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美術館夏の定期上映会/高知県立文学館「~ウルトラマンと夢見る未来~」展関連上映会 “真夏に味わうSF&ホラー ~ウルトラQ、ウルトラマン、大林宣彦~”
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地元でTBS系の放送をしているKUTVテレビ高知が開局したのは、'70年4月だ。それでも『ウルトラマン』はリアルタイムで観ているのは、日本テレビ系のRKC高知放送でも番組を取っていたのだろう。当時から大人気で、小学低学年にとっては非常に高価なプラモを買ってもらって作った覚えもある。だけど、『ウルトラQ』のほうは観ていないような気がする。 そんなこともあってか、それなりに選りすぐりのはずの『ウルトラQ』は、もっとスリリングな科学ものかと思いきや、かなりユル~イ、“ジュンちゃんとゆりこの不思議な冒険ファンタジー”のようなノリで、トンデモ色は濃くても、あまりSF的ではないように感じた。だが、「リアルタイムで観た記憶が かすかに …」という地元の方もいるようだ。放送時間帯の関係で僕が見せてもらえてなかったということなのかもしれない。 続いて観た『ウルトラマン』のジャミラについては記憶があったのだが、スペシューム光線ではなく、放水で倒したことに覚えがなくて、驚いた。最後にイデ隊員が言った「犠牲者はいつもこうだ 文句だけは美しいけれど」がなかなか効いていたように思う。ジャミラの最期の様子も相まって、原爆記念碑の「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」のことを想起した。昨年観た“『怪奇大作戦』『恐怖劇場アンバランス』特集”でもミニ特集にしていた【監督:実相寺昭雄 脚本:佐々木守】のコンビ作だ。聞くところによると、この台詞は、元々の佐々木守の脚本にはなかったものだそうだ。 最もインパクトがあったのは、『帰ってきたウルトラマン』の上原正三脚本による「怪獣使いと少年」だった。国立教育政策研究所による平成 24 年度教育研究公開シンポジウムの基調報告で、国立教育政策研究所総括研究官が「実はいじめが最初に話題になったのが 1980 年代。いつごろからかというのはこの後の歴史のところでもお話ししますけれども、80 年代とお考えください。」と述べているが、それで言えば、いじめが社会問題化する十年前に、いま観ても、なかなか痛烈と言える「差別からくる子供のいじめ」を描いていて驚いた。しかも、異分子排除に大人が加わるなかで、人の姿形をしている者に対する“警察官による射殺”まで描いていて圧倒された。今だとこういう脚本は、間違いなく潰されてしまうような気がする。 翌日観たBプログラムで、画面に映った『007/サンダーボール作戦』['65]の公開当時に撮られた『ÉMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』を観始めたとき、三十四年前に林海象監督の『夢みるように眠りたい』['86]を観たときのことを思い出した。 当時の映画日誌にも綴ったように「初々しさが溢れて」おり、「ともに映画そのものに向けたオマージュで」あり、スタイル的にも近しいものを感じたように思う。チラシにも記された「以降の映画青年たちに大きな影響を与えた」といううちの一つなのだろう。だが、次第にいかにも大林作品らしい外連味やあざとさが少々鼻についてきたりもした。それにしても、本当に、若い娘を撮るのが好きなんだなぁとその部分に関しては、何の衒いもなく率直に喜々として撮っている感じがあって好もしかった。 TVドラマ火曜サスペンス劇場の『可愛い悪魔』のほうも初めて観た作品だ。'82年作品だから、秋吉久美子も三十路前にあるはずなのに、少女的面影を随所に覗かせていたような気がする。さすが大林だと思った。映画の造りそのものがそうであるように著しく現実感を欠いた虚構性ゆえに宿らせ得ているように感じられる真実味が目に留まった。8歳の少女ありす(ティナ・ジャクソン)ほどに純化された形では表出されずとも、女性にありがちな所有欲の凄味は、男性の支配欲との質的違いを顕著にする形で、とてもよく描かれていたように思う。 映画的には、終盤でありすが次々と繰り出す殺しの技が、なかなか大掛かりな鮮やかさを発揮していて、大いに見栄えがしたように思う。それにしても、事情があって差し替えられているとの断りがあった主題歌の♪聖母たちのララバイ♪から♪橋♪への変更事情とは何だったのだろう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
by ヤマ '20. 8.15~16. 美術館ホール | ||||||||||||||||||||||||||||||
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