君川丸はニューヨーク航路用の神川丸級貨物船の3番船として1937年に川崎汽船が建造したものです。当時の横浜〜ニューヨーク間の貨物便は太平洋航路の定期客船よりも速い高速貨物船を各海運会社が競って投入した海の激戦区で、君川丸も最高速力19ノットの高性能を誇った貨物船の一つでした。
しかし対外情勢の悪化に伴い1941年に海軍に徴用され、特設水上機母艦に改造されました。君川丸は先の大戦では主に北方水域で活動しましたが、戦局の悪化に伴いかかる軍艦の活動の余地がなくなり、また一般の輸送船も不足してきた事から1943年10月に任務を解かれ輸送船に変更されました。そして1944年10月23日にルソン島の北西で潜水艦の雷撃を受けて果てました。
戦前の各種政府助成金によって建造された貨物船は、その高速力のために先の大戦では特設水上機母艦や特設巡洋艦に改造されたり、ガダルカナルやレイテなどの激戦地に投入されほとんどが海のもくずと消えてしまいました。また特設水上機母艦は大戦初期には陸上基地のない地域で移動航空基地として有効に活動したために、日本の船舶/艦艇史という意味でも欠かすことのできない船の一つですが、インジェクションキットは今まで無く、これが始めてのものになります。これまでのピットロードの製品の中でも発売の意味は極めて高いと考えますが、キットの内容には少し不満が残りました。
まずは評価表から。
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項 目 名 |
内 容 |
ジャンル |
近代艦船・旧日本海軍特設水上機母艦 |
名 称 |
君川丸 |
メーカー |
ピットロード |
スケール |
1/700 |
マーキング |
艦載機の日の丸、フロートの各種マーク、
軍艦旗(これのみ自衛艦ゆうぐれ用のマークを流用) |
モールド |
★★★ |
船室のモールドが無い。小物類は良好。 |
スタイル |
★★★ |
船室のバランスの取り方に疑問。他にもどこか違和感が… |
難 易 度 |
★★ |
基本的には組みやすいキットです。 |
おすすめ度 |
★★★★ |
戦前の高速貨物船のキットはほとんどありません。貴重。 |
コメント |
水上機を載せてしまえばあまり目立ちませんが、商船として見た場合
船室のバランスの悪さやモールドの無さが気になります。 |
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部品割は以下の通り。キットは1942年秋頃の設定のようです。
・A部品 船首楼甲板+遮浪甲板、船体(右舷、左舷)
・B部品 零式三座水偵、8cm単装砲、中央部船室関係部品、煙突、
後部航空機作業甲板、ほか
・C部品 零式三座水偵、キセル型吸気口、デリック、クレーンアーム、
カタパルト、機銃、15cm単装砲、21号電探、カッター、内火艇、ほか
キットを開いて仮組をした時の第一印象は「神川丸級ってこんなに不格好な船だったかな?」というものでした。神川丸や聖川丸の商船当時の写真はいかにも太平洋を高速で突っ走りそうな精悍なもので、後に聖川丸の商船当時の一般配置図を入手した時にも、船室と船体のバランスの取れた美しい印象を強く持ったのですが、キットはどうも今まで抱いてきた神川丸級高速貨物船のイメージに合いません。私の思い込みが強すぎたのだろうかと、資料を広げて考え込む事になりました。
商船のスクラッチを手掛けた方であれば恐らく経験した事があると思いますが、軍艦に比べて外観の変化が少ない分、角窓や舷側の開口部にデッキの高さなど、ほんのわずかの違いで全体の印象ががらりと変わってしまう事が商船の模型にはあります。特にハウス(船室がある中央の構造物)の開口部はバランスの取り方が難しく、そのため長谷川の氷川丸を始めとして多くの商船の組立キットは、ハウスの側面を開口部ごと船体と一体化(あるいは別部品化)させて、甲板を中に押し込む構成を取っています。この場合、各船室の設計や組立がうまくゆかないと甲板が開口部から見えてしまったり、最上部の甲板がハウスの側面から浮き上がったりする危険がありますが、全体的なバランスは取り易くなり、開口部の柱も再現できます。
それで、この君川丸の場合はハウスの側面の部品は無く、甲板の端にあるブルワークで開口部の一部を再現しようとした程度に留まっています。デッキの高さは図面通りのようですが、どうも開口部のバランスがほんのわずかズレているようで、それが印象を悪くしているように私には感じます。また、船の顔である船橋正面の部品(B-18)も、開口部の幅が大きすぎる上に羅針船橋の窓の位置と大きさも少しズレているようで、コンパスブリッジの両舷側への張り出しの表現の弱さもあって、全体の印象を弱くしているように感じました。ただハウスを完全に作り直さない限りこの問題を完全にクリアすのは不可能で、恐らく個人の「思い込み」のレベルになってしまう上に、特設水上機母艦として後部甲板に水偵を並べるとそれほど目立たなくなるため、実際の製作では伸ばしランナー等で開口部の支柱を付けたりプラ板で省略されたブルワークを補うなどで、実船の雰囲気に近づけるように持ってゆくのが良いと思います。
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※注 |
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このハウスのバランスに関しては、ひょっとしたら私の思い込みだけかもしれません。特設水上機母艦の君川丸や神川丸の写真をお持ちの方であれば、船橋正面や側面の形を模型と比べて判断していただけたらと思います。この部分に関しては頭から信じ込まないで下さい。 |
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特設水上機母艦としての資料はあまり持っていませんが、わずかな手持ちの資料を見る限りでは、上記のハウスのバランスを除いては特に大きな問題はないようです。キットの塗装指示は前後の遮浪甲板に軍艦色の指示があり、木目モールドはありません。この時代の貨物船の遮浪甲板が鉄張りだったかどうかは、実は明確な資料を持っていないのではっきりした事もわからないのですが、君川丸の艦上写真を見る限りでは前半部の遮浪甲板が木甲板である事は読みとれません。航空機作業甲板に木目モールドがあるのは、シアーの強い貨物船で円滑に作業を行うために後部甲板の上から木造の作業甲板を貼ったという特設水上機母艦への改装要項に従ったもの(つまりキットの構造の通り)で、これは残された写真からもはっきりわかります。それと、手持ちの聖川丸の商船当時の一般配置図には船室の甲板に木目が引かれているのに対し、前後の遮浪甲板にはそれが描かれていません。これらの点からも、キットの塗装説明やモールドを否定する根拠は私にはありません。
それと、1943年夏頃に米軍が撮影したとされる君川丸の上空写真では、前半部の遮浪甲板の左舷側に夜間通行帯らしき2本の帯が見えます(後部の航空機運搬軌条とは見え方が違う上に、この帯の上で航空機を移動させればデリックポストに翼が引っ掛かってしまうから、戦艦大和の航空機作業甲板に有ったのと同じ通行帯だろうと考えます)。もしキットをその頃の設定にする場合、塗装で再現しても面白いかもしれません。
特設艦艇に徴用される前の貨物船の状態に関しては、恐らく衣島尚一氏が詳細な解説記事を執筆されるだろうと思いますが、全ての武装と航空機作業甲板を取り外して舷外電路を削り第三デリックを建てる以外にも、以下の修正点があるようです。
- 船橋上部と煙突後部の探照灯(B-10,C-21)は台も含めて付けない。また船橋上部の測距儀と前甲板の内火艇も付けない。
- ボートデッキ後端の連装機銃座のブルワークと張り出しを削り落とす。
- 船体舷側の居住区や各種作業室用の丸窓を全て埋める。
- 第2,3番ハッチの右舷側にある乗降口のモールドを削る。
- 全てのハッチに関して、一段高くなっている天窓らしきモールドを削り、両舷側方向に彫られている凹モールドも埋めて面一とする。
- 航空機作業甲板の関係で再現されていない3番デリック基部の構造物を、他のデリックと同じように作る。
- ドッキングブリッジ(B-7)の形状を一部修正する(キットの説明図には後部砲座と書かれていますが、この甲板そのものは当時の多くの商船にあった大事な部署です。それが単装砲の砲座の関係で大きく拡幅されているため、半円形の部分を台形状に修正する必要があります)。
- 2番デリックの上のマストを削る(第三デリックと同じ形)。また神川丸の場合2,3番デリックのトラスも無かった(| ̄|←このような形)ようです。
この他にも、神川丸級で唯一戦後まで生き残った聖川丸の写真や商船当時の一般配置図を見る限りでは、船橋付近の構造や煙突周辺のキセル型吸気口の大きさと数と配置、門型デリックのトラスの形状などが違うようにも見えます。しかしこれらの資料は戦後の商船復帰後の状態である可能性もあるため、現時点では判断できません。
貨物船への改造は簡単ではないようですが、それでも最初に述べたように戦前の高速貨物船がインジェクションで出てきた事に大きな意義があると考えます。模型の世界でも商船は軍艦に比べて扱いが低く、先の大戦では軍艦以上に凄惨な戦いを強いられたことも模型愛好者にはほとんど知られていません。多くの水上機を積んで移動航空基地として活動した君川丸も例外ではありませんでした。軍艦との見た目の変化だけでなく、そんな面にも思いを馳せる機会になればと思います。
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2000/01/24 記 |