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『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』 | |||||
監督 三上智恵 | |||||
現在進行形の「沖縄の今」を追い続ける作り手から送られた新作では、前作『標的の村』を観たときに受けた感銘は、事態に対する驚嘆のほうが勝るような印象になった。 最も強く残っているのは、抗議行動を取っている辺野古の漁民の個人口座に一方的に10年分の年収に相当するといった中途半端に少なからぬ額の金を振り込んできて抗議行動を封じようとするなどという、粗暴で凌辱的な公金執行が行われているらしいことだった。余りのことに唖然とした。これが事実なら、契約書も請求書もないままに、個人口座を知った方法にも入金方法にも実にイリーガルな臭いがぷんぷんするので、到底正規な予算に基づくものではない気がする。官房機密費とやらは、このようにして使われるものなのかもしれないなどと思った。夫の口座に金を振り込まれてしまったので、もう取材には来ないでくれと懇願する女性の姿に、これもまた基地問題が引き起こしている強姦事件の一つだと思わないではいられなかった。 沖縄“問題”をここまでこじらせたのは、民主党政権時代に鳩山首相が無責任な県外移転を放言し沖縄の人々を目覚めさせたからだとの言質が蔓延っているが、それ以上に、安倍政権のこういった無神経というか挑発的な強権誇示のほうがよりこじらせ、結果的に反対勢力の求心力を高めることになっていることが鮮やかに浮かび上がってきていたような気がする。いまの安保法制問題と同じだと思った。これが、かつての自民党の重鎮たちまでをも反対活動に立たせる安倍流というわけだ。 本作には、新藤兼人監督の遺作『一枚のハガキ』['11]を昨年観たときの日誌でも言及した、先の沖縄知事選での菅原文太の応援演説も映し出されていた。ネットでその動画を観たとき「見事な晩節だったと思う。改めて合掌。」とのコメント入力をした。彼が応援演説をした翁長氏が知事になって後、元々保守本流の彼が自民党に対抗して立ったことについて、第1次安倍内閣のときに教科書検定で沖縄集団自決の記述削除の意見が示されたことに憤慨したことと、第2次安倍内閣で、沖縄では屈辱の日となるサンフランシスコ講和条約の発効日に合わせて政府主催の「主権回復の日」記念式典が開催されたことに触れていたと聞いた。たまたま1995年発行の『村上龍映画小説集』を読んでいたら、「上京してから、一度だけデモに参加したことがある。四月二十八日の沖縄デーだった」(P156)という一節が出て来た。1970年の東京には「…集合場所の公園…ではさまざまなセクトに分れて集会があり、ハンドスピーカーからの音が入り乱れて私服刑事らしい男が捕まり殴られたりしてそれなりに騒然とした雰囲気があった」(P156)わけで、当時15歳とは言え、同時代を過ごしている安倍首相にそんなことは知らないとは言わせたくないとの思いが翁長氏にあったのだろうという気がした。 沖縄がいかなる犠牲を強いられてきて今なお負っているかを充分には知らないまでも、やってることの内容もさることながら、遣り口、言いぐさがどうにも我慢ならない安倍政権の具体的な姿が露わになっている作品だと思った。そして、集まった人々が肩を組んで歌っている姿を久々に観たように思う♪we shall overcome♪を思い掛けなく聴いて、歳月を経て廃れるもの継がれるものについての感慨を覚えた。 | |||||
by ヤマ '15. 7.18. 今治市総合福祉センター“愛らんど” | |||||
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