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童謡百曲集 第5巻  


詩: 北原白秋 (Kitahara Hakusyuu,1885-1942) 日本

曲: 山田耕筰 (Yamada Kousaku,1886-1965) 日本 日本語


81 雨のあと


萌黄(もえぎ)の暈(かさ)は 
片われ月よ。
ほうほう螢、
しめれよ、ひとつ。

笹葉の露は 
小雨ののこり。
ほうほう螢、
明れよ、ふたつ。

水車の音も 
ことこと鳴るに。
ほうほう螢
すうすうとわたれ。

螢の籠も、
青あを濡れた。
ほうほうほうよ、
ほうほうほうよ。


82 雨の田


蓑着て、笠着て、犂(すき)の柄押して、
  しつ、しつ、しつ。

お馬はひもじうて芹の葉たべる。
  しつ、しつ、しつ。

雨ふりや、蛙(かはず)がげこげこわめく。
  しつ、しつ、しつ。

雨(あま)やみ小やみにや、つんつん燕。
  しつ、しつ、しつ。

泥田のお馬よ、あつちこつちむくな。
  しつ、しつ、しつ。

それでも、隣は菜の花、げんげ
  しつ、しつ、しつ。

蓑着て、笠着て、雨ふる中を。
  しつ、しつ、しつ。


83 漣は


漣(さざなみ)は誰(たれ)が起すの。
葦の根の青い鴨だよ。

鴨の首月をあびるよ、
みづかきがちららうごくよ。

くろい影なんでうごくの。
凸凹(でこぼこ)の水の揺れだよ。

おや、鴨はどこへいつたろ、 
波ばかりちららひかるよ。

ほいさうか、鴨が見えぬか、
あまり照る月のせいだよ。


84 寄り道


寄り道、小道、
牡丹のかげに、
小母(をば)さんがござつて、 
いたちつこ、いたち、
早よ家(うち)へ帰れ。

寄り道、小道、
あやめの中に、
小父(をじ)さんがござつて、
いたちつこ、いたち、
早よ家へ帰れ。


85 砂山


海は荒海、
向うは佐渡よ。
  すずめ啼け啼け、もう日はくれた。
  みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ。

暮れりや、砂山、 
汐鳴りばかり、
  すずめちりぢり、また風荒れる。
  みんなちりぢり、もう誰も見えぬ。

かへろかへろよ、 
茱萸原(ぐみはら)わけて、
  すずめさよなら、さよなら、あした。
  海よさよなら、さよなら、あした。


86 わらび


蕨(わアらび)、わらび、 
いついつ萌える。 
山焼き、 
野焼き、 
まだ火は赤い。

むじなの嫁は 
いついつ来やる。
山焼き、 
野焼き、 
夜は火が赤い。


87 葡萄の蔓


葡萄の蔓は、
眼のある蔓か、
わたしの窓へ、 
朝も晩ものびる。

葡萄の蔓よ、 
何見てのびる、
日の照る硝子、 
ちらちらするか。

緑の指よ、 
葡萄の蔓よ、
日に日に待てば 
日に日にのびる。

近寄れ早く、 
葡萄の蔓よ、
ねんねの夜も 
揺れ揺れのびよ。


88 こんこん小山


こんこん小山のお月さま、
ついたち二日はまだ小(ち)さい。
  仔馬の耳より
  まだ小さい。

こんこん仔馬も馬柵(ませ)の中(うち)、
一(ひと)飛び、二(ふた)飛び、まだ小さい。
  となりの兎(うさ)より 
  まだ小さい。

こんこん小藪の青葡萄、
一(ひと)つぶ、二(ふた)つぶ、まだ小さい。
  仔馬の眼々より
  まだ小さい。


89 昨夜(ゆうべ)のお客さま


昨夜(ゆうべ)のお客さま誰(だァれ)でしよ。
夜なかに人声してゐたが、
夙(は)よからお寝間をのぞいても、  
桃色窓掛(まどかけ)まだ暗い。

昨夜のお客さま誰でしよ。
知らない子どもか、小母(をば)さまか。
それともお髭の小父(をじ)さまか。  
何処からおいでか、何しにか。

昨夜のお客さま誰でしよ。
お母さんに聞いたら御存じか。
お父さんはなんにも仰しゃらぬ、
ほんとに誰(だァれ)も来きはせぬか。

昨夜のお客さま誰でしよ。
早よ早よ知りたい、逢つて見たい。
林檎畠の紅雀、
お前は誰だか知つててか。


90 雀のお宿


雀のお宿は山蔭に、
小薮がこんもり、ほそながれ、
下手に丸木の橋ひとつ。

雀のおやどはもう寒い。
誰(だアれ)か来るかと出て見れど、
遠くぢやちりぢり渡り鳥。

雀のおやどはわびしいに、
ときたま機(はた)織る梭(をさ)の音、
野山にとんから響きます。

雀のおやどに日が暮れりや、
ちらちら燈(あかり)もともるけど、
夜更は時雨の音ばかり。


91 鶏(にはとり)爺さん


鶏(にはとり)爺さん、お人よし、 
妻子(つまこ)もよう無い、親もない。

鶏爺さん、お金ない、 
鶏一羽がただ大切(だいじ)。

鶏爺さん、貧乏(びんぼ)だで、 
人様お畑に畑うちに。

鶏爺さん、さびしいで、
鶏ふところ入れてゆく。

鶏爺さん、草取れば、 
鶏やそこらを遊んでる。

鶏爺さん、日が暮れりや、
鶏ふところ入れて去(い)の。

鶏爺さん、住む家(うち)は、 
ちよんぼりお菰(こも)のあばら屋根。

鶏爺さん、ねむれない、 
鶏かかへて、雨もりに。

鶏爺さん、どうなさる、 
鶏や卵も生みやせぬに。

鶏爺さん、鶏と、 
朝から晩まで眺めてる。


92 阿蘭陀船(てまりうた)


一つ、肥前の長崎に、
和蘭陀船が舞ひ込んだ、
舞ひ込んだ。

二つ、不思議な切支丹、
伴天連(ばてれん)尊者が御土産は、
御土産は。

三つ、聖磔(みくるす)、デウスさま、
おん母マリヤの観世音、
観世音。
 
四つ、よい御子、神の御子、
洗礼なさるはヨハネさま、
ヨハネさま。 

五つ、イエスス・キリストス、
南無や波羅葦曽(ハラキソ)善主麿(ゼンシユマロ)、
善主麿。

六つ、廐のまぐさ桶、
聖廟(おはか)は猶太(ゆだや)のヱルサレム、
ヱルサレム

七つ、南蛮、瓜哇(じゃわ)過ぎて、
呂宋(るそん)、澳門(あまかわ)、平戸灘、
平戸灘。

八つ、病にゃ蘭法医(らんぽうい)、
解剖(ふわけ)のお書物、麻睡薬、
麻睡薬。

九つ、コンダツ、顕微鏡、
写真に油絵、砂時計、
砂時計。
 
十、遠眼鏡、ヱレキテル、
幻燈に羅面琴(らめいか)、オルゴオル。
オルゴオル。

みんな揃へて、
紅髭加比丹(あかひげかぴたん)が、
紅髭加比丹が、
ジヤガタラくろんぼを喇叭(らっぱ)で呼びあつめ、
アラ、ラル、ラル、ラ、
ホラ、ラル、ラル、ラ、
珍妙、珍妙、珍?(ちんた)のお酒でひとをどり、
ホラ、ラル、ラル、ラ、
まづまづ一船(ひとふね)あけました。



童謡百曲集 最後の巻で再び白秋と雨情が登場ですが、今まで10曲ずつでバランスが見事に取れていたのがここで最終調整です。白秋の詩が12曲、雨情が8曲となりました。といいつつも現在この中で歌われるのは「砂山」くらいのものではないでしょうか。これはともかく白秋の詩がすばらしく良く書けていて耕筰の浸り込むようなメロディ共々印象に残る歌となっています。この詩には中山晋平が曲をつけた傑作もあって嬉しい競作となっていますね。
あとは率直に言って歌詞の方もメロディも少々食傷気味なところが感じられて。作品はたくさん作れば良いってものじゃないのだということをひしひしと感じるところです。中では2つ多い最後の2曲「鶏爺さん」と「阿蘭陀船」が歌詞の面白さも手伝ってか面白く聴けます。特に「阿蘭陀船」のエキゾチシズムは何とも言えず不思議な感じ。いくつかなじみのない言葉を補足しますと、「波羅葦曽」はここでは「パラキソ」と読んでいますが通例「波羅葦増」と書き「パライソ」と読むのが普通。勘の良い方はお分かりですね、「パラダイス」の日本読みです。「善主麿」は完全に確認は取れていないのですがイエスとマリアのことだそうで、二つを組み合わせてここでは祈りの文句としているようです。「コンダツ」とはロザリオのこと。キリシタンの持つ念珠です。「羅面琴」とはラベイカというヴァイオリンに似た弦楽器。15世紀頃スペイン・ポルトガルで使われていたもののようです。珍?は赤ワインのこと。Wikipediaによれば「ポルトガル語で赤ワインを指すヴィニョ・ティント(vinho tinto)の「赤」(ティント)への当て字」なのだそうです。この不思議な情緒を醸し出す数え歌、実は藤井清水が曲をつけたものも残っていて、関定子さんの歌う鮮烈な録音で聴き馴染んでおりました。残念ながら耕筰の作品はまだ耳にできておりません。

( 2015.10.24 藤井宏行 )