| |||||
『湖の琴』を読んで | |||||
水上勉 著<講談社文庫>
| |||||
映画化作品を観て、サク(佐久間良子)が一筋の涙を流し「塔が観てます」と訴えたことに怯んで我に返った紋左エ門(中村鴈治郎)が踏み止まって、下紐までは解かなかったと解した部分が原作小説ではどうなっていたのか確かめたくて、先の入院中(6/21~7/3)に読んだものだ。 この件については、「<赤子が出来たんや……>とさくは思った。しかし、このようなことははじめての経験であるし、確実にそうであるという証拠も、まだ、さくにはわからないのだった。月経が不順になったのだから、変調がきたのであろうと、考えはするが、やはり、その変調の原因をたぐってゆくと、紋左衛門との数回の関係が思い出されないではおれないのである。紋左衛門との最後の関係は九月の中頃だったとさくは思う。とすると、十月、十一月と変調をみている。いつも月の九日十日頃の月経がふた月目も無いとすれば、九分どおり、これは妊娠と思わねばならない。」(P394)と明記されていた。 だが、映画日誌に「主宰者が高校時分に読んだきりだと言って持参していた原作小説の文庫本をめくっていたメンバーから、師匠は早々と手を付けているとの報告があった。それどころか、マツエとサクが師匠を取り合うような遣り取りもあるとのことで、純真無垢な夕顔観音どころか、魔性の女として描かれている気がすると教えてくれた。」と記した点については、まさに映画化作品で紋左衛門が迫った場面であって「紋左衛門はさくのほとばしり出る涙を、いく筋も吸った。さくはとめどもなく涙を流した。 <この娘は……処女やった……> 紋左衛門は、六十三歳ではじめて知った無垢の女体が、いま、黄金の観音像にも似て、白いシーツの上に悶えながら横たわっているのに見惚れた。」(P311~P312)となっていて、それまでは口さがない連中の噂になってはいても「さくとは、まだ、紋左衛門は、勝喜代の妬くような関係になってはいない。天地神明に誓ってそれはいえる。それを、粟田口にいて、ヤキモチ半分で、世間にいいふらしているまつ枝の卑劣さはゆるせなかった。」(P274)と、台詞ではない地の文で綴られていた。だから、ずっと我慢をしていたわけだ。大正時代の話で、伯父の死について「六十一どしたさかいもう寿命どしたんや」(P76)と宇吉が話す時分の六十三歳なのだから、殊更に紋左衛門の有頂天の程が知れるような気がした。 もっとも「さくは、十六歳であったが、母親のみんに似ていて、体格は小柄ながらも肉づきもよく、むっちりと肥えたお尻や、鳩胸のふくれた乳房の目立つ軀はもう齢異常に成熟していたし、キメもこまかく、色も白くて艶々していた。一しょに風呂に入ったてる子や増子がびっくりして眼を瞠るほどであった。」(P50)くらいで、十七歳になったさくと初めて会ったとき「紋左衛門は、声をあげそうになった。そこに佇んでいる娘の顔が、初々しく、白く浮いてみえる。一輪の夕顔の花が、しずかに咲き開いたかのような錯覚を紋左衛門はおぼえた。…<夕顔の花で無かったら……観音さんの生まれかわりみたいやな……> 紋左衛門はそう思った。じっさい、さくの顔は印象的だった。前述したように、さくは、母親似で、軀は小柄だが、色白のぽっちゃりした肉づきをしている。十七歳だというのに、もう、成熟して、はち切れそうな乳房がふくらみ、口もとにはこぼれるような羞恥がみえる。<この娘は、誰の嫁さんになるのやろ> 紋左衛門は風呂の中で考えていたが、ふと、このような娘を自分の女にしてみたい欲求をおぼえた。」(P129)となっていたから、西山から京都に呼び寄せた時点からさぞかし悶々とはしていたに違いない。映画化作品でも、そのあたりは入念に描かれていたような気がする。 その我慢に我慢を重ねていた紋左衛門の堰が切れたのは、まさにこの<この娘は、誰の嫁さんになるのやろ>であって、さくの宇吉への想いを知り、「わしは、西山の宇吉さんに……お前をやりとうはない。…わしは……お前を……嫁さんにして、幸せにしてやりたい…どうえ……わしの頼みをきき届けてくれるか」(P309)と迫っていた。映画と同じく「こわい」というさくの台詞はあったが、「塔が観てます」はなかった。 また、映画化作品のようにさくが宇吉に「お嫁さんにしておくれやす」と言って迫ったりはしておらず、<宇吉さん……そばへきて……あたしを抱いてください……しっかりあたしを抱いて下さい……>(P430)というのは、さくの死に顔を撫でながら<さくよ。わいも、お前と一しょに湖の底に行ってよいか……>と訊ねた宇吉が「さくの眼がうっすらとあいて、一しょに死んでくれと願っているような声をきいた。」(P430)というものだった。水底に沈みながら<さく、お前はわいの嫁や……わいは、はじめて……お前を抱いたなァ>(P432)と「心の中でさくをよびつづけて死んだ」(P432)のだから、現世での同衾は果たしていなかったことになる。やはり映画日誌に綴ったとおり「映画の作り手が原作小説を大幅に脚色した」ものだったようだ。 | |||||
by ヤマ '23. 6.28. <講談社文庫> | |||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
|