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『嘘』を読んで | |||||
北國浩二 著 <PHP研究所> | |||||
映画化作品も素晴らしかったが、原作小説もまた実に見事な作品だった。映画化作品で最も感銘を受けた場面は、原作小説で「千紗子は安雄の背に深々と刺さった小刀を見たのだった。 安雄はまるでダンゴ虫のように体を丸めてうずくまったまま、動きを止めた。…拓未は蒼ざめた顔で、小刻みに身を震わせながら、うずくまった安雄をじっと見つめていた。 千紗子はひざまずき、安雄の首にふれた。しばらくそのまま頸動脈に指を当てる。それから、安雄の背に刺さった小刀の柄を逆手で握り、その手にもう片方の手を添え、奥歯を食いしばって小刀を引きぬいた。…引きぬいたマキリの小刀を頭上まで振り上げ、声をあげて振り下ろした。マキリが肉を裂き、骨を砕く衝撃が肩まで伝わった。 吐き気を催したが、めげなかった。ふたたび振り上げ、振り下ろす。マキリの刃が欠けても、やめなかった。犬養安雄の背を四たび刺しつらぬき、その背にマキリを突き立てたまま、千紗子は立ち上がった。」(第五章 死神 P306~P307)と綴られている場面で、原作描写にはない「彼女が魔斬り剣を握り直した姿」にぐっときたのだった。 それは、原作小説で「彼(弁護士)は千紗子の証言にはまだ嘘があると考えていた。 それは計五箇所におよぶ刺し傷についてである。そのうち一箇所は心臓を貫いていた。解剖の結果、この一撃によって即死したものと判定されたのだった。 弁護士は、最初に少年が刺した一撃で、安雄はすでに死んでいたのではないか、という疑念を抱いた。「あなたはそれに気づき、少年の罪を背負うために、故意に何箇所も刺したのではないのですか?」この質問に対して、千紗子は全面的に否認した。」(第六章 二人の影 P312)と綴られていることと同じものを想起させ、それが「拓未という鏡を得て、認知症が進みつつある父親への自身の臨み方への気づきを得ていた千紗子にとっての拓未の掛け替えのなさが沁みてきた。亡くした息子の単なる代償などでは決してない。ジュンとは別の拓未という息子であることが、彼女にとっての真実に他ならないと感じ」させてくれたからだった。 だから、原作小説に「心臓を貫いた一撃が少年によるものなのか、千紗子の手によるものなのか。これは量刑にかかわる重要な争点になる。」(同 P312)と記されているように「致命傷がどちらのものだったかが刑法的には重大事なのだろうが」と映画日誌に綴りつつ、「本件での判決も、誘拐ではなく被虐待児保護としたうえでの、殺人ではなく死体損壊との事実認定による執行猶予付きの罪とされるに違いない」としていたのだが、原作小説では映画と違って、少年が「ぼくのお母さんは、あの人です」(同 P319)と証言する場面がありながら、その前の「でも」はなく、「でも」の前にあった決定的な役割を果たす証言場面自体がなく、千紗子は「主文、被告人を懲役十年に処する。未決拘留日数九十日をその刑に算入する。」(同 P320)との刑が宣告されていた。 映画化作品が最も強く印象付けていたのは、千紗子と拓未が互いに決死の覚悟で相手を守ろうとする愛と意志の強さだったが、原作小説で最も強く印象付けられたのは、決して犬養洋一には戻らず、千紗子の息子拓未として生きる決意をした少年が、九年の苦節を経て果たす愛と意志の強さだった。どちらもそれぞれの媒体に即した表現によって力強く、感動的に描いていて大いに感心した。原作小説に「純を助けられなかった後悔を思い出さない日は、一日たりともなかった。そういうことだと思う。助けてあげられたのに助けられなかったという後悔を、新たにひとつ背負うことになったら、きっと生きてはいけないと思った。」(第二章 P95)とあった端緒をも遥かに超えたものになっていたように思う。 映画化作品を観た際に「今わの際に洋一を羨む呟きを残した安雄の台詞は少々あざとい気もしたが、原作にもあったものなのだろうか。」と記した件については、原作小説では、その余地が欠片もない即死となっていた。「千紗子の旧友である久江(佐津川愛美)による犯罪は飲酒運転までとしたもので、二人が少年と出会った事故は実は事故ではなく、田舎道にありがちな落石等の障害物に衝突して停めた先に、少年が倒れていたと観るべきもののような気がする」と記した件については、「道の左手はすぐ川で、右手には、落石防止のネットを張り巡らせた山肌がそびえ、…人影もなかった。…昨日、この道で二度も車を降りて落石をどかしたことを思い出し、千紗子はそのことを話した。」(第一章 帰郷 P54)といった言及はあるものの、明確にはされておらず、千紗子は検察側から「飲酒運転で子どもを撥ねておきながら、みずからの罪を隠蔽する目的で誘拐・監禁し、その発覚を恐れて、わが子を連れもどしにきた父親を殺害した。この一連の行状は、きわめて利己的と言わざるを得ない。また、その殺害においても、負傷した被害者の背中を何度も執拗に刺すなど、明らかな憎悪と殺意をもって凶行におよんだというほかない。残忍きわまりない犯行で、情状酌量の余地はないと考えるものである」(第六章 P312)と糾弾されていた。 もう一度、映画化作品を観直して、拓未少年(中須翔真)に会いたくなった。 | |||||
by ヤマ '24. 8.21. <PHP研究所>単行本 | |||||
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