『ダントン』(Danton)
監督 アンジェイ・ワイダ


 フランス革命直後の第一共和政時代、革命の英雄として民衆の圧倒的な支持の下、英雄であることへの自己陶酔と過信のゆえに命を落とす現実家(穏健派)ダントンと彼を処刑するに至る革命の理想家(急進派)ロベスピエールの対立と葛藤の物語である。ここに描かれている素朴な形の政治状況というものが実に興味深い。現代のように高度に分化し、複雑化した政治形態においては、政治は解りにくいが、その近代政治思想を具現した最初のものであり、原形であるフランス第一共和政は、まことに単純でありながら、まさに現代にも通ずる政治、ことに民主主義体制としての政治そのものの持つ矛盾と陥穽を率直に提示している。政治という社会的行為が所詮政治家個人の自己実現に負うところが大きすぎるものであるという指摘など実に鋭い。結局は、政治を背負い切れるほどに個人は大きくはないのである。その結果、どんなに有能ですぐれた政治家も、いずれ本末転倒を犯さざるを得なくなる。ロベスピエールは、そのいい例である。本当のところ、彼には何をどういうふうにしていったらいいのか、もはや皆目わからなくなっている。理想家ゆえに現実とのギャップに足元を掬われ、より良き共和政の確立どころか革命政府の崩壊に恐々とし、それを守ることに強迫されている。そして、本来の共和政の思想からは掛け離れた恐怖政治へと突っ走っていく。彼の本意ではないのだが、彼自身収拾がつかなくなっているのである。
 このこととともに、もう一つ興味深いのが政治過程における手続きというものの持つ意味と力である。手続きは、けっして個人の恣意によって操作できるものではない。それゆえに起こる苛立ちや焦りは、随所に出てくる。ところが、手続きは必ず、ある陣営の側についてくるものでもある。一旦それを手中にしたものが俄然強力になってくる。政治過程において力を持つためには、それを手中にする以外に術はないのである。それゆえまた彼らは、徹底的に手続きにこだわる。人間の作り出したものが完全に人間を縛っているわけである。合理的な手続きを経た不合理な決定に対して、いかなる個人も正義も良識も歯がたたないのである。本来は、それらの具現化のためのものであったはずなのに。
 このようにして見せられると、とどのつまり政治というものは、それ自身の内に本末転倒に至る宿命を負っているようである。そのような宿命を負った過程による正義とか善とか幸福とかの実現は、到底無理なのではないかと思われてくる。
 ところで、ダントンとロベスピエールの対立は、奇妙に明治の西郷と大久保との対立に似ていることに気づいた。前者はともに、豪快で人間臭く、マクロ的で、夜明け時に英雄として現われた。後者はともに、非情で怜悧な実務家で、夜明け後の行政家として腕を振るった。そして、全員が処刑ないしは暗殺によって、その生涯を閉じている。社会というものの、ある時点での「時代の構図」とでも言うべきものを示しているようで、興味深い。
by ヤマ

'85. 2.12. 名画座



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