『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』['75]
 (Jeanne Dielman, 23,quai du Commerce,1080 Bruxelles)
監督・脚本 シャンタル・アケルマン

 シャンタル・アン・アケルマンとクレジットされていたように思うシャンタルの名は、今や四十年前になる、僕が自主上映活動に携わり始めた時分にアッカーマンという名で記憶した覚えがあるのだが、肝心の映画は一作も観る機会を得ぬままに来ていたものだ。此度の上映会のチラシに、英国映画協会が十年に一度選ぶ史上最高の映画のベストワン作品として2022年に選出されたと記されていた。そこまでの作品とも思えないが、200分もの長尺を緩みない緊張感と忍び寄る不穏を湛えて映し出していて恐れ入った。

 何と言ってもジャンヌ・ディエルマンを演じたデルフィーヌ・セイリグの、実に透明感のある四十路シングルマザーの醸し出している存在感に見惚れていた。神経質なまでに小まめに消灯を繰り返す几帳面さが印象づけられ、飾り棚に収めた人形を拭くのも怠らないほどの綺麗好きで、ジゼルの淹れたコーヒーでないと飲む気になれず代金だけ払ってコーヒーショップを出たり、カナダに住む妹から贈られたコートのボタンを探して街中を巡るような拘りと融通の利かなさから、夕食が遅くなったから今夜の散歩は取りやめにしようと息子から言われても応じないような女性が、六年前に夫を亡くし、高校生と思しき息子(ジャン・ドゥコルト)を擁して、日替わりの固定客と思しき男を自宅に招いて日銭を稼ぐ売春を生業とするなかで抱えている屈託や胸中など、彼女の犯した殺人(とも限らぬが…)の動機以上に僕には窺い知れないのだが、演じたデルフィーヌにしても、血塗られた手のままで呆然と食卓に就いた状態で、延々と回っていたカメラの前でどう対峙していいのか、息も付けなかったのではなかろうか。観る側もまさに息を飲むような残酷なまでの長回しによるラストカットだった。

 一日目の夜に息子から両親のなれそめを訊かれて1944年に出会って、世話になっていた伯母の家の元をとにかく離れたかったからだと答えていたジャンヌの言葉と、彼女が足を運んでいた郵便局に貼り出してあった1975/74の文字と切手からすると、三十年が経過しているのだから、出会った当時、十七歳くらいだったわけだ。かなり若い年での結婚だったようだが、息子の宿題と思しきヴェルレーヌの詩を唱和し、ベートーヴェンのピアノ曲を口遊んだりする教養を備え、灰汁取りを怠らない調理やコーヒーの淹れ方のみならず、夫の死後も新聞購読を途切れさせない「きちんとした」佇まいと日替わり売春稼業のギャップが何とも哀しく映って来た。

 母親から結婚の動機を聞いた息子から、自分が女だったら好きでもない男と寝るのは考えられないと言われて、あなたは女じゃないからと返していた言葉と、二日目の夜に、亡夫が十歳の息子に夫婦の性の営みについて、子作りのためだけにしているのではないと教えていたことを聞かされて、嫌悪を露わにしていた姿が印象深い。息子の年がちょうど十七歳くらいだったから、子供も欲しくて結婚したという割にはその誕生は遅く、三十歳くらいでの出産という勘定になる。息子が子どもから次第に男になって行っていることへの嫌悪が自分のなかで湧き始めていることへの自身の苛立ちというものが根底にあったような気がする。

 一日目、二日目の客との性交場面は映し出されていなかったが、三日目の客との間の実に素っ気ない交わりのなかで見せていたような彼女の“髪に留まらぬ乱れ”というのは、ジャンヌ自身においても初めてのことだったのではなかろうか。そのとき息子の姿が去来していたかどうかは計り知れないが、その動揺こそが偶々「そこに鋏があったから」というような形での、発作的な凶行を引き寄せたように感じられた。女性のなかに根源的に流れている男性嫌悪ないしは忌避のようなものを描出した作品だった気がする。

 今の時代になって再評価が高まったのも判らぬではない先進性は、四十年前に僕がシャンタルの名を記憶した時点では、女性の映画監督自体がまだまだ稀少だったことからしても、かなりのものだったようには思う。大したものだ。手元にある「デジタルリマスター版 シャンタル・アケルマン映画祭」のチラシにラインナップされている残りの四作品『私、あなた、彼、彼女['74]、『アンナの出会い['78]、『囚われの女['00]、『オルメイヤーの阿房官['11]も是非、観てみたいものだと思った。
by ヤマ

'24. 1. 8. 喫茶メフィストフェレス2Fホール



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