『風味絶佳』を読んで
山田詠美 著<文藝春秋 単行本>


 山田詠美は僕のちょうど一歳下で『ベッドタイムアイズ』['85]が話題になった時分から気にはなりながらも読まずに来ていて、映画化作品のシュガー&スパイス 風味絶佳['06]を観たときにも心惹かれたのだが、不思議と手にする機会がないままに来ていた。2005年発行の6つの短編が納められた本書で初めて読んでみて、思いのほか文章に風味があって驚いた。とりわけユーモアの塩梅が僕の好みと合っていて気に入った。

 最初の『間食』の15歳年上の加代と暮らしながら20歳を越したばかりの女子大生の花と付き合っている雄太が26歳の鳶職、『夕餉』の30歳近くの既婚の美々と同棲している1歳上の紘がごみ収集作業員、『風味絶佳』たったひとりにだけ、いやといいは同じ意味になるんだよ(P110)と言った乃里子から“返品”された21歳の志郎がガソリンスタンドの従業員、女子高生の連れ子のいる離婚女性の小夜の元に足繁く通ってくる『海の庭』の同窓生の作並くんが40半ばの引越し屋チーフ、『アトリエ』あたしって、ほんとはなんにもないんです。なんの理由もないのに、心ん中が重くて仕方ないです。何が詰まってるんでしょうね。解んないから、勝手に身の上話を作って落ち着くことにしてるんです。人に話すことなんてないんですけど……馬鹿みたいですか?(P166)と言った麻子と結婚して5年になる30歳過ぎの裕二が創業30年の水道屋の跡取り、息子の大学の同級生で同じサークルだった弥生を大学卒業の機に後妻に迎える『春眠』の梅太郎が斎場受託業者の従業員という形で続いたので、作者の意図のようなものを感じていたら、そのものずばりをあとがきに書いていて驚いた。

 そこには日頃から、肉体の技術をなりわいとする人々に敬意を払ってきた。いつか私自身にも技術と呼べるものが身に付いたら、その人たちを描いてみたいと思っていた。今なら大丈夫かもしれない、と感じて書き始めたのが、この小説集だ。職人の域に踏み込もうとする人々から滲む風味を、私だけの言葉で小説世界に埋め込みたいと願った。(P234)と記してあった。表題作の『風味絶佳』の志郎が最も若く“職人”と言える領域にはない気はするものの洗車やオイル交換の注文を誰よりも取ることだ。それが自分の稼ぎになる。そう思うと気が抜けない。想像していた以上に能力主義の職場で、彼は自分の甘さを痛感している。…(P87)といった記述がされているのは、そういう観点からなのだろう。その意味では、水道屋が義務付けられている衛生管理の厳しさへの言及とともに綺麗な水とは、決して自然の水のことではない(P170)と記されている『アトリエ』には、その職業についての直接的な記述が目立ったが、他の作品には、そういう部分があまり見られなかったような気がする。作者の関心が“職人”部分そのものではなく、体を使って仕事をしている労働者に滲む風味のほうにあるからだろう。

 そして、人の風味というものが最も立ち上ってくるのは男女関係においてだとの確信が作者にあるのだろう。本書に描かれているのでは労働現場ではなく、彼らの女性たちへの向かい方であった。そして、男たちの向かい方を介して、作者が描こうとしているのは、むしろ女性たちのほうであるような気がした。そのようにして眺め直すと、本作に登場する女性たちは、『風味絶佳』のグランマたる不二子を筆頭に、皆々揃って実に個性的だ。そういう女性たちの物語として、とりわけ曰く言いがたい複雑な心情を催させてくれて興味深かったのは『間食』と『夕餉』だった。




by ヤマ

'15. 4.18. 文藝春秋



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