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『小さいおうち』を読んで | |||||
中島京子 著<文藝春秋 単行本> | |||||
四年前に映画化作品を観た際に、映画作品では絵になっているものが原作小説では写真だと知らされ、僕が映画観賞後に最も自分の想像力を刺激された“いつ描かれたものだったのだろう”との妙味が失われる写真を、映画化に際して絵画に置き換えた脚色の見事さに唸らされたことで、原作に当たる意欲を少々削がれていた。 だが、読んでみて、僕が映画日誌に「山田監督からの異議申し立てが託されているような気がした」と記している部分こそが原作の核心であって、今年還暦を迎えたばかりの僕よりも更に六歳若い原作者が非常に丹念な取材と資料渉猟によって紡ぎあげた作品であることに強い感銘を受けた。“時子の倫ならぬ恋”の部分はあくまで道具立てであって、拙日誌に「当時、不本意な選択を強いられたり、不本意とも気づかぬまま、あるいは不本意どころか率先して、取り返しのつかない悲劇に向かって行った」と綴った言葉と正に符合する台詞が、原作の八十近くなった恭一から「あの時代は誰もが、なにかしら不本意な選択を強いられたと、平井氏は言った。「強いられてする人もいれば、自ら望んだ人もいて、それが不本意だったことすら、長い時間を経なければわからない。…」」(P317~P318)という形で発せられるように“歴史認識に係る問題意識”がメインテーマの作品だという気がした。拙日誌に記した際に引用符は施していないけれども、おそらく映画化作品でもそのまま恭一(米倉斉加年)の台詞にあったのだろう。 日誌に「嵐の夜に時子のほうから板倉に唇を合わせた場面にタキはいなかったが、それが彼女の実際に目撃したことなのか想像なのか、タキの自叙伝でどのように書かれていたかは知る由もない。」と記した部分については、「あの夜、奥様は、怖がるぼっちゃんといっしょに寝室でお休みになった。わたしは、わたしの女中部屋で寝た。二階の客用寝室は水浸しになった後で、板を打ちつけた窓の隙間から雨風が入ってきていたので、茶の間を片づけて板倉さんのための布団を敷いた。」(P107)とあるのみで、まるっきりそれらしいことには言及していなかった。“平井から奴ほど兵隊が似合わない男はいないと評される板倉”の場面も“いかにも芸術家風で勇ましい話が嫌いで音楽が好きで「板倉さんって、いいでしょう?」などとタキに向かって褒めそやしていた時子”の場面も出てこない原作小説を読みながら、“時子の倫ならぬ恋”の部分を膨らませつつ、写真を絵画に置き換えて謎めかした脚色の見事さに改めて唸らされた。 その映画化作品において、タキが尋常小学を卒業して東京へ出たのを昭和5年から昭和10年にずらせた理由は何だったのだろう。これによって異なってくるのは、タキが遺した“渡されなかった手紙”を彼女が手にした昭和18年におけるタキの年齢だ。原作だと26歳なのが映画化作品では21歳になる。タキの恋情による邪魔立ての想う先が、原作で仄めかされていた“時子への同性愛”から映画化作品での“板倉への異性愛”に変わっていることとも呼応しているのかもしれないが、僕は映画化作品の設定のほうが収まりがいいように感じた。そして、時子と板倉の関係についても、心ならずも想いの交換までに留まるものなのか、男女の関係に立ち至ったのかということに関し、恭一に母親の浮気を自分も知っていたと語らせる原作よりも、「自分だけ帰された後に戻った時子の帯紐の位置が訪ねたときと反対になっている」ように見えた“タキの妄想”とも映るように描出していた映画化作品のほうが、倫ならぬ恋を巡る三角関係ものとしての奥行きがあるように感じられた。 しかし、本作の核心が“歴史認識に係る問題意識”のほうにあるのなら、話は別だ。そして、そう言えるだけのものが原作小説には詰まっていたように思う。圧巻と言えるほどの風俗資料の積み上げには、ほとほと恐れ入った。とはいえ、“検証なき乱暴な思い込みによる歴史観が横行していること”に擬える形で、タキの“検証なき思い込み”が配されていたのかもしれないと思わせてくれた映画化作品は、やはり見事なものだ。 それにしても、東京への最初の空襲が、日米開戦後わずか半年足らずとなる昭和17年4月だった(P201)とは思い掛けなかった。そして、当時もそうであったことを借りて「…文壇【世間】とは、恐ろしいところだ。なんだか神がかり的なものが、知性の世界にまで入ってくる。だんだん、みんなが人を見てものを言うようになる。そしていちばん解りやすくて強い口調のものが、人を圧迫するようになる。抵抗はできまい。急進的なものは、はびこるだろう。このままいけば、誰かに非難されるより先に、強い口調でものを言ったほうが勝ちだとなってくる。」(P209~P210)と小中先生に語らせていた本作には、大いに感心させられた。 | |||||
by ヤマ '18. 7.27. 文藝春秋 | |||||
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