『いろとりどりの親子』(Far From The Tree)
監督 レイチェル・ドレッツィン

 さまざまな生き辛さを抱えているはずの人々の活き活きしたさまを観るのは、やはりとても気持ちのいいものだ。それにつけても「独り」はいけないと改めて思う。小人症のロイーニがテレビでしか見たことのなかった自分と同じ人々の集まる場に23歳で初めて参加したときの昂揚感を観ながら、つくづく思った。ライヴの力の大きさは、本当に計り知れない。

 タイトルの“いろとりどり”は、決して親子に限局されたものではなかったが、ダウン症のジェイソンや自閉症のジャックの姿を見ていると、やはり親の偉大さ、なかでも母親の存在の大きさを目の当たりにするような思いが湧き、とりわけジャックの母親の辛抱強さには感銘を受けた。たとえ、その辛抱の延長に息子との意思疎通があると聞かされていてもなかなか付き合えるレベルではないことが、率直に捉えられていたように思う。さればこそ、ジャックがようやく意思を伝えられたときの感銘が強くなったような気がする。普通の親にはとても真似できないことだと、そういう力を引き出される人間力に感嘆した。職業的にそういう力が必要になってくる福祉職というのは、本当に凄いと改めて思った。

 そして、16歳で8歳の少年の喉を切って殺害し終身刑となった息子とも、その教育プログラムによって定期電話を交わしている親子以上に、これといった思い当る理由もなく事件を起こしてしまったトレヴァーを兄弟に持つ二人の子が、自分の育ったような家庭でもそういう事件に見舞われたことに衝撃を受けて、子供は決して持ちたくないと思っていると語っていたことが心に残った。

 圧巻は、小人症夫婦のジョセフとリアに訪れた子宝だろう。ここに至るまでの道のりを彼らが若い時分に想像することは、とても叶わなかったろうと思うだに、心打たれた。生産性ではなく、多様性が認められているということが如何に豊かで必要なことなのかを教えてくれる映画だ。杉田水脈衆議院議員などが観ることは決してないだろうが、どちらが豊かさをもたらすものなのかが一目瞭然になっていたように思う。そのうえで、映し出されている部分以上に、映し出されていない部分への想像を刺激してくれて、心のなかでの対話の時間を持ちたくなるような映画だったような気がする。
by ヤマ

'19. 7.18. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター



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