『ゴーストワールド』(Ghost World)をめぐって
あんのさん、TAOさん、ヤマ(管理人)


*イーニドの旅立ちが示していたもの

(あんの)
 書き込みするのは久しぶりです。
 僕はラストにヤマさんと全然違う解釈持っていたので、ヤマさんの意見は新鮮でした。ネタバレになるので書けませんが。

(ヤマ)
 ようこそ、あんのさん、お久しぶりです。
 管理人の特権で、お書き下さいと敢えて言っちゃいます。
 僕、このくだりについては、今とても興味を持っているんですよ。
 ぜひぜひ書き込んじゃって下さい。
 どうせ都会ではもうとおに済んじゃってる映画ですから。
 季節はずれ、っちゅうもんですよ。叩き売り!

(あんの)
 今は、シャーロック・ホームズの推理を聞いたワトソン君のような気持ちです(笑)。

(ヤマ)
 いやいや実は後日談があって、上映主催者と話してて面白い展開を見せたんですよ。それがまた僕と全く違う解釈なのですが、解釈としては、そちらのほうが辻褄が合うんですよね。
 でも、僕はそれに与したくない気持ちが残るというところがあって悩ましいんですよ。
 それは、僕があの作品でイチバン買ってるとこをあやうくしてしまうもんでねー。

(TAO)
 あんのさん、ヤマさん、横から失礼します。

(ヤマ)
 ようこそ、TAOさん。
 きっと食いついて下さるだろうと思ってました(笑)。

(TAO)
 「ゴーストワールド」ですけど、えーそうだったのか!とヤマさんの日誌を読んで驚きました。私は少女時代のヒロインが死んで、ちょっとだけ大人になって旅立つ話かとばかり。

(ヤマ)
 やはり死のイメージは受け取っておいでだったのか、あるいは多分に僕の意を汲んで下さっているのかとも(笑)。

(TAO)
 いえいえヤマさん、「再生」は私の最も好きなテーマで、いつも死とセットで考えるくせがあるのです。無理にヤマさんの意を汲んだわけではありません(笑)。

(ヤマ)
 そういえば、前にもそんなことをお伺いしたような(笑)。

(TAO)
 でも、ああいう我の強い子が生まれ変わるのは難産なので、気の毒なブシェミが犠牲になってしまったんだなと。

(ヤマ)
 そういう再生の物語が本線としたものかもしれませんね、やはり正統的には。

(TAO)
 ヤマさんのご指摘通り、彼女がブシェミに惹かれた気持ちにウソはないんですよ。
 こんなに素敵なオジサンなのに、なぜみんなよさをわかんないのかしらって、少女らしい正義感や、見てくれだけのパープー男をもてはやす他の女の子と私はちがうんだからって自負心もあって、ああいう男を好きになる。(じつは経験あります)

(ヤマ)
 TAOさんの経験のほうも追求したいとこですが、ここはひとまず踏みとどまり…。
 そうですよね。シーモアはそういう描かれ方をしてましたよね。

(TAO)
 でも、彼女が見てるのは、やっぱりオジサンの一面で、というより、自分のことをまだわかってないから、オジサンの弱さをまるごと引き受けられるかというと、やっぱり無理なんです。

(ヤマ)
 いや、むしろ自分がわかっているから(あくまで感覚的に、ね)彼に惹かれる自分を積極的に肯定する一方で、シーモアから一緒に暮らそうと言われても、それはしたくない自分をきちんと自覚できるんじゃないですかね。

(TAO)
 ああ、そうですね。
 自覚できるけど、それでは自分が普通の女の子と同じになっちゃうから、認めたくなかっただけでしょうね。

(ヤマ)
 シーモアに悪いとか、失礼なことになるとか、じゃなくて、並みの女の子と変わらないからヤだって?だから、逃げ出すってことか。
 やっぱ、女の子はコワイですねー、TAOさん(笑)。
 あの映画のいいとこは、それを若い娘がオタク中年をコケにした話にしていないとこで、それを際立たせるために、意図的にスタートは彼をコケにするためのニセ電話から始めているとこですよ。
 そして、自分の中で生じる統合できない感情にイーニドも煩悶していることがきちんと窺えますよね。しかも、それが決して自殺の動機となるような性質のものではない形で。

(TAO)
 自分では老成した価値観を持っているつもりでも、中味はただの若い女の子だから。
 それがわからず、本気になっちゃうと、オジサンは手ひどい傷を負ってしまうんだと思います。

(ヤマ)
 精神を病むほどにでしょうか、ふ〜む。

(TAO)
 こういう子は悪気はない分、よけいに残酷なことをしてしまう。
 見ていて胸が痛みました。

(あんの)
 では、ヤマさんのお言葉に甘えて『ゴースト・ワールド』のラストシーンのネタバレです。

(ヤマ)
 この不埒なサイトは日誌で公然とネタバレやってるとこですから、掲示板でお澄まししてたってしようがないんですよ、僕(笑)。

(あんの)
 でも、僕はヤマさんやTAOさんほど深くあの作品の構造を見てないので、かなり気がひけるのですが(苦笑)。
 僕は、あのラストは主人公達(ブシュミ含まず…笑)と同年代の人達が色々感じられることを優先に作られていると思ってます。
 現実の青春では、どんなに自分や周囲を最低に感じても、自分の街を出ていく手段を持っている人は少ない。出て行きたくても出て行けない。
 でも、彼らの多くは、バスに乗って街を出ていく自分を想像せずにいられない。
(日本の若者よりアメリカの若者のほうが距離的にも環境的にも都会に出にくいんじゃないでしょうか。精神的な距離も遠いだろうし)

(ヤマ)
 これは古今東西万国共通の若者の願望ですよね。
 あの作品でも焦点は、やはり若者のほうに絞られているわけですね。

(あんの)
 だからこそ、あの物語でなにも持たないことを選択した(自分に関わる全てを否定してるのかも…)ラストで、主人公はバスに乗る。

(ヤマ)
 なるほど。
 自分にまつわる全ての属性というものを一切剥ぎ取りたい衝動もあの年頃に普遍的なものですね。
 剥ぎ取ってのち立ち現れる自分というものと対峙したいという感覚や意識を持っている者もいれば、一切が煩わしい不純物に思えて、とにかく剥ぎ取りたい思いだけが募る場合もありますが。

(あんの)
 あのラストのバスは「街を出ていく自分」を象徴する存在でありながら、同時に「街を出ていくバスなんか自分にはない」ことも象徴させているように感じました。
 どちらになるかは観客次第。

(ヤマ)
 ほう。後者は感覚的には若者に普遍的なものだと思いますが、あの映画のなかにそこまでをも観たというのは新鮮なご意見ですね。
 象徴と言うからには、それは作り手が託したということですよね。
 なるほどねー。だから、作中でのバスに現実感が与えられないってことですか。

(あんの)
 見た人は御存知のとおり、あのバスの風景は現実感のない暗い夕方。
 あの風景こそ、後から思い出す十代の夕方じゃなく、現役の十代が(笑)出口の見えない時に見る夕方なのでしょう(…と、僕は感じた)。

(TAO)
 うーむ、参りました。たしかにそうだ!
 あれは意気揚々とした旅立ちなんかではありませんよね。
 だから、死への旅立ちと同じように描かれたんでしょうか。
 まるで「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる幽霊電車みたいですね。
 現役から遠く離れた私(笑)にはまるで欠けていた視点です。

(ヤマ)
 行き先どころかバスさえ来ないなかで夢みるバスか、ふーむ。それもまた、あの意味ありげなバスの描き方の解釈としては、実に興味深いものですね。
 行き場のない息苦しさが招いた幻であれ、死の暗示であれ、新天地への旅立ちであれ、さらには想念の物語であれ、それぞれに、ふーむ、なるほどと思える視座が窺えるところが妙味ですね。
 四つの観方には、それぞれ立ち位置があって、現役十代へのコミットだったり、ツワイゴフの演出への囚われだったり、十代娘の無頓着な残酷さへの悔悟だったり、中年オタクに寄せる強いシンパだったりするけれど、一笑に付すようなものがどこにもないとこが面白いですよね。

(あんの)
 あのラストシーンまで辿り着いた時点でスタッフは観客になにも言うつもりもなかったんじゃないでしょうか。
 もう、十代の夕方の風景を作るだけ。見てる人は、もう自分で勝手にあのラストシーンを消化してるし。

(ヤマ)
 あんのさんの解釈でも充分に作り手の思い、言ってきてるじゃないですか(笑)。
 あ、そーか、固定的な意味づけという意味では何も言うつもりがないってことなんですね。

(あんの)
 ………てなことを考えてた僕がヤマさんの日誌を読んでビックリしたのは当然でしょう。ええ、実は新鮮に感じるどころかビックリしてなんですよ(笑)。

(ヤマ)
 はいはい、納得ですし、お互い様です(笑)。

*ゴーストとは何だったのか

(あんの)
 ところで僕は、あの映画におけるブシュミの存在についてなにも書いてませんが、深い理由はありません。最近、男と女のことは自分にはややこしすぎると感じてるので、彼が演じたキャラクターと主人公の関係が消化できないだけ(笑)。
 皆さんが、ブシュミ演じたキャラクターについて書いてるのを見てみると彼の存在はあの作品では重要らしいですね(笑)。う〜む、彼の存在を消化してない以上、ここまで長々と書いた意味ないかも←それがオチかい

(ヤマ)
 そりゃあ、やっぱり通常、彼の存在は重要だと感じると思いますよ(笑)。
 ちょうど、いい続き具合になったので、先ほど思わせぶりにほのめかした高知での上映主催者の解釈を紹介すると、あの物語は、全てがシーモアがカウンセラーに語っていた物語で、イーニドというのは、シーモアのなかにある社会と適合しないパーソナリティの部分を象徴したものだと思うという解釈なんですよ。
 なるほど、それなら内なるイーニドを旅立たせることが快方に向かうことと直結しますよね。しかもそれは心象世界のことなのだから、具体的に死である必要も目的地のある旅立ちである必要もありません。
 そして、かの友人は、全ての人物がシーモアの想念が作り出したものだから、この映画のタイトルは『ゴースト・ワールド』だと言うわけです。
 辻褄は合いますね。
 でも、僕は、この作品で最も魅力的だったのが、いわゆる色眼鏡で見られがちで「病的」と=で結ばれがちなオタクという存在について、他に例を見ない爽やかさを造形していたところだったので、それがリアルではなく、所詮オタクの想念のなかでの自己イメージに過ぎないことになってしまう彼の解釈には、辻褄が合うものの与しがたい気がしているところです(笑)。
 それじゃあ、オタク・シンパであるはずのテリー・ツワイゴフの面目が立たなくなる気がするんですよね。

(TAO)
 私もそう感じました。
 だから、オタクにもひとときの夢を見る機会を与え、必要以上に残酷な結末をつけて自戒としたんじゃないかなと思ったのです。
 でも、そうじゃないですね。失恋こそ、ゴーストが生身の人間であることの証でしょう。

(ヤマ)
 ふむふむ、さすれば、残酷さが増すほどにあんたはゴーストなんかじゃない、生身の人間だよって証をより立ててることになりますね。
 それは即ち、支持であり、作り手の示すシーモアへの愛であるわけだから、残酷にするほど愛も強いってことになる。
 そこがオルタナティヴ・テイストってことですか。
 なるほど、こりゃ面白い。
 ツワイゴフのオタク・シンパへの面目は、そういう形で立っちゃうワケですね。仮にイーニド死なせたとしても。

(TAO)
 シーモアだけでなく、ヒロインにとってもそうですね。失恋するのがこわいから、あらかじめ恋愛を避け、ゴーストワールドにいるんじゃないですか?

(ヤマ)
 うん、そういえば、イーニドは初めのウチ、マジに惹かれていく自分にとまどい、クールポーズを取りたがってましたよね。

(TAO)
 いちどゴーストワールドから踏み出したシーモアは、映画ではあんなふうで終わってしまったけれど、やがて快復して筋金入りのオタクになるんじゃないかな。きっと。

(ヤマ)
 これ読んでふと思ったんですが、ツワイゴフはオタク・シンパだけど、オタクそのものが好きなんじゃなくて、オタクになってしまうような人間に惹かれるんじゃないかなー、もしかしたら。

(TAO)
 そうかもしれないですねー。

(ヤマ)
 『クラム』にしてもこれにしても、オタクたちへの共感はあふれんばかりにあるのだけれど、作品自体のテイストは、ちっともオタク的ではないっていう感じがするところから、ツワイゴフ自身はオタクじゃないって気がするんですよね。
 むしろ自分はそこまで行けないからこそ、彼らに憧れ、共感も覚えるという感じの距離感というか、そんなものを感じますね。

(TAO)
 オタクシンパの私としては、オタクには二通りあるとかねがね思っています。
 イーニドやシーモアみたいに、たとえ世間のそれとは違っていてもある独自の美意識を持ち、そこに忠実であろうとするオタクと、

(ヤマ)
 僕もこっちがいいなー。

(TAO)
 もうひとつは、コレクションの数とか見ている映画の本数だとか、権力欲に走るタイプ。

(ヤマ)
 これって、やっぱ権力なんですかね。
 ただのバカにしか見えないんだけど(笑)。

(TAO)
 私が好きで応援したいのは前者の方なんですよねえ。

(ヤマ)
 でも、彼のは、非常に刺激的な解釈でした。
 そういう僕にとってのゴーストの意味するものは、オタク的世界に深入りすることなく生きている人たちから観て、彼らがどこか現実感覚を損なっているように見られがちで、まるでゴーストのように見られているのかもしれないけれど、彼らゴーストもこんなに人間的なんだよっていう意味でのゴーストワールドなんですけどね。
 でも、僕のなかで辻褄が合ってなかったんですわ、日誌にも書いたように(とほほ)。

(あんの)
 ヤマさんの発言を読んで、僕はこの映画のタイトルが『ゴースト・ワールド』であることを完全に忘れてる自分に気付きました(笑)。ブシュミの存在どころか、「ゴースト」の存在も忘れて作品のことを考えていた自分って一体……少し呆然←タイトルを忘れて映画を見る男。

(ヤマ)
 これって別に珍しいことじゃないですよね。
 むしろ概ねそっちが普通の状態で、時々タイトルが妙に気になる作品があるってのが一般的なんじゃないですか。少なくとも僕はそうですし。

(あんの)
 ましてやTAOさんの「失恋こそ、ゴーストが生身の人間であることの証でしょう。」という発言には「男と女のことは自分にはややこしい」と言ってる僕にはこちらこそ「参りました」というしかなんですけど。

(ヤマ)
 TAOさんのこの指摘には僕も大いに触発されましたね。
 だから、カウンセラーにかかるほどのダメージって言うのは、前述したように、そこのところの強調ってことなんですね、きっと。

(あんの)
 もう「1万回タップするから、その関節技すぐに外して下さい」という感じです(笑)。

(TAO)
 あ、苦し紛れの関節技はすぐにはずれますから(笑)

(あんの)
 でも、ゴーストの捉え方で見方が全然違ってきそうで怖いです。
 ゴーストの感じ方に色んな人生の価値観があぶり出されそうで(苦笑)

(ヤマ)
 まさしく、そうですね。
 そこがコワイどころか、実に面白いとこなんだなーって思いましたよ。

(TAO)
 この映画のコピーはたしか「かっこわるく生きる」でしたっけ。
 美意識にこだわるわりに、そのかっこよさは世間に通用しないし、生き方は不器用でぶざま。でもそれでいいじゃん。

(ヤマ)
 それをちょっと小粋に、何よりも爽やかに造形したとこが魅力でしたね。

(TAO)
 この映画はオタクへのそういう逆説的な讃歌なんじゃないですかねえ。

(ヤマ)
 そうなんですよ。
 だから、イーニドに死の影が射したことに僕は違和感を覚えたのですが、TAOさんに収まり方を示唆していただいたような気がしてます。
 ところで、TAOさんが好きになった「ああいう男」は、そういう残酷な目に遭わなかったのかしら。おっしゃってた胸の痛みは、その悔恨がもたらすものでは?、なんちゃって(笑)。

(TAO)
 いえいえ、私はゴーストとしての自己防衛本能がよほど強かったのでしょう。
 ヒロインのような勇気がなく、未遂ばかりで終わりました。(笑)


by ヤマ

掲示板『間借り人の部屋に、ようこそ』より



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>