『フューリー』(Fury)
監督 デヴィッド・エアー


 戦争映画はもういいかなぁと厭観感に見舞われていた作品なのだが、愛好家の先輩が「もう、戦車ファンだけでなく、男なら、この本物の存在感は堪らないでしょう」などと書いていたものだから観に行くと、思った以上の迫力にすっかり圧倒された。

 砲身に“憤怒”と名を記した戦車が、いかにも重たそうなキャタピラで何もかもを踏みにじって進んでいた。その姿がまさしく戦争というものを端的にイメージしていたように思う。すなわち戦争とは、人権や尊厳の“蹂躙”に他ならないというわけだ。そのことを示すエピソードや描写を容赦なく盛り込み、殺戮に従事する兵士たちを決してヒロイックに描くことなく、また浅薄な告発糾弾に堕することなく、その渦中で苦闘する人々の是非もない生き様を見事に描き出していたように思う。そして、最後にはキャタピラも切れてボロボロになっていた。

 戦闘経験がろくにないまま苛烈な最前線に送り込まれたように思われる若きノーマン(ローガン・ラーマン)が荒くれ古参兵に揉まれながら、過酷な試練を積み重ねて一人前の兵士になっていくストーリーラインは、戦争映画に古典的なオーソドックス極まりないものなので、個別のエピソードそれ自体は決して目新しくもないのに、作り手の視線や描出の仕方がクラシカルな戦争映画には少ない苛烈な生々しさに彩られていて、息を呑む場面が幾つもあったように思う。チームを率いるドン“ウォーダディー”コリアー(ブラッド・ピット)のキャラクターも陰影に富んだものだったが、際立っていたのは、グレイディ“クーンアス”トラビス(ジョン・バーンサル)だったような気がする。エマ(アリシア・フォン・リットベルク)ならずとも虫唾が走るような人格の荒みを見せつつ、それが決して元からのものではないことを窺わせていたのが秀逸だった。

 また、戦車同士の一騎打ちのタイマンをこれほどの見せ場にした映画は、これまでに観たことないような気がした。戦争映画に造詣が深いほうではないから自信がないけれども、かなり珍しいのではないだろうか。甲虫の決闘のような立ち廻りがなかなか面白かった。

 最後の独軍の攻撃の間の抜けた緩み具合が少々気になったけれども、死屍累々の地表の中央で無残な姿を晒す戦車を真上から捉えたラストショットにしても、とてもシンボリックで、なかなか利いていたように思う。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1936314618&owner_id=3700229
推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-5ebe.html
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2015/2015_01_05.html
by ヤマ

'14.12. 9. TOHOシネマズ3



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