『ネットと愛国~在特会の「闇」を追いかけて』を読んで
安田浩一 著<講談社>


 2007年1月20日に設立された(P40)との「在日特権を許さない市民の会(会長:桜井誠)は、僕がその存在を知った時点では既に、驚くべきヘイトスピーチによる街宣活動を展開していて、何故こんなものが日本に出現するようになったのだろうと呆然とした覚えがある。

 耳にするだに気分が悪くなるので、あまり触れないようにしていたが、彼らのような街宣活動こそしないけれども、身近な知人たちからも驚くような排外主義的な意見や国家主義的な発言が見聞されるようになってきて、薄ら寒い気分に見舞われるようになった。最初にそういう驚きを味わったのは、もう二十年くらい前のことで、所謂“拉致問題”について、それまで政府が家族からの陳情を無視し続けていたなかで、当時の官房副長官だった現首相が露骨に政治的利用を始めた頃だった気がする。当時まだ若い二十代の真面目そうな青年だった職場の後輩が、思いがけない過激な意見を事も無げに述べたことに仰天したものだ。

 だが、あのときのレベルとは凡そ比較にならない酷い状況に今やなっているなかで、在特会の出現は非常にシンボリックにも映った。だから、エピローグに私は在特会やその周辺にいる者を糾弾するために取材を続けてきたわけではない。論争で彼らを打ち負かしたいと考えているわけでもないし、その力量もない。人を善意の道に導くだけの術を持っているわけでもない。そもそも私が善意の人間であるという保証はない。 だから――。 私は知りたかっただけだ。それはけっして理解でも同情でもなく、ただ、在特会に吸い寄せられる者の姿を知りたかったのだ(P357)と記している著者のスタンスに共感を覚えて手にしたのだった。

 プロローグにやりきれなかったのは、…街宣参加者のなかに、まだ21歳になったばかりの、顔なじみの青年の姿を発見したことである。…彼自身は日本国籍だが、彼の亡くなった祖父は在日韓国人だった。鶴橋には多くの親戚が住んでいるのだと話していたことがある。その彼が、他の参加者とともに拳を振り上げていた。朝鮮人は出ていけと叫んでいた(P7)と記されていたことに驚きながら、この在特会現象というのは、いったい何なのだろうと思わずにいられなかった。

 いくら昨今の糾弾対象は「在日」のみならず、外国籍住民全般や韓国、北朝鮮、中国といった同会いうところの「反日国家」、さらには、それらに融和的とされる民主党政権にも及び、日本各地でデモや街頭宣伝といった精力的な抗議活動を展開している。数百人規模の動員力を見せつけることも珍しくない。罵声怒声を響かせながら徹底的に「ハネる」(運動用語で「挑発を繰り返す」)のが彼らの街宣の特徴だ(P21)という形になっているにしても、同会が最重要の政治課題にとして掲げているのは在日コリアンの「特権剥奪」だ。日本は長きにわたって在日の犯罪や搾取によって苦しめられてきたというのが、同会の“現状認識”であり、日夜、「不逞在日との闘い」を会員に呼びかけている(P20)団体なのだから、只ならぬ驚きだった。

 そうしたら、在特会広報局長の米田隆司(49歳 本書刊行[2012年4月]当時、以下同じ)が、ネット言論が大きく、“右に振れた”要因として(いずれも2002年の)「日韓ワールドカップ」と「小泉訪朝」をあげ(P44)ていた。著者が取材した在特会会員の多くも“右ブレ”の理由としてワールドカップを真っ先にあげている(P45)そうだ。当時の「2ちゃんねる」では、韓国選手やサポーターの一挙手一投足をあげつらったスレッドが乱立、いわゆる「祭り」状態となっていた。韓国側のナショナリズムにあおられ、日本人の一部もまた、眠っていたナショナリズムが刺激された側面はあったように思う。(P45)と述べている。また、「小泉訪朝」については、もっとわかりやすい。これによってはじめて北朝鮮政府は拉致事件の関与を公式に認めた。在日コリアン社会にも震撼を与えたこの国家的犯罪に対して、憤りを覚えなかった日本人は稀であろう。当然、ネット掲示板は北朝鮮に対する悪罵と怨嗟の声で溢れることになった(P45)としている。そして南(韓国)のナショナリズムと北(朝鮮)の犯罪――を目の当たりにして、朝鮮半島だけでなく、在日コリアンに対しても、さらには日本と朝鮮半島の歴史的関係についても、庶民感情のなかで「見直し」が進んでいく。 これが米田の言うネット言論の「エポックメーキング」である(P46)と記している。

 そして、2005年に発売され「ネット右翼」にとってはバイブルともいうべき作品となった漫画『嫌韓流』(山野車輪 著)などによる嫌韓ムーブメントや2009年4月に行われた「カルデロン一家追放デモ」など(P61~P77)によって勢力拡大を果たしていく。その際、もっとも有効に作用したのが“動画”のようだ。なかでも在特会の“専属カメラマン”として、これら多くの動画の撮影をしてきた(P332)松本修一(34歳)を著者は在特会の会員ではないが、同会にとっては最大の功労者と呼んでも過言ではないだろう(P332)としている。

 それにしても彼らの物言いには日本が朝鮮半島を植民地支配したという歴史認識も、旧宗主国としての責任も、すっぽり抜け落ちているように思える。いや、在特会の認識としては、そもそも“植民地支配”などというものは存在しない。ましてや「強制連行」や「従軍慰安婦」などは、左翼勢力のデッチ上げにすぎない。戦前、戦中、日本は朝鮮半島のインフラを整備し、近代化を手助けし、教育の復興に力を注いだ。であるのに、その恩を仇で返すのが韓国・北朝鮮両国であり、在日コリアンはその影響下に置かれた手先、寄生虫だ――というのが彼らの主張である(P53)というなかで、在特会の会員は、どれだけ薄汚い罵りの言葉を口にしても、加害者としての意識など微塵も感じていない。うしろめたさもない。むしろ彼らは自らが「被害者」であることを強調する。若者の「職が奪われる」のも、生活保護が打ち切られるのも、在日コリアンといった外国籍住民が、福祉や雇用政策に“ただ乗り”しているからだと思い込んでいる。自らを「被害者」だと位置づける者たちに、外国人を略奪者にたとえるシンプルな極論は一定程度の説得力を与える(P55)となるのは、なぜなのだろう。次々とマイクを握る会員たちの声や表情から垣間見えたのは、怒りというよりは、得体の知れぬどろどろした憎悪のようなものだった(P57)との記述に心底きもちが悪くなった。

 新右翼団体「一水会」代表の木村三浩は…彼らが登場してきた背景としては、不安定労働が激増し、世の中もギスギスして、やるせない不安やストレスを抱えた若者が多く生み出されたことだ。彼らがそのはけ口を求めて弱い者を攻撃しているのだろうかとする論を左翼系の「人民新聞」に寄稿(P65)しているようだが、そういう面もあろうとは思うものの、それで了解できるレベルの愚劣さではないように感じた。

 ところが真実――在特会に関係する者の多くが好んで使う言葉の一つだ。「真実に目覚めた」「真実を知った」リソースとなったのは、いずれもネットである。新聞、雑誌、テレビによって隠蔽されてきた真実が、ネットの力によってはじめて世の中に知られることになった。そして目覚まし時計で叩き起こされたときのように、ハッとして起き上がり、それまで見えてこなかった日本の風景を彼らは目にする(P71)らしい。
 そして、なかでも在特会の動画は、私に強い危機感を与えてくれました。…このまま中国や韓国の言いなりになってしまったら、日本が植民地化されてしまいます(P74~P75)と本気で信じ込んでいる者が少なからずいるという。

 既存の右翼勢力に参加するのがだめで在特会でなければならない理由は秋葉原界隈に普通にいそうな若者たちが集団となって激しい罵声を投げつける。こうした光景のほうが、よほど不気味だろう。藤田(正論北海道支部長 30代後半)が口にする「インパクト」という点でも申し分ない。参加するにもハードルは低い。入会の誓いや儀式があるわけじゃない。パソコンで入会フォームを立ち上げ、ワンクリックで送信。これで会員だ。在特会の急成長を促したのは、覚悟も踏ん切りも必要としない、こうしたバリアフリーな入り口(P81)にあるようだ。

 とはいえ、おそらく中国とのパイプを持つ政治家というだけで、小沢(一郎)は十分に左翼なのだ。こうした乱暴な左右の区分けが、昨今のネット言論の特徴(P82~P83)で、演説中、…「これを読め!」と手に掲げていたのが日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」だった(P87)りするような彼ら彼女らが欲しているのは、実証確認ではなく、「野蛮な隣国」を激しく面罵する、力強い言葉なのだ(P90)という連中の解決を求める運動ではなく、むき出しの排外主義が人々の憎悪を煽り立てるようになった(P108)活動が、決して少ないとは言えない人々の支持を集めたことが恐ろしく感じられた。

 そして、集団になると激烈極まりない彼らが個々人として相対すると、ごく普通の人々であることを丹念な取材で浮き彫りにしつつ、街宣に参加していた一人は、後日、私にこっそりと打ち明けている。「いま振り返ればバカなことをしたとは思う。ただ、あのときは、なぜか自分のなかで憎悪が燃えていた。朝鮮人のせいで日本人が苦しんでいるのだと本気で憤っていた。」(P99)と記されているのが印象深かった。こういうところがホントに怖いというか、人間というのは哀しい生き物だと思う。

 しかもそれが中身の是非はともかく、彼らがそれぞれに「怒り」を抱えていることを私は知っている。人によってそれは自身のすべてをなげうってもいいと思えるほどに重要な問題であり、そして切実だ。彼らの多くはけっして数合わせのために「動員」されているわけではないし、誰かに押し付けられて運動に参加しているわけでも、ましてや参加者に日当が支払われているわけでもない。ある意味、「草の根」という言葉がこれほどふさわしい組織も他にあるまい。…その点において、在特会会員の大半が「真面目」であることを私はけっして否定しない。それがどんなに不快で滑稽なものとして私の目に映ったとしても(P85)と記されるような集団であることに遣り切れない思いが湧いた。

 2010年1月、同4月の「京都朝鮮学校妨害事件」と「徳島県教組乱入事件」でついに逮捕者を出した在特会が自らの団体名にも掲げ、彼らの“正義”を担保するために信じている…「在日特権」なるもの(P193)とは、具体的には①特別永住資格、②朝鮮学校補助金交付、③生活保護優遇、④通名制度、とのことだ。だから「自分は社会から守られていない」と感じる層にとって、在日コリアンに与えられた補完的な権利が「手厚い庇護」に見えたこともあったかもしれない。彼らにとって在日とは、既得権益に守られた特別な存在に映ったのだろうか。しかし、繰り返すが、調べれば調べるほど、彼らが「特権」だと非難するような権利は、少なくとも、私たち日本人が当たり前のように行使しているものであり、日本人が羨むほどの内容ではないのだ(P211)ということになる。

 そのほかネットで検索して挙がってくる「在日特権」の代表的なものは、水道料金の免除、NHK受信料の免除、通勤定期の割引、マスコミにおける在日採用枠、固定資産税の減免、自動車税の減免、公営交通の無料乗車券交付、公務員への優先雇用とのことだが、結論から言えば、どれもこれもまったくのデマ、神話の類だった。…このような「在日特権」のデマは、何の検証もなしにネットでどんどん拡散されていく。それを見て「真実を知った」と衝撃を受け、在日を憎む人々が増えているのだ(P215~P216)と述べられているのを読んで、暗然たる気持ちになった。

 これだけの衆愚を招いたものとは、いったい何なのだろう。ついには著者も在特会は絶対に認めることはないだろうが、彼らが憎悪する「特権」の正体とは…在日社会が持っている濃密な人間関係や、強烈な地域意識。それは、今日の日本社会が失いつつあるものでもある。個々に分断され、ネットを介してでしか団結をつくりあげることのできない者たちにとって、それこそ眩いばかりの「特権」にも見えるのではないだろうか(P222~P223)と述べるに至っていた。

 '70年代前半の学生時代、新左翼党派の活動家として関西の学生部隊を率い、三里塚闘争(成田空港反対闘争)にも参加したとの中村友幸(57歳)は、在特会が権力と闘っているとみて2009年から参加するようになりながら、前記「京都事件」をきっかけに離れた元会員だそうだが、2011年9月のインタビューに応えて他者という存在を認めないばかりか、仲間内の忠告さえ耳に入らない。ネットで拾った、ツギハギだらけの論理をごくごく狭い身内で共有しているだけ。これは暴走していくしかないだろうなとその頃から感じていました(P230)と述べていた。これは、もちろん在特会について語ったものだが、現政権の憲法解釈もこれと全く同じではないかとぎょっとした。

 第6章「離反する大人たち」で著者は、「主権回復を目指す会」という右派系団体のリーダーで、激烈なアジテーションを持ち味(P145)とし、桜井誠に「行動スタイル」を伝授(P236)した西村修平(62歳)を桜井の「育ての親」とするならば、ネット上の「論客」にすぎなかった桜井をテレビカメラの前に引っ張り出し、カリスマに仕立て上げた功労者である「チャンネル桜」社長の水島総(62歳)は「生みの親」と呼んでもいいだろうと述べている(P240)のだが、中村も水島もかつて学生運動に携わり、西村も文革支持派の日中友好協会に加入して毛沢東の著した『実践論』を読み込み今なお「僕のバイブルみたいなものですよ」などと言う人物だということが興味深かった。その三人がそろって「在特会には思想がない」だから在特会は保守でも右翼でもないのだ(P245)という見解を示したそうだ。それに対し、むしろその点こそが在特会が運動を広げる原動力になったのではないか(P245)とする著者が、彼ら3人がそれぞれ体験した60年代から70年代にかけての学生運動と重ねあわせ(P246)て述べていた見解が面白かった。

 この章のインタビューで最も面白かったのは、新右翼団体「一水会」代表の木村三浩らによって設立された先鋭的な活動で知られるとの新右翼組織「統一戦線義勇軍」の議長を務める針谷大輔(46歳)に在特会について訊ねたときの答えの在日特権というのであれば、まずは何よりも槍玉にあげるべきは在日米軍だろうにねぇ(P248)だった。

 しかし、著者が意見の異なる他者を片っ端から「朝鮮人」「左翼」だと決め付けることで、どうにか自我を保っている人々に対して、私は何も反論する言葉を持たない。語彙の乏しさと貧困な想像力を憐れむだけである(P273)と述べる在特会が、その勢力拡大時には多額の寄付金を集めているとのことにまたしても驚いた。H18年度:156万、H19:172万、H20:307万、H21:703万、H22:1543万で、しかも「活動には参加できないが、せめて活動費用だけは支えたい」と考えている、ごく普通の無名の一般人からの小口寄付による支えが大きかったようだ。一般の市民団体で、不特定多数から年間100万円のカンパ金を集める組織など、そうあるものではない(P263)との著者の弁に同感だ。改めて日本社会は、とんでもないことになってきているような気がした。

 なかでも驚いたのは、「日本にクーデターを!」と人里離れた山奥でエアガンを携えて20名ほどの迷彩服集団による「粛清訓練」と称する月に一度の活動を実施しているとの「よーめん」なる40代半ばという人物についての記述(P170~P178)だった。同志を糾合し、武装した親衛隊員を募り、将来的には右翼勢力によるクーデターを目指すと訴える彼のブログは一部に熱狂的なファンを持つ(P171~P172)のだそうだ。その彼がインタビューに答えて、「愛国」に目覚めたきっかけについて高校時代に地元の映画館で観た『宇宙戦艦ヤマト』。このアニメが私のすべてを変えたんです…ヤマトを観たことで、僕は愛国者になったんです(P177)と言ったとのことだ。ネームバリューや組織人員の多さから、とかく在特会ばかりに注目が集まるが、在特会以外にもこのような組織――「在日」「シナ人」「民主党政権」などを仮想敵と見なし、ネットを重視しながら街頭での過激な活動を活発におこなうような組織――はいくつか存在している。同じ「行動する保守」に属する他団体と“共振”し、互いに影響を与え合うことで、一種の保守ムーブメントがつくられていったというのが実情であろう(P153~P154)などと述べられていた。

 さればこそ、実はネット空間は、もともとリベラルなアカデミズムによって独占されていた時期もある。…かつて大学の研究室のなかで主に運用され…大マスコミで流通されることのない“現場発”の言葉が、研究者によってネットへ流されたのである。それはいかなる検閲も制約も受けることのない自由な言論――つまりカウンターカルチャーの一種であったのだ(P350)というものが、'90年代からのパソコンや携帯の普及に伴うネット空間の大衆化によって、ネットの世界に論理ではなく感情が持ち込まれ、学者や研究者は旧来的な議論には慣れていても、感情の応酬にはついていけなかったのである。よく言われることだが、ネット言論は“激しさ”“極論”こそが支持を集める。彼らはそうした“大衆的な”舞台から降りることで、いわばネット言論をバカにした。いや、見下した。結果、大衆的、直情的な右派言論がネット空間の主流を形成していく(P350)となったことが悔やまれる気がした。

 皮肉なものだ。フジテレビはもともと、反共財界人として知られた水野成夫(当時・文化放送社長)がニッポン放送社長の鹿内信隆らと設立したテレビ局である。共産党からの転向組である水野は財界入りした後も労組つぶしなどで手腕を発揮し、左翼色の強かった当時の日本のメディアのなかで、唯一の“保守系”テレビ局を目指したのである。それがいまや最大の「反日テレビ局」として指弾されるとは、水野が存命であれば卒倒したことだろう(P306)と記されたフジテレビバッシングには、当時、同様の趣旨から僕も非常に違和感を覚えた記憶があるのだが、在特会による「フジテレビ抗議街宣」に言及するなかで、ただし――ここは大変重要なポイントだが――こうした「反フジテレビ」のうねりをつくったのは、けっして在特会ではない。在特会はむしろ、その波に便乗しただけである。フジテレビや韓流番組への攻撃の主体となったのは、あくまでもネットによって触発された「一般市民」だった。…だからこそ、私はそこに、在特会という存在を生み出す、今日の日本の「土壌」を感じざるを得なかったのである(P306~P307)と述べていることが強く印象に残った。そして、この日のデモは、ネット掲示板「2ちゃんねる」で参加を呼びかけられたものである。呼びかけの中心となったのは「2ちゃんねる」ユーザーの有志であり、在特会など特定の市民団体、政治団体は加わっていない。…私たちは、ただただデモの規模に圧倒されていたのだ。…在特会のデモのような“刺激”は少ない。耳障りな罵声もほとんど聞こえない。乱闘もなければリンチもない。あまりに上品なデモだった。 正直に打ち明けよう。私はそこに、在特会以上の「怖さ」を感じた(P308~P310)との記述に共鳴せずにはいられなかった。

 著者がなにかを「奪われた」と感じる人々の憤りは、まだ治まっていない。静かに、そしてじわじわと、ナショナルな「気分」が広がっていく。それは必ずしも保守や右翼と呼ばれるものではない。日常生活のなかで感じる不安や不満が、行き場所を探してたどり着いた地平が、たまたま愛国という名の戦場であっただけだ。 ここでは敵の姿は明確である。韓国、メディア、そこへカネを貢ぐスポンサー、そしてこれらに融和する者。これらの者は日本人のためのテレビ番組を奪い、日本人の心を奪い、あげくに領土も富も奪いつくしているのだ。世の中の不条理は、すべてそこへ収斂される。その怒りの先頭を走るのが在特会だとすれば、その下に張り巡らされた広大な地下茎こそが、その「気分」ではないのか。…在特会は「生まれた」のではない。私たちが「産み落とした」のだ(P313)と記しているとおりなのだろう。

 だが本来、「奪われた」と感じる者の受け皿として機能してきたのは左翼の側だった。ところが、いまやその左翼がまるで機能していない(P345)のだ。それどころか前出の米田によればだいたい、左翼なんて、みんな社会のエリートじゃないですか。かつての全共闘運動だって、エリートの運動にすぎませんよ。あの時代、大学生ってだけで特権階級ですよ。差別だ何だのと我々に突っかかってくる労働組合なんかも十分にエリート。あんなに恵まれている人たちはいない(P56)とまで言われている始末だ。そんななか、在特会の草創期には、同会の関西支部長を務めながらもいまや「在特会なんて潰れてしまえ」とまで言うに至っているとの、保守系市民運動の草分けとして知られているらしい増木重夫(58歳)連中は社会に復讐してるんと違いますか? 私が知っている限り、みんな何らかの被害者意識を抱えている。その憤りを、とりあえず在日などにぶつけているように感じるんだな(P342)との弁に、彼らの街宣の酷さと見合わせて何とも情けない気持ちが湧いてきた。

 そして、巻末に記された週刊誌記者としてさまざまな事象を追いかけながら、世の中がなんとなく余裕をなくしているなと感じるようになったのは、'90年代半ばからである(P352)との記述に冒頭に述べた職場の後輩から受けた驚きとの符合を感じ、感慨深かった。雇用の流動化が進み、企業は正社員の割合を大幅に減らしていく。学校を卒業して普通に就職すれば、30代までに結婚して、子どもができて、いつしか郊外に小さな建売住宅を買うことができて、定年を迎えれば、そこそこの年金で孫に小遣いでもくれてやることができる――といったような未来は、限られた層にしか与えられなくなった。 あえて思い切った表現を用いるが、契約社員や請負といった非正規労働者は、基本的に「人間」として扱われていない。多くの企業にとって非正規労働者を担当・管理する部署は人事部ではなく、資材などを扱う部署だ。人間が、労働力が、資材の一つとして扱われる。そこから格差と分断が生まれる。何の「所属」も持たない者が増えていく。 そういった状況に自覚的であろうが無自覚であろうが、「所属」を持たぬ者たちは、アイデンティティを求めて立ち上がる。そしてその一部が拠り所とするのが「日本人」であるという、揺るぎのない「所属」だった。(いわゆる“愛国”は)けっして不自然なことではない。 この時期から、保守という立ち位置に自覚的な若者の発言が目立つようになった。「戦後体制」に、素朴な疑問がぶつけられるようになったのだ。…90年代半ばから目立つようになった戦後への疑問の声は、…明らかにトーンが違う。革命、維新への雄たけびというよりも、怨嗟の声だ。日本が、自分たち日本人が、こんなにも貶められているという、悲鳴にも似た響きを伴っていた。 草の根保守の源流ともいうべき「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されたのもその頃、1997年1月のことだ。歴史に「物語」を見出し、日本人の心を取り戻せと主張するこの運動は、多くの支持者を集めた。失われた「物語」を取り戻すことで、自信と希望をも手にしたいと考える人が増えた。それは「先進国・日本」の経済的没落と歩調を合わせていた。 「生きづらい世の中」をつくった戦後体制を見直せという叫びは、そのうち「敵」の姿を明確にし始める。国を貶める者たち――すなわち、左翼、外国人、メディア、公務員である。彼らは社会の「勝ち組」というよりも、混沌とする時代をうまく逃げ切った層に見えたのであろう。事実関係など、この際どうでもよい。恵まれ、あるいは保護され、世の中から認知されている者たちは、少なくとも生存競争を上から眺めるだけの者にしか見えなかったのだろう。 そうした空気のなかで在特会は生まれたのだった。(P353~P354)に大いに納得感を覚えながらも、本書に紹介されているように、在特会の副会長が東京工業大学を卒業した後、東大大学院に進み、現在は大手化学メーカーの研究所に勤めている…学歴エリート(P54~P55)だったりすることや、冒頭に記した(著者の言う“恵まれ、あるいは保護され、世の中から認知されている者たち”でインテリ層に属すると目される)身近な知人たちからも驚くような排外主義的な意見や国家主義的な発言が見聞されるようになっていることへの危惧については、腑に落ちないままだった。

 プロローグで目にとまった“祖父が在日韓国人の会員”からは、参加理由について確たる言質を得られていなかった(P140)が、著者が「在特会のお抱え映画監督」と呼んでいるとの朴信浩(48歳)そりゃあねえ、在日朝鮮人、日本社会から嫌がられるのも当然ですよ。僕も朝鮮部落に住んでましたけどね、とにかく貧しいし、ひどいところでしたわ。僕ね、88年にはじめて韓国を旅行したんです。現地の韓国人に何と言われたと思います? パンチョッパリ、ですよ(チョッパリは「豚足」を意味する言葉だが、豚の蹄は先が二つに割れていることから下駄の鼻緒を連想させ、それが日本人に対する侮蔑語となった。パンは半分の意味。つまり在日コリアンのことを言う)。僕からすればね、せめてトンポ(同胞)と言ってほしかった。韓国人はね、本音では在日をバカにしてるんですわ。そんな国、好きになれますか?(P329)との弁が心に残った。このこと自体は仄聞したことのあるものだが、だからといって在特会の側に寄るのかとの思いは拭えず、在特会現象の根の深さを垣間見るような気がした。


本書の構成
1 在特会の誕生(P15~)
2 会員の素顔と本音(P51~)
3 犯罪というパフォーマンス(P93~)
4 「反在日」組織のルーツ(P144~)
5 「在日特権」の正体(P187~)
6 離反する大人たち(P226~)
7 リーダーの豹変と虚実(P254~)
8 広がる標的[ターゲット](P283~)
9 在特会に加わる理由(P314~)

by ヤマ

'16. 5. 3. 講談社



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>