真摯に生きる魂の気高さ
 『博士と彼女のセオリー』(The Theory Of Everything) 監督 ジェームズ・マーシュ
 『妻への家路』(歸来[Coming Home]) 監督 チャン・イーモウ


高知新聞「第177回市民映画会 見どころ解説」
('15. 9. 9.)掲載[発行:高知新聞社]


 今回は、いずれも特異な病に侵されたパートナーへの向かい方のなかに窺える夫婦の絆を描いて、実に味わい深い作品が並んだ。

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した実在の天才物理学者を演じたエディ・レッドメインが数々の演技賞を受賞した博士と彼女のセオリーは、車椅子のホーキング博士以上に奥さんのジェーン(フェリシティ・ジョーンズ)が印象深く残る作品だ。'63年に発病する前の学生時代の“佇まいそのものから自信というものが立ち上っているような若者”としてのホーキングの描出が効いていて、ALS宣告により自己崩壊の危機を迎えた彼が単に高度な医療的介護を得ただけでは、その自信とユーモアを取り戻すには至らなかった気がしてならなかった。

 余命2年と宣告された若きホーキンスと結婚して以後、ジェーンが献身的に主婦を務め上げている姿に常に“自身の意志”が強く表れているところがよく、また、妻に対する負い目を感じさせることも胡坐をかくこともないホーキングの姿が好もしい。そして、ALSを発症した夫との間に三子をもうけて育てたのちに、若き時分の自身が求めた学位をきちんと取得したらしいジェーンに恐れ入った。彼女なくしてホーキングの学位・業績はなかったに違いない。原題「万物の理論」を「博士と彼女のセオリー」にした邦題になかなか含蓄があるのだが、そのセオリーとは何だったかを感じ取ってもらいたい作品だ。

 併映の妻への家路は、高知では王妃の紋章['06]を最後にすっかり上映されなくなっていた巨匠チャン・イーモウ監督の新作だ。中国共産党から反政府分子として追放された知識人の夫との十七年ぶりの再会を、事もあろうに実の娘の告発による逮捕で引き裂かれた馮婉玉(コン・リー)が、夫の識別だけ出来ない心因性記憶障害を病んでいた。わずか三歳のときに別れたきりの父親のせいで苦労させられたと思っている年頃の娘だったにしても、何とも酷な話だ。それだけに、追放から二十年後の“名誉回復”によって帰還した父が書いた母への手紙を読んで娘の丹丹(チャン・ホエウェン)が涙する場面に心打たれた。

 父母娘それぞれに悔やんでも悔やみきれない悔恨があるわけだが、本当に責を負うべき者は彼ら個々人ではないことがあまりに明白で痛々しい。そのようななか、誰の何が悪いというのではなく、必要なのは、関係改善に向かおうとする意思と、そのための互いの赦しと寄り添いなのだということがしみじみ伝わってきた。

 それには、誰が妻であり夫であるのかをきちんと思い出し思い出させる“言わば歴史認識”の一致さえも超越しなければならない覚悟と必要があることを明示していたエンディングに、本当に恐れ入った。歴史的過ちの残した禍根には、ここまでの代償が求められるということだろう。その被った傷跡から目を逸らしたり、なかったことにしたりせず真摯に向かう家族の到達した魂の気高さに刮目していただきたい。
by ヤマ

'15. 9. 9. 高知新聞「第177回市民映画会 見どころ解説」



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