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芥子粒夫人(ポストマニ)  


詩: 北原白秋 (Kitahara Hakusyuu,1885-1942) 日本

曲: 山田耕筰 (Yamada Kousaku,1886-1965) 日本 日本語


1 綺麗な綺麗なちび鼠


「綺麗な綺麗なちび鼠、
おまへにお話さしてあぎよ。」
   魔法つかひは呪文をとなへ、
   さあさあお食べよ、米の粒。

魔法つかひとちび鼠、
お話しいしい暮らしてた。
   ガンヂス河の堤の上の、
   棕梠葉のお小屋のむしろ小屋。

それもしばらくちび鼠、
悲しくなつたで、ちゆうちゆうちゆう、
   「変へて下され、鼠にや飽いた。」
   「なにになりたい。」「なににでも。」

「猫にしてやろ。」にやんにやんにやん、
猫になります、ちび鼠。
   「変へて下され、猫にも飽いた。」
   「なにになりたい。」「なににでも。」

「犬にしてやろ。」わんわんわん、
犬になります、三毛猫が。
   「変へて下され、犬にも飽いた。」
   「なにになりたい。」「なににでも。」

「猿にしてやろ。」きやつきやつきやつ、
猿になります、むく犬が。
   「変へて下され、猿にも飽いた。」
   「なにになりたい。」「なににでも。」

「野猪(のじし)にしてやろ。」ふうふうふう、
猿が野猪に変ります。
   「変へて下され、美しき人に、
   ああ、ああ、野猪はいやらしい。」

そこで一と振り、魔法杖、
見れば綺麗な娘の子。
   真赤な練絹、ふさふさ黒髪、
   金の腕環や髪かざり。

綺麗な綺麗なその娘、
芥子粒夫人(ポストマニ)と名がついた、
   今度は楽しいお邸(やしき)ずまひ、
   棕梠の葉お小屋はふり棄てる。


2 王さまお馬で通られる


王さまお馬で通られる。
花に水かけ、芥子粒夫人、
   「紅い果物さしあげまする、
   陛下お入りなさいませ。」

「おお、美しい、ありがたう、」
王さま馬からお下りになる。
   「紅い果物まだ食べぬ。
   おまへの親たち訊いてから。」

わたしの親たちちび鼠、
とは、云ひにくい、はづかしい。
   「きつと女王になる人と、
   魔法つかひが申します。」

「おまへの名まへは、」「はい、陛下、
芥子粒夫人と申します。」
   「よしよしおまへと結婚しましよ。」
   魔法つかひも「こりや目出度う。」


3 今は御殿で女王さま


今は御殿で女王さま、
それでも、おづおづ、芥子粒夫人、
   「いまに知れたらどうなるでしよか、
   わたしや嘘つき、すぐ知れよ。」

ある日、木かげに腰かけて、
お菓子たべたべ見とれてた、
   真赤な練絹、ふさふさ黒髪、
   お池に映つた水鏡。

すずしい銀色、絹ヴエール、
桃いろ、紫、玉かざり。
   つくづく見とれて、「まあまあ、御覧、
   なんと綺麗な女王さま。」

そこへちよろちよろ、ちび鼠、
お砂糖の一かけいただこか。
   「しつしつ、あつち行け、いやらしい鼠。」
   足でちよつと蹴る芥子粒夫人。

すると鼠はちゆうちゆうちゆう、
「おまへわたしを知らないの。」
   「いえいえ、知りやせぬ、なんの知らう。」
   いやな顔して女王さま。

「おまへは母さんお忘れか、
ほらほら、お父さんも来てゐるよ。」
   またも鼠がちよろちよろ出て来て、
   「おおおお出世ぢや、これ娘。」

「わたしの婿さま、王さまだ、」
「おれも会ひたい王さまに、」
   「婿だ、舅姑だ、お喜びなさろ、
   おまへ会はせにや、わしらゆこ。」

「あらまあ、父さん、お母さん。」
元は娘のちび鼠、
   「どうしよどうしよ、もう嘘知れる。」
   ふらふら目まはし、池の中。

鼠の両親こりやどうぢや
ちゆうちゆうどうしやう、なぜ死んだ。
   わけもわからず、飛んで行つた、馳けた。
   泣き泣きラシさん呼びに行つた。

魔法つかひのラシが来りや、
王さま泣き泣きござらしやる。
   「陛下、まづまづまことを云へば、
   芥子粒夫人こそちび鼠。」

「お亡くなられた芥子粒夫人、
あきらめあそばせ、為方ない、
  なにかいいことござりましよ、ござろ、
  今にしあはせ、うめ合せ。」


4 とても不思議な緑の芽


とても不思議な緑の芽、
間も無くお庭に茂ります、
  見る見る見事に、魂げるばかりに、
  咲いたは咲いたは、芥子の花。

芥子粒夫人こそ女王さま、
女王さまこそ芥子の花、
  赤の練絹、生絹のヴエール、
  桃いろ、紫、真珠いろ。

とても不思議な芥子の花、
誰もはじめて芥子の花。
  これが世界の芥子の先祖よ。
  印度のお話、芥子粒夫人。



1923年の雑誌「女性」1月号に掲載された白秋の長大な物語詩「芥子粒夫人」、「ポストマニ」とルビを振るのはこれが主人公の名前だからです。耕筰の曲は同じ雑誌の1924年、4月から11月の間にこの4部構成に合わせて4回に分けて掲載されています。不勉強にして私はこの耕筰の曲を聴くまで知りませんでしたが、インドの有名な民話のようで、WEBで検索してみると「ポストマニ姫」ということで愛らしいアニメ調の絵の絵本だとか、幼稚園向けの創作ミュージカル(おそらくこの耕筰の曲とは無関係だと思います)など、その筋ではかなりポピュラーなお話のようですね。筋は民話ではよくありがちな内容です。白秋の書いた詩をお読み頂ければ筋は分かると思いますのであらすじは略。耕筰のつけた曲は全部合わせると演奏時間20分を超える壮大なバラード。日本にもこういうスタイルの曲があったのかと初めて知ったときは感動しました。女声のソロにピアノ伴奏がついた歌で、バラードですから歌い切るには結構表現力が要ります。それでもやはり挑戦しがいのある曲だからでしょうか。ちょくちょく今でも耳にすることができます。抒情的な部分などには美しい耕筰ワールドが顔を出しますし、ダイナミックな部分、ユーモラスな部分とめくるめく音楽が楽しいです。
白秋の作品は著作権が切れて久しいからでしょうか、青空文庫にもたいていの作品が掲載されていて、露風の作品を一生懸命自分で打ち込まねばならなかったのに比べると大助かりです。この「芥子粒夫人」は童謡詩集「象の子」に収録されています。これに限らず外国のお話を題材とした作品がたくさん集まっていて読んでいても刺激的。イタリアやドイツの小学読本より題材を取ったというものが目立ちました。なおこの「芥子粒夫人」、詩の最後にある白秋の追記では「英国小学読本より」とあります。
耕筰の曲はここに収録された版ではなく初出の「女性」に掲載された版ということで若干字句が違っております。ここでは耕筰の曲をつけた版の方に合わせておきました。

( 2015.10.10 藤井宏行 )