『長崎の郵便配達』(The Postman From Nagasaki)
監督 川瀬美香

 この映画館で全国公開と同時期に観られるとは思いもかけなかったが、どういう経過でそうなったのだろう。

 五年ほど前に亡くなった谷口スミテル【稜曄】さんは、長崎被爆者としての活動もよく報じられていたし、亡くなった時にはかなり大きな記事になっていた覚えがあるから、知らないではなかったけれども、タウンゼンド父娘のことは知らずにいたので、興味深く観た。

 娘イザベルが几帳面と評していた父ピーターが遺していた録音テープを見つけて、二十三年ぶりに声を聴いたと涙する場面と、死後になって自分の著した書物を読むことになると若い時に父親から言われ、少しムッとしたけれど、その通りになったと漏らしていた場面が感慨深かった。

 ピーター・タウンゼンドが '80年代に谷口氏の証言を得て上梓したノンフィクション小説が「The Postman Of Nagasaki」で、谷口氏がその復刊を熱望していたことが契機となって、彼の死後、長崎を訪ねてくることになったイザベルを追った映画が「The Postman From Nagasaki」で、共に邦題は『長崎(ナガサキ)の郵便配達』となっているところに妙味があったように思う。十六歳で被爆した谷口郵便配達人の遺志に端を発して長崎から運ばれてきたものによってタウンゼンド父娘の間に継がれたものを描いた本作の核心を捉えている英題だと感じた。次代への継承というのは、観念的な決まり文句としてあるのではなく、こういう血肉の通った強い感情を伴った形によってこそ果たされるものなのだろう。父を想う娘の心情が沁みてきた。そしてそれはまた、谷口家においても同様に窺えたように思う。

 イザベルが女優として出演していたという『バートン・フィンク』は、僕が自主上映活動に携わっていたときに取り上げた作品でもあったので奇遇を感じたが、戦時中は英国空軍大佐として活躍し、退官後は英国王室に仕えたというピーターが、かのローマの休日['53]のモチーフになったらしいマーガレット王女の恋の相手だったとは思い掛けなく、大いに驚いた。

 反戦・反核というのは国家間の問題であるけれども、それに携わる活動のほうは国籍を超えた連帯であることが、鮮やかに浮かび上がってきている作品であったように思う。こういう人々の繋がりを観ると、国家主義というのは駄目だなと改めて思う。
by ヤマ

'22. 8. 7. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>