『林芙美子展』 | |
高知県立文学館 |
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ふとしたことから生誕100年記念と銘打った特別展を観覧する機会を得たが、僕は、林芙美子の小説をただの一冊も読んだことがない。かの有名な『放浪記』も舞台でも映画でも観たことがない。わずかに『浮雲』を成瀬巳喜男監督の映画で観たことがあるばかりだ。腐れ縁とも言うべき男と女の、とことん堕ちてゆく投げやり感覚に凄みを感じた記憶がある。その他には、非常に貧しい暮らしをしていたこととか、成功してからは一家の大黒柱としての稼ぎ手でありながら、家事にも長けた女性だったということを何かで聞いたことがあるくらいだった。 だから、今回の特別展でわずか27歳の若さで『放浪記』がベストセラーになる成功を収めていたことに驚くとともに、わずか47歳で没していたことにも思い掛けない感じを受けた。しかし、14歳の頃の男友達を頼って19歳で上京し、23歳で生涯を伴にする売れない画家の手塚緑敏と結婚するまでに、三人以上の男との同棲を重ねたり、カフェの女給勤めをしていたようだから、早熟で主体性の強い女性だったのだろう。緑敏に宛てた葉書などに残している文体などを観ても、非常に男性的で強さを感じさせる人物像が想い浮かんだ。そこには、貧しい時期に世田谷区太子堂の長屋で隣り暮らしをしたとの壷井栄が、とことん貧しくても常に明るい溌剌さを保っている人だったというような話を残していることを会場内のビデオから得ていたことが影響しているのかもしれない。トータルな人物像としては、ある種の奔放さとモダンさというのが、なんとなく抱いていたイメージとの最も大きな落差だったように思う。今回の展示のなかで特に目を惹いたのは、30歳前の時の半年余りの欧州旅行におけるパリでの様子だった。ジャン・コクトーとの交友や帰国直前の二か月間の恋に燃えた建築家の白井氏にまつわる資料が印象深かった。 僕が出向いたのは最終日の午後だったが、思った以上に観覧者がいた。担当学芸員の解説案内を設定していた時間帯と重なったこともあるのかもしれない。これ幸いと傍聴したが、展示資料への興味を誘う細やかな解説だった。わりあい率直に主観を交えて語るところが、聞いていて興味を唆られやすいところだ。資料解説に留まらない逸話紹介なども随分あって、思いのほか面白かった。狙って出向いたのではなかったが、思わぬ儲け物だった。最終日ということでか、観覧者のなかにはリピーターの老婦人もいて、いかに林芙美子が人気作家だったのかということが、改めて偲ばれたような気がする。展示資料を観ても、驚くほどに映画化作品が多い。僕が幼い頃にやっていたNHKの朝の連続テレビ小説『うず潮』も林芙美子の原作だったと初めて知ったのだが、二十年余り前に他界した祖母があれを楽しみにしていたことを何十年ぶりかで思い出した。 高知県立文学館での特別展にふさわしく高知との縁を示したコーナーもあって、そこに山田まさ子さんの寄せた、文学を志したことのあるらしい亡き父親に絡めて作家林芙美子を綴った文章が掲示されていた。彼女とは面識もあり、今年になって東京に出向いたことも文学を志していることも知っていたが、県立文学館で在京の「作家」という添え書きで扱われるようになっているとは思いも掛けなかったので、いささか驚いた。 今回の展示を一覧して、ふと心に留まったのは、実は林芙美子その人よりも手塚緑敏のことだった。芙美子については、画才もあった才媛として絵画も何点か展示されていたのだが、併せて緑敏の残した芙美子の肖像画も一点だけあった。売れない画家として扱われつつも、その絵自体は芙美子の絵よりも遥かに深みがあって、比べるべくもないように素人目には見えるのだけれど、芙美子のほうは画才を讃えられ、作家にならなければ、画家として成功を収めたに違いないというような紹介のされ方をしている。おそらくは、生前もそうだったのではないだろうか。家計収入の総てを芙美子に依存し、養子とした泰の入籍に併せて入り婿の形を整えた緑敏に何の屈託もなかったとは考えにくいのだが、そのあたりはどうだったのだろう。学芸員の解説によれば、非常に温厚で柔らかな人物で、だからこそ、幼い頃に家庭的に恵まれなかった芙美子の支えになっていたのだろうということだったが、その人物像に興味を誘われずにはいられなかった。芙美子の姪の話によれば、46歳頃の芙美子の年収は120万円で当時大卒初任給が1万円だったそうだから、今ならざっと2400万円になろう。紛れもない高額所得者だ。上林暁が寄せた言葉にもあったように、身を削るようにしてまで書き耽る必要はないはずの暮らしぶりであったことと併せて、緑敏の胸中にあれこれと想像が膨らんだ。 ところで、芙美子が女学校を卒業したとき、卒業證書を破ったという逸話が掲示されていたが、その一方で尾道の女学校の卒業證書が展示されていたのは、どういうことなのだろう。そういう変わり者との風評を若くして持っていた女性だったとの紹介だったのだろうか。 |
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by ヤマ '03.10.19. 高知県立文学館 | |
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