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優しき歌  


詩: 立原道造 (Tachihara Michizou,1914-1939) 日本

曲: 柴田南雄 (Shibata Minao,1916-1996) 日本 日本語


1 序の歌


しづかな歌よ ゆるやかに
おまへは どこから 来て
どこへ 私を過ぎて
消えて 行く?

夕映が一日を終らせよう
と するときに――
星が 力なく 空にみち
かすかに囁きはじめるときに

そして 高まつて むせび泣く
絃(いと)のやうに おまへ 優しい歌よ
私のうちの どこに 住む?

それをどうして おまへのうちに
私は かへさう 夜ふかく
明るい闇の みちるときに?


2 爽やかな五月に


月の光のこぼれるやうに おまへの頬に
溢れた 涙の大きな粒が すぢを曳いたとて
私は どうして それをささへよう!
おまへは 私を だまらせた...

<<星よ おまへはかがやかしい
<<花よ おまへは美しかつた
<<小鳥よ おまへは優しかった
・・・私は語つた おまへの耳に 幾たびも

だが たつた一度も 言ひはしなかつた
<<私は おまへを 愛してゐる と
<<おまへは 私を 愛してゐるか と

はじめての薔薇が ひらくやうに
泣きやめた おまへの頬に 笑ひがうかんだとて
私の心を どこにおかう?


3 落葉林で


あのやうに
あの雲が 赤く
光のなかで
死に絶えて行つた

私は 身を凭せてゐる
おまへは だまつて 脊を向けてゐる
ごらん かへりおくれた
鳥が一羽 低く飛んでゐる

私らに 一日が
はてしなく 長かつたやうに

雲に 鳥に
そして あの夕ぐれの花たちに

私らの 短いいのちが
どれだけ ねたましく おもへるだらうか


4 さびしき野辺


いま だれかが 私に
花の名を ささやいて行つた
私の耳に 風が それを告げた
追憶の日のやうに

いま だれかが しづかに
身をおこす 私のそばに
もつれ飛ぶ ちひさい蝶らに
手をさしのべるやうに

ああ しかし と
なぜ私は いふのだろう
そのひとは だれでもいい と

いま だれかが とほく
私の名を 呼んでゐる・・・ああ しかし
私は答へない おまへ だれでもないひとに


5 夢のあと


<<おまへの 心は
わからなくなつた
<<私の こころは
わからなくなつた

かけた月が 空のなかばに
かかつてゐる 梢のあひだに――
いつか 風が やんでゐる
蚊の鳴く声が かすかにきこえる

それは そのまま 過ぎるだらう!
私らのまはりの この しづかな夜

きつといつかは (あれはむかしのことだつた)と
私らの こころが おもひかえすだけならば! ・・・

<<おまへの心は わからなくなつた
<<私のこころは わからなくなつた


6 樹木の影に


日々のなかでは
あはれに 目立たなかつた
あの言葉 いま それは
大きくなつた!

おまへの裡に
僕のなかに 育つたのだ
・・・外に光が充ち溢れてゐるが
それにもまして かがやいてゐる

いま 僕たちは憩ふ
ふたりして持つ この深い耳に
意味ふかく 風はささやいて過ぎる

泉の上に ちひさい波らは
ふるへてやまない・・・僕たちの
手にとらへられた 光のために



「優しき歌」といえば、ポール・ヴェルレーヌの詩に、ガブリエル・フォーレが繊細な曲を付けたフランスの名歌曲集をまず思い出してしまいますが、夭折した日本の叙情詩人、立原道造にも同名の詩集があります。
のどかな田舎の風景の中で恋の予感に震える若き詩人。詩の季節も新緑のちょうど今頃でしょうか。70年近く昔の作品にも関わらず現代の若者になお人気のあるその作品はいまだ瑞々しい感性に溢れています。
この「優しき歌」のUから6編を取り上げて、日本の現代音楽の大御所として作曲に、評論にと大活躍されていた柴田南雄の付けた歌曲集、フォーレの同名作品のような叙情的な美しさを垣間見せつつも、通俗的な旋律と見せながら、次の瞬間にそれを裏切る斬新な展開を見せるところがさすが現代音楽作家。同じフォーレでも晩年の歌曲のような磨き抜かれた美しい作品になっています。立原の詩はあまり通俗的な旋律を付けるとメロメロな雰囲気になって目も当てられなくなることが多いですが、そこにちょっとした現代音楽の隠し味を入れると見違えるように素敵な歌になります。その意味では別項で取り上げた別宮貞雄作品と並んで立原作品による歌曲では屈指の魅力を誇る歌曲ではないでしょうか。柴田は決して歌曲作家という訳ではありませんが(合唱作品はたくさんありますけれど)、この歌曲集は本当に忘れ去られるには惜しい作品です。
といいながらこの作品、LP時代にはVictorの日本歌曲集で中沢桂のソプラノ、三浦洋一のピアノでの録音はあったようなのですがこれはCDには復刻されたものの現在は見かけることもなく、CDで手に入るのはFauemというマイナーレーベルにある細川維の歌・梅本俊和のピアノの録音のみ(FMC5023)ではないか、という寂しい状況です(他の録音をご存知の方はぜひご教示ください)。とはいえこの細川さんの録音も、この歌曲集の雰囲気を実に見事に表出していて、これだけでも決して不足という訳でもないのですが。若き詩人の白鳥の歌にふさわしいリリック・テナーの歌声というのもポイント高いです。ピアノのきらめきも見事でこの歌曲集の魅力を堪能できました。

第1曲目、序の歌は冒頭の言葉通り、静かにささやくように歌われます。「そして高まって」のところからの盛り上がりはたいへんな迫力を見せてくれます。
2曲目は、まさにタイトルも「5月」をテーマにした詩、ハイネ&シューマンの「詩人の恋」の「いと美しき5月に」も思わせます。柴田作品の6曲の中でも一番流麗で耳に優しいですが、それでもやはり現代に作られた歌曲として磨き抜かれた音にはハッとさせられます。ヴェルレーヌ&フォーレの同名の歌曲集に最も近いのもこの曲でしょうか。
第3曲は再び静かな音楽、語りの合間に美しい響きを返すピアノ伴奏がとても美しいです。
第4曲は「さびしき」とあり、確かに孤独の中に主人公はありますが、決して希望は失っていない憧れに満ちた音楽が見事です。
第5曲のみ音楽は不安感の表情を少しだけ見せます。ただ中間部分は穏やかに安らぎます。ここまでは詩集と同じ1〜5番目の詩が連続して取り上げられています。
最終曲は詩集では飛んで10番目。明るい光輝く中満ち足りた恋が歌われます。この輝かしい終わり方もフォーレの「優しき歌」に通じるでしょうか。ちなみに詩集で一番最後の詩はこれも人気の高い「夢見たものは」。こちらも幸福感あふれる詩ですが、高揚感ある終わり方ならやはりこちらの「樹木の影に」の方が適しているでしょう。

(2005.05.15 第2曲のみ) 今回他の5曲も取り上げました。

( 2011.05.15 藤井宏行 )