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『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』(Away From Her) | |||||
監督 サラ・ポーリー | |||||
さすがカナダ映画だ。ありきたりとは掛け離れた鮮烈さを湛えながら、奇抜さなどとは無縁の奥深さとコワさを秘めた秀作だったような気がする。西川美和の『ゆれる』にも唸らされたが、サラ・ポーリーも実に大したものだと思った。 先ずもって、これだけ直接的に性行為に重きを置いた形でシルバー世代の男女関係を描いた作品を僕は他に知らない。しかも、描写は慎ましく描出は鮮烈という見事さで、四人の老いた男女の心の綾と襞に深く分け入っていたような気がする。そのうえで、何歳になっても何が起こるか知れないのが人生とはいえ、そして、いつまで経っても女性に翻弄され続けるのが男の定めだとはいえ、何とも痛烈な因果に晒されていたグラント(ゴードン・ビンセント)の姿が感慨深かった。 チラシには「自分に対する罰なのか…。それとも、フィオーナの復讐なのか…。」との文字があったが、それで言えば、フィオーナ(ジュリー・クリスティ)がオーブリー(マイケル・マーフィ)に対して見せる愛情以上に痛烈だったのが、ラストのフィオーナの回生だったような気がしてならない。 若かりし頃の離れた年齢差を超えて、18歳の女性のほうから迫まられ、44年間もの歳月を夫婦として過ごしてきたにもかかわらず、認知症の進行によって妻から全く忘れ去られ、衣服や読書といった趣味嗜好さえも自分の知っている妻とは異なる女性として立ち現れるようになり、“Away From Her”を感じないではいられない孤独を突きつけられるのも相当に酷なことだと思うのだが、そればかりか、入居した施設で新たに出会った男との仲睦まじい様子を見せつけられるわけだから、過酷というか哀れというほかない。しかも「これは、自分に対する罰なのか…。それとも、フィオーナの復讐なのか…。」との自省を余儀なくされる嘗ての自分の行状にも向き合わされることでもあったわけで、何とも因果な話だ。だが、それが人生というものなのかもしれない。入居施設でフィオーナを担当していた子持ちの離婚女性看護師の「まずまずの人生だった、なんて思ってるのは大概、男で、女のほうはそうは思ってないものよ。」という台詞に思わずドキッとさせられたりしていた。 だが、老いて直面した、そのような孤独と悔悟のなかで、妻フィオーナの重度化を少しでも抑えるためにと、二人の仲を受容できない妻マリアン(オリンピア・デュカキス)の意思によって引き取られたと思しきオーブリーを敢えて施設に呼び戻すよう働きかけに訪ねるくらい、ある種、自己犠牲を課する形で献身するに到っているグラントの姿に、夫というものの普遍的な姿を見るような気がした。人生は、ゼロサムというか、概ねそのようにして帳尻は合っているのかもしれない。 ところが、44年前のフィオーナ同様にマリアンから思わぬアプローチを掛けられ、それに応えることで、グラントが思いがけなくも人生の新たな局面を迎えるという展開に些か驚いたのだったが、それ以上に強烈だったのが、グラントの所期の最大の願いだったはずのことが思いがけなく叶ったことのタイミングの悪さというものだった。フィオーナが記憶を取り戻し、アンダーソン夫人であることが即ち眼前のグラントの妻であることと合致していることを認知したときの彼の表情が実に印象深く、思わず『黒い瞳』['87]のロマーノの姿を思い出したが、グラントの歳になって見舞われることについては、もはや“それが人生というものなのかもしれない”と評するのも酷なタイミングの最悪ぶりで、些か恐れ入った。 流石に悪意とまでは言わないものの、かような顛末を与える作り手のタフさに少々たじろぎながら、ちょうど二十年前に『エンジェル・アット・マイ・テーブル』['90]を観たときに感じたような、女性作家ならではのタフさのようにも思えた。男性作家の見せるタフさのような“悪趣味感”が漂わないところが好もしい。それもあってか、老フィオーナのオーブリーとの親密も、グラントへの認知の取り戻しも、決して彼女の復讐ではなく、図らずもの天罰だったように、僕には感じられた。 それにしても、フィオーナの回生を得て、グラントは、どう対処するのだろう。20年前に大学を退官し、田舎にある今の住まいに転居することになったのであろう、女学生ヴェロニカ(だったと思う。)との顛末のときとは異なって、今度は、敢然とグラントがフィオーナを捨て、マリアンに向かうという選択があるのだろうか。マリアンの名前も正確に覚えていない有様だったから、それはないのかもしれないと思うと同時に、これで再びフィオーナの元に戻られたら、マリアンにはいかにも立つ瀬がないような気がするが、案外、老いてなお今ひとたびの華やぎとして、了解できたりするのかもしれない。結局のところ、男は愚かだから、あの歳になっても同じことを繰り返しているだけなのだろう。たまたま44年前は、一人身だったからフィオーナと結婚することができただけで、ヴェロニカのときは既婚で応えられなかっただけのような気がした。今回のマリオンとの出来事もフィオーナのときやヴェロニカのときと、グラントにとっては大して違いがないのかもしれない。少なくとも、作り手はそのように観ている気がした。実に辛辣と言うほかないが、観る側のイマジネーションを掻き立てるニュアンス豊かな見事な描出ぶりだった。大したものだ。 推薦テクスト:「映画通信」より http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20080613 推薦テクスト:「TAOさんmixi」より http://mixi.jp/view_diary.pl?id=827946998&owner_id=3700229 | |||||
by ヤマ '11. 7.20. 美術館ホール | |||||
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