『もうひとりのシェイクスピア』(Anonymous)
監督 ローランド・エメリッヒ


 実によくできた脚本に唸らされつつ、余韻と反芻とともにエンドロールを眺めていたら、監督名にローランド・エメリッヒと出てきて、すっかり驚いた。『インディペンデンス・デイ』ホワイトハウス・ダウンなどとは、えらく異なる作風に唖然としたのだが、ハリウッド映画らしいエンタメ感に揺るぎはない。そんな老舗メジャーのコロンビア映画の新作に自主上映の手が届くようになっていることにも驚いたのだが、こういう作品がオフシアターの一日上映でしか観られなくなっている今のエンタメ興行の質の低下が嘆かわしい。十五年前にはUIP映画『恋におちたシェイクスピア』がきっちり興行館で掛かっていたことを思うと、全く情けなくなる。

 その恋におちたシェイクスピア['98]も実に面白くて、映画日誌に脚本自体の持つ設定と展開の機知の豊かさがシェイクスピアの言葉の機知に負けないくらいに観る側を唸らせてくれと綴っているが、本作は、シェイクスピアの機知ではなく、人間観察の深さのほうで観る側を唸らせてくれる作品だったように思う。十代の時分、その生没年を「人殺しに生まれていろいろ書いた」と覚えたシェイクスピアは、やはり書き手の気合を刺激してやまない先達なのだろう。

 なかでもオックスフォード伯エドワード(リス・エヴァンス)と平民宰相ウィリアム・セシル(デヴィッド・シューリス)の人物造形は見事だったように思う。また、俗物極まりないシェイクスピア(レイフ・スポール)のキャラクターやアマデウス['84]でのサリエリとモーツァルトの対話場面を髣髴させるベン・ジョンソン(セバスチャン・アルメストロ)とエドワードの見せ場など、エンタテイメントとしても堂々たるものだった。

 死期の迫ったエドワードがベンに「政治にも経済にも背を向けて、専ら人間探究に勤しんできた私には、君のことがよく分かる。私を裏切ることはあっても、私の残した言葉を君は裏切れない」と、原稿をロバート・セシル(エドワード・ホッグ)から守るとともに死後に刊行するよう託す前に、仕掛けたセリフが効いていた。いかにも彼がベンの作家としての才を買っていて、その劇評を気にしていたのに教えてもらえなかったと伝えて感激させ、セシル降ろしの挙兵の一件に関する密告までも告白させてしまう取り込みを図ってから託す巧妙さに痺れた。確かに伊達に人間探求に勤しんできてはいない。

 だからといって、それでベンが拷問を耐え抜いたというのでもなく、ロバートが言った通り、本当のことを自白していたに過ぎなかったという顛末には大いに意表を突かれた。映画の最初と最後に登場する現代の劇場に立つ役者の言葉としても繰り返された“soul of ages(時代の魂)”というものを遺すために、ときの詩のミューズが起こした奇蹟を呼び込むに足る言葉で綴られた詩文であることを描きたかったのだろう。

 貴族からは、平民ながらも受けるエリザベス女王の重用を妬まれ、庶民からは、女王に取り入って得た権力を妬まれ忌み嫌われるセシル親子なのだが、テューダー朝最後の国王エリザベス1世(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)がエドワードに言った「彼らは権勢の源泉である自分を絶対に裏切れない」との弁は核心を衝いている。地位を危うくさせるのは、そこに取って代われる者であって現時点での権勢ポジションなどではないというのは、普遍的な真理だと思う。エドワードと魂が呼応し合うエリザベスもまた、人間観察には負けず劣らず長けているわけだが、ロバートがエドワードに告げた父ウィリアムの野望については、その鍵となる秘密を知らなかったであろうから、流石に気付いていなかったはずだ。日本の平安時代の藤原氏と同じく、外戚を狙っていてのエセックス伯(ロバート・デヴァルー)外しだと知っていたら、どう対応したのだろう。

 そのウィリアム・セシルの娘婿としての役割を果たそうとしないままに文学に現をぬかし、妻からは敢えて不名誉を晒すようなことをなぜ書くのかと嘆かれ、義弟となるロバートからは、持てる潜在力を全く活かそうとしない政治的無能として羨望とともに非難されるエドワードが、その都度窺わせていた屈託にもなかなか深みがあったように思う。

 それにしても、エリザベスの気性の激しさは強烈だった。絶対王政時代に君臨し、激動の王権抗争時代を生き抜いて長期政権を誇った女王らしい意志と我の強さが印象深く、愛人や我が子に対しても決然と対するべきときには鉄の女ぶりをいかんなく発揮する人物造形が施されていた。ある意味、伏せられた彼女の懐妊を知らぬままに遠ざけられたエドワードが他の女性に心身を移したことへの彼女の憤りの激しさこそが、王権争いを繰り返す政治への揶揄や風刺色の強い劇作にエドワードを向かわせた面も窺われ、エリザベス女王の存在なくしてウィリアム・シェイクスピアの残した作品群もあり得なかったとしていた本作だが、因果の程がその通りではなくとも、結果としてはまさにそう言えるような気がする。

 自らの離婚のためにイギリス国教会を作り6人の妻との結婚を重ねたヘンリー8世が、父王から受け継ぎ開花させたテューダー朝は、その絶対王権とは裏腹に、常に血なまぐさい王権抗争が骨肉の間で繰り広げられた時代との印象があるが、本作中でもギリシャ悲劇になぞらえられる形で露わにされていた男女関係の予期せぬ乱脈ぶりには、なかなかスキャンダラスなものがあって、凄みがあった。前世紀なら作品化が不可能だったかもしれない。

 そんなことを思いながら、リチャード3世になぞらえられていたロバートが実在の人物で、せむし男だったりするのかどうかが気になったり、また、英国初の桂冠詩人とのベンが、最初に刊行されたシェイクスピアの詩文集に献辞を添えているというのが本当のことなのか気になったりしていた。史実と虚構の妙味を興味深く刺激してくる上々のエンターテイメントだったように思う。大したものだ。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
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推薦テクスト:「大倉さんmixi」より
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by ヤマ

'13. 8.16. 美術館ホール



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