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『経験』(The First Time)['69] | |||||
監督 ジェームズ・ニールソン
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かねてより気になりつつも観る機会のないままだった作品だ。三人の少年たちの実にありがちな情けなさと未熟な純情、そして、二十代半ばと思しきジャクリーンの美貌と豊かな胸の下着姿ゆえに、文句をつける気にまではならないものの、まさかかほどのナイアガラ観光映画だとは思い掛けなかった。現地には行ったことがないものだから、切り取られた滝の絵柄から豊かな自然の中に聳え立つ大自然の威容をイメージしていたもので、あれほど開けた街並みに隣接しているとは知らなかった。 若いアナ(ジャクリーン・ビセット)は、ケニー(ウエス・スターン)に「いつか忘れるわ」と言っていたが、還暦も過ぎた僕は、ケニーが忘れることなど絶対にないと断言できる。「若い男は本当の恋をする前に“経験”を積むべきよ」というアナの言葉は忘れることもあるかもしれないが、続く「私はあなたの“経験”になったの」は、その経験自体とともに、決して忘れたりできない言葉だという気がする。 それにしても、「若い男は本当の恋をする前に“経験”を積むべきよ」というのは、今の時代にもなお生き残っている言葉なのだろうか。僕の若い時分には、紛れもなく、それが言うなれば常識であって、年嵩によらず男女を問わず、そのようなことを口にしていた気がする。そして、若い男たちにとって、何にも増して最大最強のプレッシャーになっていたような記憶がある。童貞は恥ずべきことであり、軽侮と憐みの対象で、たとえそこまでいかずとも少なくとも気の毒がられることだという強迫に少年たちは悩まされていたように思う。 結婚まで性交渉は控えておきたいから二人には上手く言っておいてくれとアナに懇願していたトミー(ウィンク・ロバーツ)のような少年は、だからかなり奇特で、作中でもそうだったように、ある種の後ろめたさを抱えずにはいられなかったはずだ。アメリカでも日本でも、それは同じだったような気がする。だが、いまアメリカでも日本でも、トミーのポジションは、当時とはすっかり違っているような気がしてならない。 ケニーがアナの施しを得たのは、もとより彼女が彼の初心でナイーブなパーソナリティを好もしく感じていたことや、不倫相手との壊れかけていた関係に終止符が打たれた直後という動揺があったにせよ、彼がアナに訴えかけたその切実な苦衷に、彼女が自身にも共通する“自信のなさ”を読み取って、ほぐしてやりたくなったからだった。ブラジャーのホックを外すのも覚束ないケニーの不手際に自ら外し、背中に回して抱いた手が肩まで進んで止まっていたケニーの掌を胸元に誘い入れるアナの指の動きが美しかった。 また、大学時分に入会したばかりの文芸サークルで、経験・未経験について話が盛り上がっていた際に先輩の一人が口にした「童貞もネガティヴな“経験”だからね」という言葉のことを思い出したりもした。書くことに経験は必要か否かが主題だったような気がするのだが、折しも第一志望の受験に失敗した高校の同窓生の殆どが浪人を選び、心許ない身の置き所に悩まされつつ得難い精神的経験を積んでいることに対して、受験浪人を当然視されていた僕が「受験勉強などという不毛な時間に費やす気はない」とさっさと現役進学しながら、その壮語に見合わないような不毛な時間の費やし方に後ろめたさを覚えざるを得ない大学生活を過ごしていた時分のことだ。何かといえば経験至上主義のような弁を揮う友人に対して「浪人未経験もまた浪人経験者には経験しようのない経験だと思わないか」と抗弁したりしていたことと呼応して、強い共感を覚えた記憶がある。 いずれ経験できるもの、経験しようのないもの、人にはさまざまな経験があるとしたものだから、経験未経験を羨んだり蔑んだりしても仕方がないのだが、ケニーが過ごしたアナとのひと時は、やはり格別のものがあるような気がしてならない。だからこそ本作に限らず、かつてこの手のドラマは、映画の十八番という趣があったように思うのだけれども、近頃はさっぱり見掛けなくなったような気がする。当節流行りのジェンダー問題に触れかねないと、作り手側が避けているのかもしれない。 推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/5418069111625961/ | |||||
by ヤマ '21. 3.10. WOWOWプラス録画 | |||||
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