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『川っぺりムコリッタ』 『土を喰らう十二ヵ月』 | |||||
監督・脚本 荻上直子 監督・脚本 中江裕司 | |||||
入れ替えで続けて観た両作は共に、掌底で米研ぎをするクローズアップショットがあって、遺骨箱と過ごし散骨を見せるという、食と死をど真ん中に据えながらテイストは対照的とも言うべき、実に興味深いカップリングとなった。 先に観た『川っぺりムコリッタ』のほうが断然、僕の好みで、作り手としては荻上直子よりも中江裕司のほうが性に合っていると思っていたから、かなり意外な気がした。荻上作品はこれまでに『バーバ吉野』『恋は五・七・五』『星ノくん・夢ノくん』『かもめ食堂』『めがね』『トイレット』『彼らが本気で編むときは、』と観ているが、そのなかでは最も良いと思った。 オープニングは、町工場が出てきて満島ひかりの声が聞こえてきたものだから、川っぺりではなく『川の底からこんにちは』['10]みたいだなどと思ったが、「中の下」どころではない厳しい人生を生き延びてきている人々の物語だった。“川っぺり”というのが恰も“彼岸の川辺”のように思える人々だった気がする。 半年ぶりにようやく売れた墓石が200万円もする高額商品なのはありがたいけれど、それがペットの墓石だと聞かされる暮らし向きの違いにもはや笑うほかなく、おそらくは心のやり場がなくてついスキヤキ肉を買ってしまった家賃半年滞納の溝口(吉岡秀隆)が、孤独死とも自死とも知れぬ死に方だったと福祉事務所職員の堤下(柄本佑)から聞かされた山田(松山ケンイチ)が亡父の遺品の携帯電話に残されていた番号に掛けた「いのちの電話」の相談員の話とそっくり同じ話をしていたということは、溝口もまた、同じ番号に掛けたことがあるのだろうから、ハイツムコリッタの住人は、全員が自死を考えたことがあるということなのだろう。なにやら『めぞん一刻』のような世界かと思っていたら、五年前に病死した夫の遺骨を齧り亡夫を偲んでいた大家さん南詩織(満島ひかり)にも死の影が差している部分があって、とんだ見当違いだった。 繰り返し映し出されていた「使えるのに要らなくなって棄てられた」廃品の捨て溜が印象深く、川べりに暮らすホームレスに限らず、世の中から捨てられたような人々の、どっこい生きているという姿の活写が味わい深かった。服役を済ませて出所して更生プログラムにあると思しき山田を雇っている水産加工場の社長(緒形直人)が言っていた「(頭で)考えるな、(身体を使って)手を動かすことに集中しろ」というのは、同じようなシチュエーションで僕も同様のことを言った覚えのある言葉だ。奇しくも『土を喰らう十二ヵ月』でツトム(沢田研二)が「明日、明後日を考えるな、刹那を生きよう」というようなことを言っていたことにも通じてくる部分があるように感じた。特殊詐欺の受け子に利用されて前科者になったと思しき山田の来し方が何とも哀れで切なかった。その来し方をワンショットも映し出さずに、現在の生活を描出することでその生い立ちの不遇を余すことなく描き出した作品を観たのは初めてのような気がする。思いのほか響いてきた。 その後で観た『土を喰らう十二ヵ月』は、いかにも当世風のお洒落というのは、きっとこちらなんだろうなという感じのジャズと手料理で始まった、素朴で贅沢な食と時間の過ぎゆく物語だったが、少々すかした感じが気に障った。滋味豊かな料理の数々にも驚いたが、最も驚いたのは、奈良岡朋子の出演だった。御年いくつになったのだろう。流石の貫録だった。 だが、どうも水上勉の描く世界は、僕と相性が悪いようだ。義弟夫婦(尾美としのり・西田尚美)のみならず恋人の編集者真知子(松たか子)も含めて、人物造形に妙な灰汁というか味の悪さが残るような気がする。画面は実に美しかったが、その画面の魅力でも断然『川っぺりムコリッタ』が好いと思った。ミニマリストを標榜しつつ実に厚かましく山田の生活に闖入し、食も風呂もたかる島田(ムロツヨシ)のみならずハイツムコリッタに現れた人々の人物造形に湧いた印象との違いが、実に対照的だった。 ところで、『川っぺりムコリッタ』のエンドロールのクレジットに薬師丸ひろ子の名があったが、何処に出ていたのだろう。まったく気が付いてなくて、少々狼狽えてしまった。 | |||||
by ヤマ '22.11.30. あたご劇場 | |||||
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