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秋の曲  


曲: 吉沢検校 (Yoshizawa Kengyo,1808-1872) 日本 日本語


1 きのふこそ (Unknown)


きのふこそ早苗とりしかいつのまに 稲葉そよぎて秋風のふく

早苗を取ったのがつい昨日のことのようなのに、いつの間にかもう稲葉が秋風にそよいでいる
2 久方の (Unknown)


久方の天の河原の渡守 君渡りなば楫かくしてよ

天の河原の渡し守よ、あの人が川を渡ったら、もう帰れないように楫(かぢ=舵)を隠しておくれ
3 月みれば (Ooe no Chisato)


月みればちぢにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど

月を眺めているときりもなく悲しいことを思い出す 私だけに訪れた秋ではないけれど
4 山里は (Mibu no Tadamine)


山里は秋こそことにわびしけれ 鹿の鳴く音に目をさましつつ

山里の秋はとりわけ寂しいと 鹿の鳴き声で夜中に目を覚まして思う
5 散らねども (Unknown)


散らねどもかねてぞ惜しきもみぢ葉は 今は限りの色とみつれば

紅葉は散る前から惜しまれてならない 今この時限りの美しい色なのだから
6 秋風の (Sugawara no Michizane)


秋風のふきあげにたてる白菊は 花かあらぬか波のよするか

秋風吹く吹上の浜に立つあの白い菊は 本当の花なのか、それとも打ち寄せる白波なのか

 吉沢検校が古今和歌集の歌に作曲した『古今組』の一曲です。組歌という形式の曲で、一曲の中で六首の和歌が続けて歌われます。朗唱に近い歌ですが、母音を非常に長く引き伸ばすので、歌を知らないと聞き取るのはなかなか難しいです。しかしそれも馴れ、何度も聞いていると、そのゆっくりとした詠いぶりでこそ和歌の魅力は味わえるのではないかとも思え、古の時代の悠然とした時間の流れに身を任せている気分になります。琴の伴奏で和歌を歌うとはなんとも典雅な音楽ではありませんか。

1.「早苗を取る」とは、苗代の苗を田に植え替えること。
2.七夕の織女の気持ちを詠った歌。
3.大江千里(おおえのちさと)生没年不明、平安時代の歌人。詞書(ことばがき)に「これさだのみこ(是貞親王)の家の歌合(うたあはせ)に詠める」とあります。
4.壬生忠岑(みぶのただみね)生没年不明、平安時代中期の歌人。詞書「これさだのみこの家の歌合のうた」
5.詞書「寛平の御時きさいの宮の歌合のうた」寛平(かんぴょう)の御時は宇多天皇の代(887-897)。きさいの宮は后(きさき)の宮で、宇多天皇の母である班子女王のこと。
6.菅原道真(すがわらのみちざね)845-903。言うまでもない平安前期の学者・政治家。詞書「吹上の浜のかたに菊うえたりけるをよめる」 菊合(きくあわせ)という、菊の花の優劣を競う遊びの際に詠われた作。

 吉沢検校の『古今組』の例によって、第四首のあとに松坂春栄作曲の長大な手事(てごと:技巧的間奏曲)を挿入して演奏される習慣になっています。華麗な演奏技巧を聴くのも楽しいですが、それに注意が向くと和歌の部分が余計に思え、和歌を楽しもうとすると手事が余計に思えなくもありません。原曲通りの組歌=歌曲としての演奏も聴いてみたいところです。

 これも演奏は米川敏子女史によるもののみ聴くことが出来ました。

歌・筝・替手:米川敏子、歌・筝・本手:米川恵美、米川裕枝(キングレコードKICH-2056)


なおこのCDでは、手事の後の二首は二人の奏者によるユニゾンで歌われていますが、原曲がそうなっているのかどうかはわかりません。

( 2005.09.05 甲斐貴也 )