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2002-2004年私感
〜ウォーターラインの行方〜
2004年12月24日 本文記述

 今年の艦船模型はビスマルクの3社競合やフジミの大和型戦艦発売など新しい大きな動きもあったのですが、食玩など多角的な方向にシフトしつつあるピットロードを除いては全体的な方向感に乏しかったというのが率直な印象でした。特にウォーターラインは旧フジミ担当分の穴埋めと自社旧製品のリメイクが一巡したここ数年、目的が定まらないように見える点がずっと気になっています。、

 そもそも航空機やAFVと異なって、特定のアイテムの知名度(戦艦大和)だけが突出し、ジャンル全体の市場規模は非常に小さく、末端が異常に先鋭化しているのが艦船の特徴です。愛好者に希望を問えば10人が10人共に別々の回答を示し、ゆえにメーカーは製品開発に於いてその動向が把握できず、最大公約数を無理矢理絞り込めば結局「戦艦大和」しか出せるものがない。これは現在もなお抱えている体質的な問題なのですが、

 思えば、プラの組立模型というものが市販されてから2004年末の現在に至るまで、こと艦船模型に限って言えば、統一スケールの組立模型を分担して短期間に大量に市場に投入して需要と主導権を握ったウォーターライン以外、メーカー側に販売戦略らしきものはほとんど存在しませんでした。そのウォーターラインでさえ、日本の連合艦隊の主要艦艇をわずか2年足らずの間に集中投下した初期開発以降は、明確な販売戦略も無ければ愛好者に対する艦船模型の新しい価値観を示す事もほとんどできないまま、現在に至っています(90年代にフジミの脱退が発端となって始まった旧作リメイクによる新規需要の掘り起こしは「結果論」であって、フジミ担当分のリメイク開始当初メーカー側にはシリーズの維持以上の戦略は無かったはずです)。

 その視点からウォーターラインの歴史を眺めてみると、メーカーが枠組みを作って少ない市場を共存しながら分け合う、いわゆる「護送船団方式」だったと私は捉えています。シリーズが発足し軌道に乗せた70年代当時、静岡4社以外に艦船に力を入れ独自拡大路線を目指した日模や大滝が、結果的に体力を消耗したり倒産に追い込まれた経緯を思えばそれはやむを得ない選択でしたし、その枠組みが無ければ極端に需要が落ち込んだ80年代を乗り切る事は困難だったかもしれません。また、発足当時に歴然として存在していたメーカー間の技術格差をカバーするという面でも枠組みは有効に機能してきました。

 しかし、シリーズ発足から30年以上経過し、模型をとりまく環境が変化している現在、ウォーターラインという名の護送船団は次第に時代に合わなくなりつつあるのではないかと感じています。一つは長谷川=ドラゴンのビスマルクのように、海外メーカーとの連携が深まるにつれてその意向がシリーズの枠組みと衝突する可能性が出てきたこと、提携3社の発売時期や選択する艦の国籍・時代がバラバラでシリーズとしての共同歩調が全く取れていないこと、エッチングやフルハルなどといった既存キットのバリエーション展開が限定版という形でしか展開できない制約、リメイクや提携3社以外のバッティングが進むにつれて、考証や内容の格差が明白になり魅力に乏しくなってきた旧製品も維持し続けなければならない負担と、それが新規に入ってくる愛好者に与えるマイナス面、そしてメーカー間の技術格差が急速に埋まりつつある現在、枠組みがかえって各メーカーの足かせになっているのではないかと思うのです。

 そして、シリーズを維持する事に依って得られる「メリット」は、実は田宮にあるのではないかと個人的には推察しています。そう書くと大多数の方々は仰天されるかもしれませんが、田宮のWLにはもうリメイクできるキットが白露型と特型の駆逐艦、そして翔鶴型空母の金型修正ぐらいしかなく、他は現在でも立派に通用する−といいますか、仮に金型が破損して生産が続けられなくなったとしても、同等以上のキットが作れるかどうか疑問ですし、仮に同等の内容でリメイクしたとしても、長谷川や青島が出した時のような新鮮な印象を愛好者の側に与えることは難しくなりつつあります。年齢層が高くなりつつある彼らにとって田宮=高品質は「当たり前」なのですから。つまり、70年代には最大の武器でありシリーズ全体を引っ張ってきた高品質なキット群が、現在ではリメイクによってラインナップを活性化させる事も市場にサプライズを与える事もできなくなっているように思えてならないのです。それどころか、シリーズ連携他社のリメイクによって田宮の既存製品に波及需要を期待する、70〜80年代と全く逆の図式に陥りつつあるのではないかと見ています。それは2004年末現在、青島の新版ビスマルクに対して、既存のプリンス・オブ・ウェールズのパッケージ替え(+実質値上げ)と、自社の開発製品ではなかったZ級駆逐艦の金型修正しか連携の方策がない現状からも明白ですし、もしシリーズの枠組みが解消され、長谷川や青島が製品寿命の切れた旧製品を整理して艦船キットをリメイク製品で固めれば、田宮との内容的な格差もあまり無くなってしまい、優位性も薄くなってしまいます。

 これは以前ピットロードに対する印象を書いた時にも述べたことですが、市場の需要や動向がかつてと比較にならないくらいめまぐるしく変わる現在、会社や製品が置かれている立場が何十年も同じであり続けることなど通常はあり得ません。ならば取り得る方策は、それが向かおうとするあらゆる可能性に対して常に他社よりも先手を打つ戦略か、もしくは愛好者に対してこれまでと異なる新しい価値観を率先して指し示さない限り、仮に現在は安泰であったとしてもそれは将来を保証するものでは何一つなく、逆にマイナス要因としてはね返ってくる事にもなりかねません。
 田宮の現状認識がどれほど合っているかは、部外者である私には図り知ることはできませんし、所謂「田宮ブランド」であれば黙っていても最低限の売上は見込めるという考え方もありますし、所詮艦船は全体の売上からすれば微々たるものに過ぎないでしょうから、その動向に注意を払う必要は無いのかもしれません。しかし、艦船模型全体に対する方向性も新しい価値観も何も示せないまま、行き当たりばったりのように国も時代もバラバラな新製品やパッケージ替えを漫然と繰り返し、提携他社に対してはWLの枠組みの維持を期待し続けるのであれば、いつか取り返しがつかないしっぺ返しを受けるのではないかと、私自身は危惧しています。


 WLの枠組みが無くなれば、旧製品の整理やメーカー同士の再編、いわゆる仁義なき売れ筋のバッティングが進み、より内容の良いキットが出ることによって更なる新規需要を掘り起こせる可能性がある反面、メーカーの体力が無くなって共倒れに陥ったり、旧製品や売れ筋から外れた(少なくはない種類の)キットが安定供給できなくなる事により、ただでさえ少ない市場が一層縮小したり愛好者の側に与える動揺も大きく、結果としてまた需要が冷え込んでしまう「冬の時代」に突入する可能性もあり、:はたしてベストな選択なのか私にはわかりません。しかしながら、現状ではどのメーカーも手詰まり感はぬぐえず、遅かれ早かれ冬の時代は到来するだろうと見ています。その時にどのような対応を取るかで、この先20年の艦船模型の行方は決まってくるかもしれません。

 そして外国艦・日本艦・自衛現用艦艇のいずれを選択するにしても、シリーズをこの先も維持するつもりであれば、その方向性をもっと明確にして愛好者の意識の拡散を留めると共に、提携他社と連携した商品開発や宣伝活動を、模型誌やWebサイト等のメディアを巻き込んで仕掛けること(つまりシリーズであることの「メリット」をもっと打ち出すこと)、先鋭化した層を回避するのではなく、例えばエッチング入りの割安品や開発に当たって参考にした資料の一部や完成作例見本・取材映像や製作の基本の動画等を収めたCD・DVD−ROM付きの限定版など、蓄積した財産を再活用して対象となる愛好者の層をもっとピンポイントで絞り込んだ製品も開発すること、青島の小雑誌付き限定版(もしくは自社Webサイトでの情報公開)のように既存のキットの需要を掘り起こす努力など、冬の時代の到来や再編に伴う混乱状態に陥る前に(それを睨んで)打てる手はどのメーカーにもまだあるはずです。模型産業は比較的小規模な事業主が多く、得てして一握りのトップの個人的な感情で会社全体の販売方針が左右される事も少なくないと聞きます。せめては大局的な見地から戦略を練って欲しいと願う次第です。

2004年12月24日 記

※補足
 「昔のWLは安かった、今のキットは高過ぎて子供には買えない」という意見もたまにネット上で見聞きします。一見正論に見えますが、リメイクした同一スケールの同一アイテムが数十年前の4〜5倍以上の値段が付けられているのは航空機やAFVでも同様であり、(一部例外もありますが)艦船だけが必ずしも非常識な価格という訳ではありません。またジャンル全体の内容が成熟すれば相応の代価が伴うのは趣味のやむを得ない一面でもあり、みなが1970年代の青島に戻って価格を下げれば解決するほど単純な問題ではなく、内容が伴わなければ仮に0円でも誰も見向きもしません。

 もし数十年前の自分の記憶だけを頼りに「子供に買えない」と言うのであれば、その前に現在子供達に与えている小遣いの額と、彼らが使う携帯電話料金が幾らになるのか思い返してみるべきです。重要なのは小遣いの「優先順位」の最上位が模型でないことであり、相対的な価格ではないのです。

 ものを作るということは模型に限らず子供たちにとって重要な要素です。それで、仮にコンビニ等で販売されている完成品のコレクション・アイテムが、彼らにとっての入門モデル的な位置付け(もっともその大多数は「かつて子供だった大人向け」だと思いますが)だったとしても、そこからものを作ってゆく一つ上の段階に導くのは大人の役割のはずです。にもかかわらず、自身は何も作らずに完成品のコレクション・アイテムの買い漁りに狂奔する大人が、子供達に向かってもの作りが重要だと説いても説得力も何もあったものではありません。

 私には子供がいないので、これらのことばは現実離れした奇麗事だと言われればその通りかもしれません。ただ、何かを作ってゆくのは大変でもやり甲斐のあるものだということは、Web上では常に表していたいと思っています。