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『愛に乱暴』 | |||||
監督 森ガキ侑大 | |||||
エンドロールを観ながら、なるほど吉田修一の原作かと納得した。いわゆる悪人が独りも登場せずに不幸な状況に喘ぐ人々が描かれていたように思う。不幸な状況を生み出す犯人としての悪人など実際には滅多にいるものではないという人間観社会観が根底にあり、それは放火事案に対しても仄めかされている気がした。 初瀬桃子(江口のりこ)が存分に発揮していた怖さというものが彼女の個性というより、ある種、いまどきの女性に普遍的な部分のように感じられるところが痛烈だと思った。夫の真守(小泉孝太郎)が「妻はいつだって冷静だから」という形で表現するものが「君といてもつまらない…君が愉しそうにすると益々つまらなくなる」と洩らす部分に通底しているのは間違いない気がする。そしてそこにはおそらく、妊娠を盾に結婚を迫られ、前妻(「いつ子」だったと思う。)と離婚して再婚したのに、既に流産していた“悪意なき不幸な事実”が双方に横たわっていたように思う。 おそらく真守は、いつ子であれ桃子であれ、妻に対して抱く蟠りを家庭で露わにできずに、婚外に慰めを求めることで自分を「守る」男だから、三宅奈央(馬場ふみか)との間でも同じことを繰り返すわけだが、赤の他人の横断歩道での落とし物を追って届ける優しさと人の好さを備えてもいて、少なくとも桃子が今井桃子だった時分に勤めていた会社の上司で今や部長職に就いている鰐淵(斉藤陽一郎)ほどに、不誠実極まりないくせに好物の手土産だけはちゃっかり持ち帰るような姑息な人物ではないから、奈央に会ってほしいと妻に言ったりするのだろう。 桃子もまた、確信的に略奪婚だった自分とは違って、独りで育てることも考えたという奈央の言葉をそのまま真に受けるわけではなくても、きちんと会って詫びたいという思いから真守に促したに違いない奈央の言葉に偽りがないことは、実際に会って判っていたからこそ、飛び出した彼女の部屋の物音の大きさに、一瞬躊躇った後に踵を返したのだろう。あの辛かった流産に自分と同じように見舞われたのかもしれないことを気遣ったように見えた。職業を問われて少し間をおいて気遅れ気味に教員だと答えていた奈央の風情が印象深い。 桃子が繰り返し観ていた携帯の妊活グループのチャット履歴が、八年前の彼女自身のものであることが露わになった実家のクローゼット整理の場面には吃驚したが、奈央の存在を知る前も後も覗いていた彼女の心境はいかばかりだったのかと思うと、怖さよりも哀れが先立つ桃子だったように思う。隣接する離れは出て行った息子ではなく桃子に譲り、自分の住んでいる母屋は売り払うと言っていた義母(風吹ジュン)に先駆けて住まいを解体していた桃子は、既に実家には帰る部屋もないまま、離婚に応じることにしたのだろう。なかなか観応えのある作品だった。 | |||||
by ヤマ '24.11. 5. キネマM | |||||
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