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童謡詩集「真珠島」のための作品  


詩: 三木露風 (Miki Rofuu,1889-1964) 日本

曲: 山田耕筰 (Yamada Kousaku,1886-1965) 日本 日本語


かっこう


かつこう かつこう かつこう
どこで なくのか わからない
しづかな しづかな そのこゑよ
あかるい 夏のまつぴるま

かつこう かつこう かつこう
山の林の 山祗(やまがみ)が
ひとり うかれて あそぶのか
鞨鼓(かつこ)を ならす 山の昼

かつこう かつこう かつこう
青い 木の葉の きものきて
かたく にぎつた 樫の杖
谷の ながれが めぐります

かつこう かつこう かつこう
樺の 林の そのこゑが
八つの 峰に ひヾくとき
七つの 瀬でも こたへます


青い湖水


落葉林を出て来たら
湖水の水が光つてゐる
青い青い水のいろ
お舟は一つも浮んでない

お舟は一つもないけれど
青い青い水のいろ
ジヨンの眼のいろ 土耳古(トルコ)いろ
水姫が梳く髪のいろ

お供のジヨンは水浴びに
じやつぶ じやつぶと泳いでる
ああ真つ青な秋の空
じやつぶ じやつぶと泳いでる

ジヨンよ来い来い ジヨンよ来い
林の中から見てゐよう
いつまでも いつまでも
あのまつ青な水の上


睡れよ我児


ねむれよ
月あかり
窓べにさす
雪しろく とほく 鐘のこゑ
聖寺(みてら)よりきこゆ
ねむれよ
我がうない児

ねむれよ
ストーブの
火はもえさかり
湯沸の湯はたぎりて
おもしろき唄うたふ
ねむれよ
我がうない児


きりぎりす


秋の夜長のきりぎりす
ギイツチヨン ギイツチヨン ギイツチヨン

廻はる苧環(おだまき)
繰るごとに
絲にとまつた
きりぎりす
ギイツチヨン ギイツチヨン ギイツチヨン 

蝋燭の
あかりがもえる
錫の皿

火かげにないたきりぎりす
ギイツチヨン ギイツチヨン ギイツチヨン


黒い坊さん


鉢たたき
鉢たたき
黒い坊さん
鉢たたき
烏が啼いて
日が暮れて
如法闇夜(によほうあんや)に月が出て
目ばかり光る梟が
法 法 法 法
十方 法と啼くときに
坊さんお山へ帰つてく
魔法のやうな杖ついて


狸橋


いつちく たつちく狸橋
月夜に来るのは誰かいな
お手手はまひまひ
お足はふらふら
渡つてくるのは誰かいな

お寺の門番
提灯消されて
油揚とられて
いつちく たつちく狸にとられて
お手手はないない頬かむり



1921年 露風はそれまで色々な雑誌に投稿していた童謡詩を集めて童謡詩集「真珠島」を発刊します。耕筰はこの詩集の序文のあとに4曲「青い湖水」「かつこう」「きりぎりす」「睡れよ我児」の楽譜を載せています。「睡れよ我児」だけ出典が不明なようですが、他の3曲については耕筰はこの詩集の前に別の雑誌で発表済なのだそうです。また1922年にはこの童謡詩集から「黒い坊さん」「狸橋」の2篇を選んで曲をつけています。耕筰の歴史に残る傑作童謡を書くにはこういう過渡的な曲を書くことも必要なんだろうな、と思わされる微妙な作品群でした。日本情緒を醸し出しながらそれが不自然な転調で突然洋風に引き戻される、といったところがそこかしこにあり、聴くには面白いのですがあまり受けないだろうなという感が強いです。中ではやはり1922年に書いた「黒い坊さん」と「狸橋」の2曲が歌詞の切れの良さをうまくメロディも捉えられていて、突然出て来る洋風情緒も臭みがなく面白い歌です。この2曲と「きりぎりす」が関定子さんの録音(恵雅堂)で聴けました。

( 2015.09.25 藤井宏行 )