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『欲望の資本主義2023 逆転のトライアングルに賭ける時』 https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/Z2QQ2NQRL3/ | |||||
NHKBS1スペシャル | |||||
観ようと思いつつ録画し忘れていた番組を奇しくも妻が録画してくれていたものだ。いずれNHKプラスでも観る機会があるだろうと思っていたが、思い掛けなく早々と観ることが出来て、何だかやけに嬉しかった。 作中で歴史の一部として語られる時代のことごとくを同時代で生きていることに、我が身の年齢というものを思い知るような気分に見舞われ、苦笑した。ケインズにしても、シュンペーターにしても、もはや懐かしく思い起こされる学生時分の記憶だ。 日本がいつから躓いたかについて、バブル期を挙げていたことが特に印象深かった。同時代を生きてきた僕自身がかねがね思っていることで、『シリアの花嫁』と『英国王給仕人に乾杯!』の映画日誌に「米軍占領政策のなかでも最も重要且つ画期的な社会実験だったと僕が思っているシャウプ税制を、マネーゲームによる金満家の輩出を見たバブル期以降に劇的に改変させてアメリカ型格差社会への航路に舵を切ったことで、一億総中流を生み出した戦後日本の社会体制がソヴィエトの崩壊並みに変転して今に至っている気がする」と記したのは、十三年前の2009年のことで、『望郷の鐘』の映画日誌に「日本社会がモラルの底が抜けたようなバブル経済期を経て、バブル崩壊後の平成不況の時代のなかで、自由主義の名のもとにとことん力の論理で勝ち負けのみを追う酷薄社会化している」と綴り、『永遠の仔』の読書感想文において「僕の生きてきた半世紀を超える時間のなかの実感では、昭和末期のバブル景気の時代(1986年~1991年)に箍が外れたというか何かしら底が抜けたような気がしている。そして、僕が十代を過ごした'70年代までは賛辞だったはずの“理想”という言葉が、今や侮蔑的に使われるようになっている惨状については、'80年代でも中村雄二郎の岩波新書『術語集』がベストセラーになったりしていた時分は、まだまだ知性というのは憧憬の対象だったように思えるのに、当時の知のパラダイム転換ということが言われ、知性に対する“感性”というものがなんぞのように持て囃されるようになり、それでもまだ知性も感性も“脳”の側に属するものだったものが、更に'90年代に入って“身体性”がトレンディに関心を集めるようになるなかで、知の領域ではなく、社会における価値観が“ありのまま”や“欲望肯定”にシフトするとともに、反知性主義が蔓延ってきたような気がしている。」と書いたのは八年前のことだが、本当に大きな分岐点だったように思う。 最終章で述べられていた政府・市民・企業のトライアングルについての指摘は、ある種、凡庸なまでに至極もっともな見解だったように思うが、奇を衒ったウケ狙いの言質が横行する時代にあって、清々しくさえあった。かつてモンテスキューが『法の精神』において示したことで名高い三権分立は、立法・司法・行政だったけれども、18世紀から5世紀も経つ現在において、最も重要なトライアングルは、政府・市民・企業だと僕も思う。その三者が、望ましい相互作用を及ぼして、リスクと報酬の社会化を健全に果たしていくうえで最も重要であると思われるメディアというものの惨状によって、日ごろ暗澹たる気分に見舞われているなか、真っ当な番組を観た気がして清々しく感じたのだろう。 | |||||
by ヤマ '22. 1. 8. NHKBS1録画 | |||||
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