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立原道造の詩による四つの歌曲  


詩: 立原道造 (Tachihara Michizou,1914-1939) 日本

曲: 高田三郎 (Takata Saburou,1931-2000) 日本 日本語


1 小譚詩


一人はあかりをつけることが出来た
そのそばで 本をよむのは別の人だった
しずかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞こえた(みんなはきいていた)

一人はあかりを消すことが出来た
そのそばで 眠るのは別の人だった
糸紡ぎの女が子守の唄をうたってきかせた
それが窓の外にまで よく聞こえた(みんなはきいていた)

幾夜も幾夜もおんなじように過ぎて行った……
風が叫んで 塔の上で 雄鶏が知らせた
――兵士(ジアツク)は旗を持て 驢馬は鈴を掻き鳴らせ!

それから 朝が来た ほんとうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい夜が来た
その部屋は からっぽに のこされたままだつた


2 眠りの誘ひ


おやすみ やさしい顔した娘たち
おやすみ やわらかな黒い髪を編んで
おまえらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまわりには
快活な何かが宿っている(世界中はさらさらと粉の雪)

私はいつまでもうたっていてあげよう
私はくらい窓の外に そうして窓のうちに
それから 眠りのうちに おまえらの夢のおくに
それから くりかえしくりかえして うたっていてあげよう

ともし火のように
風のように 星のように
私の声はひとふしにあちらこちらと……

するとおまえらは 林檎の白い花が咲き
ちいさい緑の実を結び それが快い速さで赤く熟れるのを
短い間に 眠りながら 見たりするであろう


3 眠りのほとりに


沈黙は 青い雲のように
やさしく 私を襲い……
私は 射とめられた小さい野獣のように
眠りのなかに 身をたおす やがて身動きもなしに

ふたたび ささやく 失われたしらべが
春の浮雲と 小鳥と 花と 影とを 呼びかえす
しかし それらはすでに私のものではない
あの日 手をたれて歩いたひとりぼっちの私の姿さえ

私は 夜に あかりをともし きらきらした眠るまえの
そのあかりのそばで それらを溶かすのみであろう
夢のうちに 夢よりもたよりなく――

影に住み そして時間が私になくなるとき
追憶はふたたび 嘆息のように 沈黙よりもかすかな
言葉たちをうたわせるであろう


4 夢みたものは


夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しずかな村がある
明るい日曜日 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざって 唄をうたっている
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りをおどっている

告げて うたっているのは
青い翼の一羽の小鳥
低い枝で うたっている

夢見たものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と



Victorの日本歌曲全集のライナーノートに合わせて歌詞は新かなづかいで記載しました。1〜3曲目は詩集「暁と夕の詩」より3・4・8番目の詩。最後の「夢みたものは」のみは有名な詩集「優しき歌」の最後の詩です。この高田三郎も立原の詩とは相性の良い人でしょう。嘆息ものの美しいメロディで4つの歌曲を書いています(1950年)。VictorのCDの畑中良輔による解説によれば、まだ詩人が亡くなって間もない1942年に、高田は初めての歌曲作品をこの立原の詩で書いているのだそうです(オーケストラ伴奏のための歌曲「風の歌」)。まだこの詩人が今のようにはポピュラーでない時代からこだわりを持っていたのですね。
このVictorの録音では伊藤京子さんの素敵な歌が聴けましたが、今は入手はむずかしいでしょうか。興味深いことにこの録音と全く同じ選曲で、ファウエム・ミュージックから高田三郎歌曲集(日本歌曲集7)としてリリースされており、宮本泰江さんのソプラノで聴くことができるようです。
こうして歌い継がれて行って欲しい作品ですのでとても有難いところ。

( 2014.11.07 藤井宏行 )