『四月物語』
監督 岩井俊二


 地方出身の女の子が大学進学で初めて親元を離れ、東京で一人暮らしを始めたばかりのなかで出会うさまざまな出来事をスケッチ風に綴った作品だが、なんだかとても爽やかで気持ちの良い映画であった。それは筋立てや登場人物たちのキャラクターが爽やかだったからというだけではなく、映画自体の持つリズムにそれが宿っていたからで、映画作品としてなかなか見事だ。冒頭の旅立ちの場面からキャメラの動きやフレーミングに何か手触りのようなものを感じさせるなと思っていたら、すかさず汽車の窓を触る白い手袋をした主人公の手が浮かび上がってきて、なんだかときめいてしまった。このときめきが新生活を始める主人公のときめきと重なってずっと持続したから、映画を観ていても、とてもいい気分で、何だか無性にあの頃が懐かしくなっていた。大学進学で都会に出て一人暮らしをしたことがある者なら、誰にでも覚えのあるようなごく普通の些細な初めての出来事に対する初々しさが、まさしく手触りを感じさせるような確かさと細やかさで伝わってくる。おかげで自分のなかに蘇ってくるあの頃の懐かしさも妙に生々しくて何ともたまらない気分になった。

 なかでも再認識したのが若いあの頃に持っていた時間の豊かさとその使い方の贅沢さだ。主人公が志望校として選んだ唯一最大の理由だった高校の先輩である男子学生への接近の仕方にしても、サークル活動への関わりの仕方についても、明確な目的意識や理由とかによって効率的に合理的に対処していくのではなく、時間を掛けて次第に醸成されてくる状況のなかでの自分自身への模索といった形で行動することが極めて自然だったことを改めて思い出させてくれる。二十余年前のこととして振り返るこの歳になってみると、そのような時間の使い方が許されることの贅沢さが何とも眩しい。二十代のうちには、そのような時間の使い方をしてしまうことに対して無為ばかりを感じて、悔やんでみたり、嘆いたりもしたが、今にして思えば、あの贅沢な時間の使い方のなかにこそ醸成される豊かさというものが確かにあったように思う。

 翻って今の時間の使い方を振り返ると、あてどもなく過ごす時間の何と少ないことだろう。明確な目的意識や理由とかを必要としない自発的な行動などといったものに割く時間もほとんどないに等しい。割り当てられたり割り当てたりして、何らかの用事に充てている時間ばかりだ。たとえそれが娯楽や趣味に充てられたものであったとしても、時間の充て方、使い方としてはあまり違わない。若いあの頃の時間の使い方とは本質的に違うのである。無意味無目的に消費しているだけに見える時間のなかにこそ宿る豊かさをもう一度取り戻す術はないものだろうかとつくづく思った。

 今をときめく松たか子が何とも生き生きしていて眩しいくらいに素敵だった。そして、雪のように降り頻るおびただしい桜吹雪が何か尋常ではない降り方でどこか夢幻の風情をたたえた始まり方だったことが妙に印象に残っている。
by ヤマ

'98. 7. 3. 県民文化ホール・グリーン



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