『タブー 赫いためいき』['97]
監督 小平裕
　女性器を「女の構造」と記述する官能小説をものして一世を風靡する斯界の大家となった川上宗薫の原作『淫霊』は未読どころか、彼の官能小説自体をきちんと読んだことがなく、わずかに、私小説めいた『流行作家』を読んでいるだけなのだが、同作に窺えた韜晦と自虐に満ちた粘着気質というものが、“死んだら棺の前で親友に抱かれることを妻に求める遺言”をしていた本作での平松（松崎洋二）の人物像に色濃く反映されていて、思いのほか観応えがあった。

　彼が妻の美樹（濱田のり子）に遺した手紙を挟んであった本のタイトルが『暗がりの奴らは見えっこない』となっていて、なかなか意味深長だ。最初の男である高校教師と十年不倫を続け、ほかの男は知らないまま死別したとの未亡愛人ともいうべき年離れた若い美樹を娶った平松が、己が性技による篭絡を自負しつつも、絶頂の際に妻の叫ぶ「あなた！」が死んだ“最初の男”を呼んでいるように聞こえる疑念を拭えぬままに、妻の恥らう性的趣向を求め受容させることに駆り立てられている様子に生々しさがあって「見えっこない」ものに取り付かれた男の強迫がなかなか印象深かった。

　少々込み入った背景や状況にジャンルものとしての約束事である露出シーンを、趣向を変えながら手際よく盛り込んだテンポがなかなかよく、夫の死後、「脳みそから腐り始めるのかしら。平松の脳みそってどうなっているのかといつも思っていたから…」と美樹が回顧する平松の屈託や、入社同期という桐生（新藤栄作）と平松の屈折した関係が面白く、『流行作家』に描かれていた卑下と優越の混交した感じを想起した。

　桐生と揉めた大崎のり子（かとうあつき）にも夫が手を付けていたことにショックを受けて動揺し、桐生に誘われるままにラブホに入りながら、「魔が差したの、許して」と美樹が拒み通したのは、彼女が言うように「本当に平松を愛している」ことに改めて身を以て気付いたということなのだろう。女の歓びを深く得るという形で“身を以て知る”のとはまた違う形での“身を以て知る”女心として、納得感があった。桐生がそれ以上に無理強いしなかったのも、つまりはそういうことなのだろう。ありふれた台詞なのに、“魔が差す”という言葉が妙に響いてきたのは、先ごろ観たばかりの『草原の椅子』のせいかもしれない。

　だが、二人の後を付けラブホから出る姿をカメラに収めていた平松は、その詳細を知るわけでは無論ない。ベッドで妻への抽送の最中に写真を見せつけながら言葉責めとともに妻を追い込む平松の心境はいかなるものだったのだろう。ホテルに入りはしたが、何もなかったのだとの妻の言葉に対して、経過時間の短さから首肯できる部分と何もないわけがないだろうと思う部分とが交錯していたはずだ。「あなた！」が誰なのかにこだわる元々妄想系の男がさぞかし悶々としたことは想像に難くないのだが、そのようにして妻への執着を“身を以て知る”ことこそが己の生命力を掻き立ててくれているような実感が、彼にはあったのだろう。

　いくら問い詰めても「見えっこない」ものをセックスの最中に追及して止まないのは、消散しつつある命の強迫がもたらしたものなのか、そうでなくとも囚われずにいられない男としての性なのか、おそらく平松のなかでも判然としていなかったのではないかという気がする。

　そんななか、平松の棺の前で桐生に迫られ抵抗していた美樹が、蘇生した亡夫かのような咳払いを耳にして抵抗をやめ、やおら自分のほうからフェラチオを仕掛けるよう転じた通夜での展開というのは、原作もそうだったのか少し気になった。他方で、告別式を終え、出棺も済ませた夜、今度は美樹のほうから誘った桐生とのセックスで「あなた！」とは叫ばない絶頂を迎える展開というのは、恐らく原作どおりなのだろうと感じた。

　そして、二年後に、既に子供ももうけ再婚同士の夫婦となっていた二人が早々と少々倦怠を迎えるなかで、亡き平松の影を呼び込むことで再び性生活に活力を取り戻しながら、平松が死期迫る自覚のなかで性の力によって生の力を掻き立てようとしていたことへの思いを寄せていたのが印象的だった。二年ぶりに「あなた！」と叫んで絶頂を迎えるようになった妻の「あなた」を桐生が問い質す顛末には平松以上に男なる性の哀感があって、なかなかのものだったように思う。

　そのとき美樹が指摘していた“裸になっても服を着ている男”と“服を着てても丸裸の男”ということについては、実のところ、どっちもどっちだと思うのだが、それはともかく桐生は、のり子との顛末や通夜のときのことを見ても、決して“裸になっても服を着ている男”には思えなかった。要するに美樹からの挑発ということなのだろう。それにしても、濱田のり子は美乳で大いに感心した。そして、ふとしたときに見せる表情がなかなか良かった。
by ヤマ

'13. 3.10.　ちゃんねるNeco録画


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