『ヤコブへの手紙』(Postia Pappi Jaakobille)
監督 クラウス・ハロ


ヤマのMixi日記 2011年11月11日21:47

 いい作品だと思いながらも、ちょっと気が散ってて集中力を欠いてたせいか、レイラ(カーリナ・ハザード)の首吊りとその断念がピンと来なかったりしたものの、“人をその人たらしめるのに必要なもの”の存在の重みを知ったレイラが井戸に捨てた手紙を拾い上げようとしている姿に、響いてくるものがあった。

 虐待の有無によらず、母親に見捨てられた娘の服役と姉妹の絆という点ではずっとあなたを愛してるを想起したりもしたが、レイラが姉の面会申し込みを拒み続けてきた理由はピンと来ないままだった。

 ヤコブ牧師(ヘイッキ・ノウシアイネン)との間での勧進帳もどきは、例えば山の郵便配達でも心打たれる名場面だったが、本作でもハイライトシーンだ。

 まほろ駅前多田便利軒の日誌にも綴ったけれど、“人から必要とされ、求められることの意味”について、またしても思いをめぐらされる作品だった。



*コメント

2011年11月11日 22:05
(とめさん)
ヤマさーん。この作品も好きな作品です。
ヤマさんの仰る「人から必要とされ、求められることの意味」
これって生きていく上で本当に必要なものじゃないのかな?って思います。
やはり私自身、誰かに必要とされ、求められたいと日々思ってますからね。


2011年11月12日 07:22
ヤマ(管理人)
とめさんもヤコブへの手紙』の「にゃんこな日々」
「人は誰しも誰かに必要とされることが生きていくことなのかもしれませんね。」
と書いておいでますもんねー。

直接、映画で描かれてはいなかったように思いますが、
レイラは、なにゆえ姉の面会申し込みを拒んでいたとお考えですか?
また、ヤコブの牧師館で、あのタイミングで首を吊ろうとしたのは
なぜだと受け止めておいでますか?
教えていただけると、嬉しいです。


2011年11月12日 22:13
(TAOさん)
>勧進帳もどき

やっぱり弁慶を連想しますよね〜!
キャラ的にも(笑)
あんなゴツイ女優さん、よく見つかったなと思ったら、
作家さんらしいですね。


2011年11月13日 07:17
(とめさん)
ヤマさーん。
なぜレイラは姉に会わなかったか・・・。
思いっきりネタばれになるので大丈夫かな・・・とりあえずちょっと開けておきますね。





 案外、レイラは信仰心とかいう問題ではなく、神を信じ生きている人なんじゃないでしょうか。だから、姉に会い、姉がレイラの罪を赦すということは、レイラが殺してしまった相手が相手なだけに、神に対し姉に心の罪を背負わすことになってしまうと考えていたんじゃないでしょうかね。「私のためにありがとう」なんてことまで言っちゃったとしたら、それこそ同罪に近いものになってしまうでしょうしね。
 レイラが自殺しようとしたのは、牧師が人だったからじゃないでしょうか。レイラが望んでいたのは終身刑で、自分の罪に対してたった一人で孤独にじっと生きていくことで、彼女にとって恩赦は望んでいないものだったけど、行き先は牧師の家。神に近い人だから人という認識を薄く感じることが出来ていたのに、牧師が老いた悲しい人であると知ってしまった。自分に他に行く場所もない。つまりは神の元へと行くしか・・・その思いでの首つりだったけど、それも失敗。つまりは神に拒絶された。ふてぶてしく生きているようなレイラですが、誰よりも人を愛し、誰よりも神を愛し、神をおそれていた人なんじゃないかな?なんて感じなんですが・・・(^-^;


2011年11月13日 22:28
ヤマ(管理人)
◎TAOさん、
「手紙の内容に一喜一憂するヤコブの繊細で女性的な殉教者顔と
 ゴリラのように無愛想な顔をしたこわもてのオバサンの対比」

と書いておいでのレイラは、作家さんなんですか。
なかなか達者な役者ぶりでしたよね。

日記のほうに書いておいでた“自分の用なし感”の問題って
年嵩がいってくるとますます切実になってきますよね。
ヤコブの失明がいつからなのかの問題はすごく大きいはずですが、
寡黙な小品ではそこのところは全て行間に押し込められていましたね。

郵便配達の忍び込みについての観方には意表を大いに突かれました。
成程なぁと感心するとともに、レイラの前で実証してみせていたように
過去の手紙を記憶しているあのヤコブには、その手は通じない気もしますね。

いずれにしても、あの郵便配達夫も気になる人物でしたね。
僕は、あの忍び込みは、牧師の盲目をいいことに
レイラが好き勝手をしているのではないかとの
探索に来たのだろうと解していました。
彼は、レイラに怯えていたんだろうと思います。
ヤコブに手紙を届けなくなったのではなく、レイラに渡す危険を恐れ、
読めないヤコブに届ける必要よりも保管を優先したのではないかと
僕は思っています。
そのことが、どうせ読めないヤコブにあれほどの痛手を与えるとは
とてもじゃないけど、思いが及んでいなかったんでしょうね。


◎とめさん、
レイラの自殺未遂はそういうことでしたか、成程ね。
ご見解の教示、ありがとうございます(感謝)。

自罰的でもともとひっそりと神のもとに行きたい思いがあって
との人物像をイメージされてたんですね。
だから、ひたすら孤独に向かっていたから面会も拒むと。
確かに恩赦を望んでいない姿が描き出されていましたね。
 >ふてぶてしく生きているようなレイラですが、
 >誰よりも人を愛し、誰よりも神を愛し、神をおそれていた人

元からそういう人物像をイメージすると、僕的には、
あの手紙の束を捨てた行為が釈然としなくなるのですが、
僕がイメージしていた、役に立たないことはしない合理性の人物が
牧師との交流によって意味に目覚める物語という人物像では、
今度は自殺未遂のほうが妙に釈然としなくなるんですよね。
今いち映画作品の行間が読み切れていません(たは)。
編集採録 by ヤマ

'11.11.11. 喫茶メフィストフェレス3Fホール



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