『八犬伝』
監督 曽利文彦

 日本文学史上最高の“虚”の物語と言ってもいいような八犬伝を“実”の物語である作者の馬琴の創作生活と交互に配して、同じく恨みと仇討ちを旨とする、忠臣蔵外伝たる四谷怪談と忠臣蔵を二日掛かりで交互に運ぶ舞台公演を配して対照する趣向は、山田風太郎による原作小説にもあった仕掛けなのだろうか。物語世界の構築の真底とも言うべき議論を舞台の奈落の底で、曲亭馬琴(役所広司)と鶴屋南北(立川談春)が交わす場面がハイライトシーンだったように思われる映画だった。

 鶴屋南北による挑発テーゼと渡辺崋山(大貫勇輔)による支持テーゼのなかで、揺れつつ苦闘しながらも創作を続ける馬琴が追っていたものこそは、伏姫(土屋太鳳)が飛散させた八つの玉のようなものだったのかもしれない。そして、そういった創造にかかる苦闘など超越して素描きの果たせる北斎(内野聖陽)を配している構成がまた鮮やかだった。なかなかのものだったような気がする。

 そして、“実”の物語のほうの配役の馴染みの深さと“虚”の物語のほうの配役の馴染みのなさとの対照がまた一際、虚実を感じさせてくれ、いかにも“虚”らしい画面づくりに納得感があった。ただ、ある程度『南総里見八犬伝』と接していなければ、筋立てが分かりにくいのかもしれない気がした。そのようななか、玉梓を演じた栗山千明がダークサイドキャラクターとして異彩を放っていたように思う。

 僕は、県の長寿手帳を所持する身にて十代の時分にNHK連続人形劇「新八犬伝」(1973~75)を熱心に視聴したクチながら、それに触発されて本作の原作などの小説作品やアニメーション映画などをいろいろと観てきたというわけではない。だが今回、これは山田風太郎の原作を読まなくては、という気になった。観たい映画も読みたい本も枚挙に暇なく、残された時間のなかで果たしてどこまで片付けられることやら、などと思った。
by ヤマ

'24.12. 1. TOHOシネマズ7



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