『ウォルト・ディズニーの約束』(Saving Mr. Banks)['13]
監督 ジョン・リー・ハンコック

 公開時メアリー・ポピンズ未見だしと見送った作品だ。ようやく同作を観る機会を得て、女性参政権運動に勤しむ母親の姿に'60年代半ば当時の流行だったウーマンリブ運動を重ねたのではないかと解した部分をどのように描いているか確かめたくて観ることにした。図らずも近年とみに問題が顕在化している“原作者の脚本承認といった著作権の問題”に焦点を当てていることが目を惹いた。

 気安くファーストネームで呼ばれることを嫌ってトラヴァース夫人と呼ばせるパメラ・トラヴァースことヘレン・ゴフ(エマ・トンプソン)と、自身を指すわけではないファミリーネームで呼ばれることを嫌うウォルト・ディズニー(トム・ハンクス)の我の強い頑固者対決といった趣の作品で、ある種の尊大さと愛嬌そして懐の深さを体現していたトム・ハンクスの配役に感心し、我がままで厭味ったらしい偏屈さを遺憾なく発揮していたエマ・トンプソンに恐れ入った。かような二人に挟まれて仕事をする羽目になったスタッフたちの苦労はさぞかしと同情を禁じ得ない。大事なところはそこですかと夫人に言わずにいられなかったロバート・シャーマン(B・J・ノヴァク)に苦笑した。

 だが、ギンティを名乗るパメラの回想にあった父親トラヴァース(コリン・ファレル)の言葉にあった“魔女の手で馬に変えられた、よく笑う伯父さんの救出法”さながらに、魔女の如き“いちいち癇に障る女性作家”を幸せにする物語をウォルトが作ろうとした話であり、彼が『メリー・ポピンズ』の映画化に執心したのも彼女の書いた物語のなかに、彼が抱える亡き父への屈託と葛藤の思いが投影されているように感じたことが娘との約束以上にあっての二十年にも及ぶ執着だったとする秘話の仕立てに感心した。彼女にとってのメリー・ポピンズは、ミッキーマウスを売らないかと迫られたときの自分と同じだろうとリチャード・シャーマン(ジェイソン・シュワルツマン)に語るエピソードは創作に違いない気がするが、よく出来ている。

 メリー・ポピンズは苦境にあるゴフ家の手伝いに来たエリー伯母さん(レイチェル・グリフィス)ではなく、パメラが好きだった父親の姿だったことに意表を突かれた。トラヴァースが言い残すカネなんか信じるな、苦しむことになるといい、子供の銀行口座開設の話といい、2ペンスや梨嫌い、回転木馬のエピソードといい、あまりによく出来過ぎているから実話としての秘話というよりも、トラヴァース夫人が作り上げたバンクス家の物語同様に、映画『メリー・ポピンズ』を敬愛する作り手たちが秘話として創り上げた物語として受け取るべきもののように感じた。

 その意味でも『メリー・ポピンズ』の主題を「バンクス氏の救済」と解題している本作の原題には作り手たちの想いが込められていて、なかなかのものだと思った。そのうえで、劇中でトラヴァース夫人がなぜ愚かな女性参政権論者なのかと憤慨していたことからも原作にはないと思しき“女性参政権運動に勤しむ母親”という設定を、思いの外シンプルに母親が子供の世話を乳母任せにしている不自然の理由付けだと脚本家ドン・ダグラディ(ブラッドリー・ウィットフォード)に語らせていた部分についても、エンドロールに現れた現存しているらしきトラヴァース夫人とスタッフたちとの遣り取りの録音テープに実際に残っているものとは必ずしも言えないような気がしている。

 映画化作品のエンディングに流れた凧をあげよう(Let's Go Fly A Kite♪に合わせてトラヴァース夫人がドンとダンスを踊り、バンクス氏は凧を直したのね。気に入ったわ。上出来と言う場面は、本作のなかでも白眉のシーンだと思うが、実際のトラヴァース夫人は、シャーマン兄弟の音楽もドンの脚本も評価していなかったらしい。だが、それも彼女一流の強がりだったのだろうとしている作り手たちの想いの現れた、“トラヴァース夫人が映画化作品を観ながら涙しつつ、ウォルトの声掛けにそうじゃないの アニメが耐えられなくてと返しながらも♪凧をあげよう♪を口遊んでいるエンディング”だったように思う。確かに映画『メリー・ポピンズ』も本作も、とてもディズニー作品らしい素敵な映画だ。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
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by ヤマ

'24. 9.15. DVD観賞



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