『青くて痛くて脆い』
監督 狩山俊輔

 本当に、青くて痛くて脆い若者の姿が活写されていて、目を惹いた。「ちゃんと傷つくこと」の必要にきちんと気づいた田端楓(吉沢亮)の物語だったのだなと腑に落ちた。若い時分にあれだけ強烈に、己が悪意をすり替えた正当化による禍根を残してしまえば、同じ轍は踏まずに済むだろうなと、あれほどの大事ではないにしても、構造的には似たような過ちを犯して自己嫌悪に駆られ、以後、そういうお為ごかしだけはしなくなって、ある種、過度に己が欲求として標榜するようになった我が身のことを思った。

 それだけに、非はどう観たって楓の側にあることを確信しながらも、自身の迂闊が楓をそのような体たらくにまで追い込んでいたことを知って、迷わず“モアイ”の解散を決めた秋好寿乃(杉咲花)の清廉に打たれた。まさしく川原理沙(茅島みずき)が言っていたように、寿乃の心底に初心は失われていなかったわけだ。空気が読めないのではなく敢えて空気を読まないで、己が信じる理想を公言して憚らない寿乃の靭さ以上に、楓と二人で始めたサークル“モアイ”が脇坂(柄本佑)の参画を得て大きくなってパワーを獲得していっても、その初心を失っていないことのほうが稀有な資質だという気がする。ついついそれを若者の特権であるかのように語って己が地平の外に置きたくなる大人が多い気がするけれども、その青さは、歳を重ねても持つ者は持ち続けるのであり、痛くも脆くもなく、人物としての資質であって歳のせいではないとしたものだ。

 むかしと違って理想を小馬鹿にし、世知辛く貧相な時局主義に立つことに悪びれない人々が、エスタブリッシュメントとして臆面もなく君臨するような時代になっているからこそ、本作のような作品世界に値打ちがあるように感じた。

 寿乃に比して余りにも器の小さい楓は、“モアイ”が大きくなっていくなかで、自分の器量を超えてしまってきていることに最も傷ついていたような気がしてならなかった。嫉妬していたということでは、脇坂に対する恋愛上の嫉妬以上に、寿乃への嫉妬が根底にあったように思う。だが、それこそ“モアイ”を吹き飛ばす爆弾のようなデータを入手して、ネットに晒す暴挙を決行する際に、傍目に観ても「寿乃に見せつけるためのメッセージ」としか思えないような文面で、その意図はないままに投稿してしまっていた“迂闊とも言えないような動転ぶり”に、彼が正気を失っている様を明瞭に描き出していた点が、その器に見合った振る舞いとしての納得感とともに、哀れをも誘っていて、なかなか巧みだった。

 秋好寿乃を演じた杉咲花がうまいのは織り込み済みだったけれど、出演を知らなかった、歌う瑞希を演じた森七菜が思いがけず、なかなかよかった。楓は、確かに器は小さいけれど、寿乃が即座に看破したように、こよなく優しい男であって、その優しさがきちんと役に立った証となる西山瑞希のエピソードを配してあるところがいい。テンこと天野巧(清水尋也)の人物造形には、ポンこと本田朝美(松本穂香)に手を出してしまう前川董介(岡山天音)と違って、少々無理があるというか都合好さを感じなくもなかったが、それこそ資質とは異なる“若さの特権”的な邪気のなさは、判らなくもない気がした。邪気がないがゆえの無防備さときちんとセットになっているところに了解点があったように思う。
by ヤマ

'20. 9.13. TOHOシネマズ3


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