『スパルタカス』(Spartacus)['60]
監督 スタンリー・キューブリック

 序曲から始まる三時間超の大作だ。スパルタカスの反乱は世界史で覚えがありながら監督のキューブリックも脚本のトランボも認識のなかった十代の時分に、二週に分けてTV視聴しているような気がするが、エンドロールにレストア版製作スタッフがクレジットされる本作を観るのは無論、初めてだ。前々日に観たブルース・ブラザース』の日誌ビッグネームの動員を含む物量で押してくる画面と記したものとは、凡そ次元の異なる物凄い物量に圧倒された。

 いかにもキューブリックらしい、絵画的にも見事な、実に劇的な画面構成によって映し出される死屍累々となった激戦のあと、マルクス・クラッスス【手元にあるリバイバル時['74]のチラシの表記ではマーカス・リシニアス・クラサス】(ローレンス・オリヴィエ)が、捕虜にした反乱奴隷たちに向って、生死の如何によらず、誰がスパルタカスかを教えれば、処刑を免じると言った際に、徐に立ち上がりかけたスパルタカス(カーク・ダグラス)を観て、次々と奴隷兵士たちが立ち上がり私がスパルタカスだと叫ぶ場面は、やはりいい。老若男女の入り混じった俄か仕立ての“自由の闘士”たちが彼を慕うようになるさまを綴る進軍過程の描出に納得感があったように思う。勝ち目のなさそうな正規軍隊との戦いに際して自由人にとっては生の喜びは失う死だが、奴隷にとっては苦しみからの解放だ。死を恐れる者はいない。だから、負けるはずがない。と鼓舞していた。

 十三歳の子供時分に売られたリビアの鉱山からカプアのグラディエーター養成所に買われて行き、トラキア人随一の剣闘士になりながらも、クラッススが連れてきた、『RRR』の冷酷キャサリンを彷彿させるヘレナとクラウディアが望んだ殺人試合で一度は死んだ命をあらん限り燃やして敗れようとも闘ったことが勝利だと言えるだけの見事な生涯だったように思う。

 だが、闘いとしては、スパルタカスとローマ軍の戦闘よりも、共和政のもと専制体制を画策する貴族派クラッススと、それを牽制する民衆派グラックス【グラッカス】(チャールズ・ロートン)の政治的暗闘のなかでの台詞の遣り取りが面白かったように思う。とりわけ暴君は大概ヤセ型だと言っていた女好きの肥満体グラックスの人物造形に味があったような気がする。神についても私的には信じないが、公的には全て信じるなどと言ってのけていた。スパルタカスの妻子を最後にクラッススの元から救出して逃れさせるのも、彼の遺児に託すところがあっての義侠とも単にクラッススを出し抜きたい腹いせとも映るような狸ぶりがいい。

 蜂起した後、ローマ人たちに仕返しをしていた奴隷剣闘士たちを我々はローマ人に成り下がったのかと叱咤し、各地の奴隷解放を果たしながら進軍するなかで運命の再会を果たしていたブリタニア人の女奴隷バリニアを演じていたジーン・シモンズの知的な気品が美しかった。字も読めない剣闘士ながら、闘いは獣でもするが、美を歌うのは人の技などと言ってアントニウス【アントナイナス】(トニー・カーティス)を心酔させる人格と知性に惹かれていたのだろう。燃えるように赤い空を背景に二人乗りの馬で駆けるシルエットが鮮やかで、それが現れた後、間奏曲となっていたような気がする。ジーン・シモンズは、大いなる西部での学校教師ジュリーも素敵だったが、夫となったスパルタカスに妊娠を告げる前の水浴場面で、スレンダーな見かけによらないふくよかさを偲ばせていたのが目を惹いた。未見の『大いなる遺産』(デヴィッド・リーン監督)を観てみたくなった。

 リバイバル公開時のチラシを観ると、文部省選定と記されていることが目を惹いた。奴隷を虐げ、遊興のために戦わせ、訓練所に軟禁し、気儘に女奴隷をあてがって覗き見をしようとする、まさに遣りたい放題の新自由主義的権力行使に対して反旗を翻し、政府軍を脅かすに至る民衆蜂起を行なった者を「こんな人たち」などとは言わずにヒロイックに描きつつ、彼らを力づくで鎮圧した権力者が見せしめ処刑を行うばかりか、先導者の妻を奪い取ったうえでその愛児を盾に無理強いは嫌だ、愛がほしいなどと言って自ら身を投げ出すことを迫る強欲さを描いていた本作は、今や政府選定の推奨映画になど、決してされないのではないかと思わずにいられない。当時のチラシ裏面の解説には二千年前にローマで起った…歴史物語だが、…現代にも重要な意味を持つ、人間の自由と尊厳をテーマにした作品と綴られていた。十一年後のひきしお['71]に本作が引用されていたのは、この自由と服従に係る部分からだったのだろう。

 聞くところによると、キューブリックにとってもトランボにとっても不本意な、まさに製作総指揮を担ったカーク・ダグラスの映画だということらしいのだが、キューブリックが自作と認めたくないのは、そのメロドラマ的展開と編集にあるのではないかという気がした。画面の持つ力には、流石のものがあったように思う。

 BSプレミアムの録画でBS世界のドキュメンタリー「キューブリックが語るキューブリック」を視聴していたら、奇しくもバリー・リンドン』の映画日誌まさに泰西名画の風景画を切り取ったように美しい画面に写し取っているのと同じような透徹した画家の目のような眼差しと記した件について、何千ものスケッチと絵画を集め、買い集めた美術書をバラバラにして参照したという話と、当時の時代のリアルを追求して蝋燭光での撮影を行ったために役者が微動だにできない時間が長々とあったという話が出て来て目を惹くとともに、キューブリックが自作と認めたくないと言っている割には、キューブリック財団監修の番組に本作の画像がよく現れてきていて、キューブリック自身が、構図決めに拘ることをカメラマンに不思議がられたと述懐していたことが印象深く、僕が本作についていかにもキューブリックらしい絵画的にも見事な、実に劇的な画面構成だと感じたのは、やはりそういうことだったからなのだなと得心した。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/2375936725839230
by ヤマ

'23. 4.29. BSプレミアム録画



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