揮所のパーツを段差が付いた部分で一旦切り離し、窓が付いた部分の底にプラ板を貼って1mm程度かさ上げし、同時に遮風柵の下側も1mm程度削って側面の傾斜をそれに合わせれば、かなり印象が良くなるのではないかと考えます。

 また、終戦後の写真を見る限りでは、遮風柵の取り付け部分は撤去されずに残存しているため、レイテ沖海戦当時の伊勢(=キットの状態)として作る場合には上記の下部見張所との位置修正を行った上で、遮風柵はモールドだけ削り落とし下に下がった板の部分は完全に削らずに残しておく必要があります(厳密には遮風柵の上端のカーブした部分は残存していますが、1/700ではそこまで表現する必要はないと思います)。 

 なお、戦艦時代の日向で下部見張所の位置修正を行う場合は、戦闘艦橋(D11)の底に付いている、見張指揮所の天蓋と中央支柱が一体化されたモールドを一旦切り離し、下部見張所のかさ上げの分だけ上部を削る必要があります。戦艦時代の伊勢の場合は天蓋のモールドそのものを削った上で見張指揮所の部品(D9)の上にプラ板で天蓋を作り、戦闘艦橋の下にサポートを付けることになります。ただ、これは簡単な修正ではありませんし、他の状態であればそれほど目立たないので、戦艦時代及び航空戦艦日向として作るのであれば、下部見張所の高さはキットのままでも良いと思います。

 それと、航空戦艦改装直後の伊勢は、遮風柵の設置に伴って上部の見張指揮所は無くなったと上で書きましたが、公試当時の写真を見る限りでは、この部分は全くのがらんどうではなく、少なくとも見張所後部の右舷側の壁面はそのまま残っているようにも見えます。遮風柵と下部見張所の間隔が上部見張所の窓の高さとほぼ一致するため、個人的には上部見張所は完全に撤去されたのではなく、後部はそのまま残っていたのではないかと考えています。上にある艦橋の見張指揮所周辺の変化に関する図は、これらの点を加味して描き直したものです。

 なお、「レイテ沖海戦当時(=キットの状態)の航空戦艦伊勢は遮風柵が撤去されていた」と書きましたが、米軍撮影のレイテ沖海戦当時の航空写真を拡大して見る限りでは、戦闘艦橋の窓の前面にわずかに張り出しがあるように見えることから、遮風柵は撤去されずに残存していたのではないか?という説もあります。


2005/10/15追記、10/19一部修正
本雑感は基本的に原文を残す形で修正していますが、
この注釈は非常に読みにくくなるために改稿としました。