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劇場等での「マスク着用義務付け」に思うこと。 | |||||
間借り人の映画日誌 | |||||
演劇、音楽、映画といった芸術鑑賞機会提供事業者が、集客施設であるということで休業していた再開後のコロナ対策として、観客にマスク着用を義務付け、非着用者への入場拒否やその場でのマスク購入を求めることが一般化しつつあるようだ。そのことへの違和感が拭えず、いくつかの事業者に意見具申をしてみたところ、内閣府HPの新型コロナウイルス感染症対策の頁にある「業種ごとの感染拡大予防ガイドライン一覧」というコンテンツに掲載されている芸術鑑賞機会提供事業に係る各「業種ごとの感染拡大予防ガイドライン」でも推奨、周知に留まり、マスクに限って観客に義務づけて徹底させる記述はないということもあり、着用の徹底ではなく、飛沫感染予防についての注意喚起の徹底に変え、購入は求めず提供にしたところもあれば、非着用者には退出を求めるとするところもあったりで、さまざまだった。 新型コロナウィルスに関して現在わかっている範囲で示されている知見、また、3密と呼ばれるものの中身からして、そもそも黙って観賞することにおいて、マスク必着は合理性を欠いている気がしてならない。注意喚起は、いい。マスク着用を訴えることで飛沫感染への注意喚起をし、みだりな会話や放言を抑制する効果については僕も、なしとはしない。 だが、注意喚起を超えた義務付けは、それに足るだけの納得をもたらす合理的説明がなければ、安易に出すべきものではないように思う。理解、協力にとどめるべきことだ。接触感染防止策としての手指消毒には合理性があると思うので、異議は唱えないし、むしろ徹底するならこちらだろうと思うが、声高に要求されるのがひたすらマスクであることが不可解でならない。また、社会的距離の確保以外の飛沫感染防止策が「マスク着用」のみであることにも違和感を覚える。 マスク着用は、もともと対面エチケットですらなく「咳エチケット」の一つの方法として示されたものにすぎないのに、メディア(主にTV)やネットで煽られたことからもたらされた過剰反応のなかで「目につきやすい」「TVで扱いやすい」ゆえに騒ぎ立てられ、これによりさして必要もない人々が購入に殺到したため、本当に必要な施設や医療機関での調達困難を引き起こし、異常な高騰や供給不足による資材欠乏が院内感染を生じさせた面もある「愚行の象徴」とも言うべき行動規範だと僕は思っている。(愚かなのはアベノマスク施策だけではない。) ただ、過剰反応であるがゆえに圧力と化したことによって、注意喚起効果は抜群だったので、WHOも当初は、感染防止効果はないと言っていた市中でのマスク着用(とりわけ布マスク)に対して、“啓発効果”を認めて「推奨」を否定しないという態度から、さらには推奨する側へと転じるという経過を辿ったように感じている。 大事なことは、マスク着用を徹底することでは決してなく、飛沫感染の予防というかリスク減少なのだから、当日、持参し忘れた人には、マスクを売りつけたり、入場拒否をするのではなく、「ものを言う際にはハンカチなどで口元を覆ってくださいね」と記したカードでも示すほうが理に適っている。だいたい劇場での感染リスクなど、その発語機会や共用物への接触頻度からして、病院や職場、スーパーなどの量販店よりも断然低いはずなのに、なぜこれほどの圧力が掛けられるかと言えば、「芸術観賞など、不要不急の代物だから」の一語に尽きるような気がしてならない。 でも僕は、コンサートホールでの音楽、劇場等での映画鑑賞や観劇は「不要不急」のものだとは思っておらず、それらによって培われた良心の自由は、単に内心のみならず、公共の福祉のかねあわせのなかで外形的にも最大限保証されなければならないものだと思っている。そして、スマホを持たない自由、マスクの装着に拠らない感染防止策を講じる自由(例えば、愚行の象徴に替えて僕がよく行っている「首にタオルをかけておいて話をする際はタオルで口元を覆う」とか)、それらは、多少顰蹙を買う側面はあっても、僕は公共の福祉や不安軽減の名の元に抑圧されても仕方のない自由だとは思えない。飛沫感染防止策としてのマスク着用ではなく、他の客からの苦情軽減やら他の客の不安軽減のためのものとして「必着」とするのならば、尚更だ。 僕が職場で日々乗り合わせるエレベーターでは黙って立っているマスクをしている人、していない人、両方いる。僕は、マスクは着けてないけれども、決して指で行先・開閉ボタンを触ったりせず、原付のキーの先でしかボタンを押さない。でも、「マスクを着けてるくせに、指で直にボタンを押す人」を咎めたりはしない。また、彼らも「エレベータに乗るならマスクをつけろ」とは僕に言ってこない。それぞれが、それぞれの考え方に基づいて、それなりに密空間での感染防止に配慮しているのは、顔見知りと乗り合わせても目礼しかせずに、誰も言葉を発しないことから明白。こういうことが、ノーマルな姿だと僕は思う。それでも、自分の流儀と異なる人と乗り合わせることが許容できないなら、やはりエレベーターに乗ることを諦めて、階段を上がるなり、出勤自体を回避するよりほかない気がする。 要は、「風紀が乱れるかもしれないと不安がる父兄がいるから、全員が黒髪ストレートにして登校することを義務付ける」という校則みたいなことをしないでほしいということだ。マスク着用しか入場を認めないので従えというのでは、ファシズムと同じではないかと思う。何のために何が必要で、個々の民の実情に沿っていくのが民主主義の考え方の根幹であり、それとは全く反対の姿を露呈させるようでは、多様性や希少性をこそ楽しみ味わう芸術鑑賞機会提供の本旨にもとるという気がしてならない。 なぜ堂々と「スタンディングのライブスポットと違って、騒ぐことなく静かに一方向を向いて広い空間で味わう鑑賞による感染リスクは、通勤電車に乗ることや会議、カラオケなどの集まりの場に比べても、圧倒的に低い」と主張しないのだろう。観客の不安の解消に向けてするべきこととして、TVメディアやネットが煽る劇場バッシングに毒されないよう促す啓発の視点が、何ら示されないままなのが大いに不満だ。 それどころか、「不要不急の代物に人を集めるのなら」といって過剰な規制(職場や買い物に比べて)を掛けてくる風潮におもねり、忖度するばかりか、まさに同調して「義務づける」などという物言いを何故するのか、どうしても納得ができない。(推奨、注意喚起については吝かではなく、むしろすべきだと思う。もっともそれは、マスクも排除しない、感染防止のための発語抑制なり口元覆いと手指消毒なのだが。) 上記の内閣府HPの新型コロナウイルス感染症対策の頁にある「業種ごとの感染拡大予防ガイドライン一覧」というコンテンツの7/13更新の「業種別ガイドラインについて」に掲載されている「緊急事態舞台芸術ネットワーク」「全国興行生活衛生同業組合連合会(映画館)」のガイドラインを参照してみると、舞台芸術、映画鑑賞、いずれのガイドラインにおいても「マスク着用」は周知だったり推奨であって、義務付けてはいない。少なくとも当日の入場規制要件ではない。対面応対する従事者(従業者)に対しては徹底実施が求められているけれども、一日中いるわけではない入館者には、そこまで求めてはいない。実際、マスクをして観賞すると、黙って座っているだけに余計に装着感が気になって画面や舞台に集中できず、苛立ってきて著しく観賞力が損なわれてしまい、不全感が残ってきちんと観た気になれない。 これから夏場を迎え、気温が高くなってくれば、マスクを持ち合わせていない人も増えてくる気がする。今でさえ、マスクをつけて歩くと、僕のような汗かきはマスクで覆われた口周りが汗ばんできて「拭きたい掻きたい、だけどもマスクが…」というような具合だから、かなり我慢を強いられている感じが強く残る。そういったことで、マスクを持ち合わせていなかったり、持参を忘れた人との現場での口論といった形での、発語どころではない飛沫感染リスクの増加を招く“本末転倒”が起こりそうな気がする。 ちなみに「緊急事態舞台芸術ネットワーク」のガイドラインには、 「施設管理者や公演主催者は、劇場・ホール等における下記の特徴を踏まえて、以下の具体的な対策を講じていくよう提唱します。 a)各種法令等により高機能の空調設備の整備が義務付けられており、強制的な機械換気が可能。 b)公演中は、来場者は一方向を向き対面による会話等が原則想定されない。 c)原則として座席が設置されており定員数も明らかなため時差式の規制入退場等も可能。」 といった記述もあって、会議やカラオケなどの集まりの場に比べて感染リスクが低いことを控えめに主張しているのだが、僕が見知っている事業者の示したものに、この部分の記述はなかった。 参照サイト:「全国興行生活衛生同業組合連合会」公式サイト https://www.zenkoren.or.jp/ 参照テクスト:2020年10月上旬に交わした談義の一部の編集採録 (追記)'20.11. 2. 映画観賞中のマスク着用義務付けには、上記の通り、かねてより疑問を感じていたところに、僕が観に行く前から「マスクをして来場、鑑賞して下さい。すいません。」との通告をしてきたオフシアター事業者があったので、「感染防止ということなら、タオルで口を覆ってということでも布マスクとさして変わりないのに、ダメなのか」と確認をとるとダメだという。併せて「マスク着用以外の飛沫感染防止対応がどういう理由で差別されるのかなぁ。布マスクとさして変わりないのに…。」とつぶやくと、事業者としての活動を守るためだとの答えが返ってきたので、映画館でもそこまで厳密にマスク着用を求めてこないのに、客側が何も考えていないならともかく、それなりの対応してきても何ら考慮しないで、マスク着用の徹底にどうしてこだわるのか訊ねてみた。 他所とは事情が異なるという以上の明確な答えは返ってこなかったが、常々マイノリティの権利や生き方の多様性を訴えるような作品群を上映してきているところだっただけに、事業者活動の方針としてマスク着用以外は一切認めずに「協力」の名の元に強制してくるのかとの問い掛けに対する否定をしてこなかったことに、いささか眩暈を覚えた。 全興連の示したガイドラインが理由なら抗弁のしようもあったが、事業者活動の方針として決めたことだからと代表者から言われれば、残念ながら仕方がない。一般的にも一見さんお断りの店があったり、ドレスコードを敷いている店があったりするように、「ワタクシ事業者」なれば、それはそれとしてその“事業活動の自由”は尊重されるべきだから、客の側の“選択の自由”として、それに従ってサービス提供を受けるか、それには従いたくないとしてそのサービス提供を諦めるほかなくなるわけだ。だが、本来の目的に対する個々の状況を何ら考慮せずに、全体的に一律の規律統制を図るというのは、まさに全体主義の権化のように思えて、眩暈を感じたのだった。 僕とは旧知の事業者としても、何も好き好んでそういうことを言いたかろうはずはないのだが、何が彼をしてここまで言わせるように仕向けているのだろう。 思えば、全興連の出した「映画館における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」が9/19に改訂され、<上映当日の対策>として、「来館者の入場時の対応」の入場取りやめ要請の場合に、【⑥マスクの着用にご協力頂けない場合】という項目が新たに追加され、「来館者の感染防止策」において、それまで「マスクの着用、定期的な手洗いや手指消毒を推奨する」だったものが「マスクの着用の徹底、定期的な手洗いや手指消毒を推奨する」となって、マスク着用に関してだけ推奨から徹底に改訂されたうえで「ご協力いただけない場合は個別に注意する」との文言が追加されたことに忠実に対応しているのだろう。全興連に加盟している地元の劇場では、9/19の改訂によって現場での取り扱いに何ら変化は生じていないけれども、真面目な事業者ゆえに律儀に彼は、前もって通告してきたに違いない。 だが、そもそもこの改訂たるや、【クラシック演奏会など“満席”容認へ 政府が新方針(2020年9月11日)】と報じられた際に映画館という業種が挙がっていなかったように、乗り遅れていた業界が大慌てで、マスクを「推奨」から「徹底」に変えますからということで加えてもらったのだろうと僕は観ている。このニュースを観たとき、「こんなことに、なぜ半年以上もかかるのか!」と憤慨したのだが、しかも大向こうから声を掛ける歌舞伎や“ブラボー!”を大声で連呼するのが習わしのクラシックコンサートがOKで、なぜ映画館がまだなのかと、すっかり呆れた。まるでオトモダチ仲間のおっさんたちが、お連れさん構えて行くお楽しみだけ解禁しようというような内輪的な事情しか考えていないことが透けて見えると感じた覚えがある。 そうして、媚びて加えてもらって100%キャパで券売を始めたら、ポップコーンなどの飲食物販をするのならダメだという後出しじゃんけんのようなことをされて、それだと商売にならないということで、元々満席アベレージで興行できていなかった大手シネコンは、100%キャパ券売よりも飲食物販売のほうを取って、半減席数販売に戻してしまった。残ったのは、マスク着用「推奨」から「徹底」へのガイドラインだけ、というような代物だ。 知り合いのミニシアター経営者は「おしゃべりしない場合、マスク着用はいりません。」と明言していたが、彼も書いていたように「いかに、ガイドラインがいい加減」なものなのか、ということなのだ。全興連や劇場のお偉いさんは、客席で二時間ずっとマスクして観賞したことなど、ないのではないか。商売にしている人ほど、客席とは違うところで観て済ませているとしたものだから、そのときはマスクを外しているに違いないという気がする。 映画をちゃんと客席で観たこともない者が、ろくにエビデンスも示さないままに机上でルールを決めたりしているから、現場を知るミニシアター経営者から、いい加減なガイドラインと言われ、「いまだ、これに支配されている」と嘆かれたりしているわけだ。しかも、興行館と違って場内飲食など従前から制限してきているオフシアターでも、という有様が残念でならない。 所詮は興行館向けのガイドラインであって、しかも法定義務ではないのだが、今のマスク・ファッショが法定以上の脅威となっているのは何故なのだろう。圧倒的に死者数が多いはずの交通事故に関連する“法定”制限速度に対する人々の感覚のありようからすると、驚嘆すべき程の厳密さで、規律統制したがる向きの多いマスク・ファッショというのは、本当に異常だとしか思えない。本来の目的は飛沫感染防止なのであって、マスク着用規律による統制が目的になっていいはずがない。 | |||||
by ヤマ 20. 7.20. | |||||
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