TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


弓春の賦  


詩: 与謝野晶子 (Yosano Akiko,1878-1942) 日本

曲: 鈴木輝昭 (Suzuki Teruaki,1958-) 日本 日本語


1 弓


()きかな、(うつ)くしきかな、
矢を(つが)へて、(ひぢ)張り、
引き絞りたる弓の(かたち)
射よ、射よ、子等(こら)よ、
鳥ならずして、射よ、
()()の空を。

(まと)を思ふことなかれ、
子等(こら)と弓との共に作る
その形(かたち)こそいみじけれ、
()だ射よ、()の空を。


2 初夏はつなつ


初夏はつなつが来た、初夏はつなつ
髪をきれいにき分けた
十六七の美少年。
さくら色した肉附にくづきに、
ようも似合うた詰襟つめえり
みどりの上衣うはぎ、しろづぼん。

初夏はつなつが来た、初夏はつなつ
青いほのほき立たす
南の海の精であろ。
きやしやな前歯に麦の茎
ちよいとみ切り吹く笛も
つつみがたない火の調子。

初夏はつなつが来た、初夏はつなつ
ほそいづぼんに、赤い靴、
つゑを振り振り駆けて来た。
そよろとにほ追風おひかぜに、
枳殻きこくの若芽、けしの花、
青梅あをうめの実も身をゆする。

初夏はつなつが来た、初夏はつなつ
五行ばかりの新しい
恋の小唄こうたをくちずさみ、
女の呼吸いきのする窓へ、
物を思へど、蒼白あをじろ
百合ゆり陰翳かげをば投げに来た。


3 太陽出現


薄暗がりの地平に
大火の祭。
空が焦げる、
海が燃える。

珊瑚紅さんごこうから
黄金わうごんの光へ、
まばゆくも変りゆく
ほのほの舞。

あけぼの雲間くもまから
子供らしいまろ
真赤まつかに染めて笑ふ
地上の山山。


今、ほのほひと揺れし、
世界に降らす金粉きんぷん
不死鳥フエニクス羽羽はばたきだ。
太陽が現れる。


4 晩秋


みちひとすぢ、並木路、
赤い入日いりひはすし、
点、点、点、点、しゆまだら……
桜のもみぢ、かきもみぢ、
点描派ポアンチユリストの絵が燃える。


みちひとすぢ、さんらんと
彩色硝子さいしきガラスてらされた
らうを踏むよなゑひごこち、
そしてしんからしみじみと

涙ぐましい気にもなる。

みちひとすぢ、ひとり
わたしのためにあの空も
心中立しんぢゆうだてに毒を飲み、
臨終いまはのきはにさし伸べる
赤い入日いりひの唇か。

みちひとすぢ、この先に
サツフオオの住むいへがあろ。
其処そこには雪が降つて居よ。
出てことして今一度
泣くサツフオオが目に見える。

みちひとすぢ、秋のみち
物の盛りの尽きるみち
おおうつくしや、急ぐまい、
点、点、点、点、しばらくは
わたしの髪もしゆまだら……


5 二月の街


春よ春、
街に来てゐる春よ春、
横顔さへもなぜ見せぬ。

春よ春、
うすぎぬすらもはおらずに
二月の肌ををしむのか。

早くせ、
あの大川おほかはに紫を、
其処そこの並木にうすべにを。

春よ春、
そなたの肌のぬくもりを
微風そよかぜとしてのきに置け。

その手には
屹度きつとみつ薔薇ばらの夢、
ちゝのやうなる雨の糸。

おもふさへ
しや、そなたの贈り物、
そして恋する赤い時。

春よ春、
おお、横顔をちらと見た。
緑の雪が散りかかる。



『弓春の賦』は作曲家の鈴木輝昭が合唱団・舫(もやい)の会の委嘱を受け、「与謝野晶子の詩集」から五つの詩を選んで「ピアノのための女性合唱曲」にした作品。2007年9月に初演された。『弓春の賦』という題名は鈴木輝昭がつけたもの。「1.弓」で、与謝野晶子は「子供が空に向かって弓から矢を放つ姿は美しい」と言っていることから、「弓を射る姿のように美しい春の詩歌」というような意味らしい。ただし、「春の歌」ではなく「初夏から始まり最後に春を待ち望む」という構成になっている。また、与謝野晶子の詩に見られる「抒情と浪漫的モダニズム」を強調する曲になっている。

「不死鳥(フエニクス)」は「西欧の空想上の鳥」で、「五百年に一度燃え尽きて、そこから復活する不死の鳥」。
「サツフオオ」は「古代ギリシャの女性詩人サッポー(サッフォー)」のこと。彼女は実在の人物であり、作品も残っているが、その生涯はあくまで「伝説」であり、くわしいことは不明。ちなみにサッポーの詩もイギリスのグランヴィル・バントックやギリシャのマノス・ハジダキスが歌曲にしている。

( 2012.10.28 滝光太郎 )