TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


冬の曲  


曲: 吉沢検校 (Yoshizawa Kengyo,1808-1872) 日本 日本語


1 竜田川 (Unknown)


竜田川錦おりかく神無月 しぐれの雨をたてぬきにして

竜田川は紅葉で錦を織って掛けているかのようだ、十月の時雨を縦糸と横糸にして。
2 白雪の (Ki no Akimine)


白雪の所もわかず降りしけば 巌にも咲く花とこそ見れ

白い雪が所かまわず降り積もっているが、それを岩の上にも咲く花と思って見るがよい。
3 み吉野の (Mibu no Tadamine)


み吉野の山の白雪ふみわけて 入りにし人の音つれもなし

吉野の山の白雪を踏み分けて仏法の修業に入ったあの人は、その後便りのひとつもくださらない。
4 きのふと言ひ (Harumichi no Tsuraki)


きのふと言ひけふと暮らして飛鳥川 流れてはやき月日なりけり

過ぎた日を昨日と言い、今日を暮らしてまた明日が来る。飛鳥川の流れのように時の経つのは速いものだ。

 吉沢検校(1801-1872)が古今和歌集に作曲した『古今組』の「冬の曲」は初冬(晩秋)に始まり年の瀬に終わる四首の和歌を歌詞にしています。四季の曲の最後が時の流れの速さを詠う歌とは心憎い選択と思いました。例によって弟子の松阪春栄作曲による長大な手事(てごと:器楽間奏曲)を挿入して演奏するのが一般的になっています。それが四首目の前に置かれているのも効果的です(同じ四首の和歌を用いた「夏の曲」は三首目の前)。筝曲の名作に数えられる吉沢検校の四季の四曲の中でも特に優れた曲とも言われます。

1.奈良県の斑鳩を流れる竜田川は、古来紅葉の名所として知られており、百人一首に選ばれている在原業平の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは」(神々の時代にもなかったことであろう、竜田川が紅葉で異国の赤い織物のように鮮やかに水を染めるとは)をはじめ多くの歌が詠まれていますが、この歌も鮮やかに情景を喚起しています。古今和歌集第六巻「冬歌」の最初に置かれ「題しらず・読人知らず」。

2.紀秋岑(きのあきみね)は生没年不明、九世紀頃の歌人。題は「志賀の山ごえにて読める」。志賀の山越えとは、志賀に向って京都から琵琶湖に抜ける山道を通ることで、その道すがらの雪景色を詠った歌です。

3.壬生忠岑(みぶただみね)は生没年不明、平安時代中期の歌人で、紀貫之らと『古今和歌集』を編纂し、歌論書『和歌体十種』を著した三十六歌仙の一人。詞書は「寛平の御時、きさいの宮の歌合の歌」。寛平の御時(かんぴょうのおんとき)は宇多天皇の時代、きさいの宮は当時天皇の母を指す語、つまり班子女王のことで、その主催により寛平5年(893年)に行われたこの歌合からは実に五十六首が古今集に採られているとのことです。吉野山は古来仏道修行の場として知られていますが、女人禁制であったのでこの歌で詠まれているのは同性ということになります。

4.春道列樹(はるみちのつらき)は生年不詳で920年に没した歌人。詞書は「としのはてによめる」。言うまでも無く「明日」と「飛鳥川」を掛けてあります。奈良の飛鳥川を詠んだ数多くの歌の中でも屈指の名作とされています。

 今回は米川敏子女史以外の演奏を聴くことが出来ました。現代筝曲の演奏で名高いという深海さとみ女史の三枚組アルバム「筝曲地謡集」(クラウンCRCM-60043/5)所収のもので、この2枚目が吉沢検校の「古今組」(「四季の曲」+「千鳥の曲」)にあてられています。鮮やかな演奏と気合の入った歌は聴き応え十分。筝替手は吉村七重。このCDは古典の名曲を精選しており、筝曲入門に好適です。一方高齢の米川女史の歌もまた味わいがあって捨てがたく思いました。筝替手は米川裕枝。(ビクターVICG-40104/5)

( 2005.12.04 甲斐貴也 )