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智恵子抄  


詩: 高村光太郎 (Takamura Koutarou,1883-1956) 日本

曲: 清水脩 (Shimizu Osamu,1911-1986) 日本 日本語


1 人に


いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

花よりさきに實のなるやうな
種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理窟に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型(かた)のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

なぜさうたやすく
さあ何といひませう――まあ言はば
その身を賣る氣になれるんでせう
あなたはその身を賣るんです
一人の世界から
萬人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜惡事でせう
まるでさう
チシアンの畫いた繪が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ氣はないけれど
恰度(ちやうど)あなたの下すつた
あのグロキシニヤの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
私を棄てて腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
――それでも戀とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて


2 晩餐


暴風(しけ)をくらつた土砂ぶりの中を
ぬれ鼠になつて
買つた米が一升
二十四銭五厘だ
くさやの干ものを五枚
澤庵(たくあん)を一本
生姜の赤漬
玉子は鳥屋(とや)から
海苔は鋼鐵をうちのべたやうな奴
薩摩あげ
かつをの鹽辛

湯をたぎらして
餓鬼道のやうに喰(くら)ふ我等の晩餐

ふきつのる嵐は
瓦にぶつけて
家鳴(やなり)震動のけたたましく
われらの食慾は頑健にすすみ
ものを喰らひて己(おの)が血となす本能の力に迫られ
やがて飽滿の恍惚に入れば
われら静かに手を取つて
心にかぎりなき喜を叫び
かつ祈る
日常の瑣事(さじ)にいのちあれ
生活のくまぐまに緻密(ちみつ)なる光彩あれ
われらのすべてに溢れこぼるるものあれ
われらつねにみちよ

われらの晩餐は
嵐よりも烈しい力を帯び
われらの食後の倦怠は
不思議な肉慾をめざましめて
豪雨の中に燃えあがる
われらの五體を讃嘆せしめる

まづしいわれらの晩餐はこれだ


3 狂奔する牛


ああ、あなたがそんなにおびえるのは
今のあれを見たのですね。
まるで通り魔のやうに、
この深山のまきの林をとどろかして、
この深い寂寞(じやくまく)の境にあんな雪崩(なだれ)をまき起して、
今はもうどこかへ往つてしまつた
あの狂奔する牛の群を。
今日はもう止しませう、
畫きかけてゐたあの穂高の三角の屋根に
もうテル ヴエルトの雲が出ました
槍の氷を溶かして來る
あのセルリヤンの梓川(あづさがは)に
もう山山がかぶさりました。
谷の白楊(はくよう)が遠く風になびいてゐます。
今日はもう畫くのを止して
この人跡たえた神苑をけがさぬほどに
又好きな焚火(たきび)をしませう。
天然がきれいに掃き清めたこの苔(こけ)の上に
あなたもしづかにおすわりなさい。

あなたがそんなにおびえるのは
どつと逃げる牝牛の群を追ひかけて
ものおそろしくも息せき切つた、
血まみれの、若い、あの變貌した牡牛をみたからですね。
けれどこの神神しい山上に見たあの露骨な獸性を
いつかはあなたもあはれと思ふ時が來るでせう。
もつと多くの事を此の身に知つて、
いつかは靜かな愛にほほゑみながら――


4 あなたはだんだんきれいになる


をんなが附屬品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか
年で洗はれたあなたのからだは
無邊際を飛ぶ天の金屬。
見えも外聞もてんで齒のたたない
中身ばかりのC冽な生きものが
生きて動いてさつさと意欲する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが默つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。


5 あどけない話


智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
櫻若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。


6 美の監禁に手渡す者


納税告知書の赤い手触りが袂にある、
やつとラヂオから解放された寒夜の風が道路にある。

賣る事の理不盡、購ひ得るものは所有し得る者、
所有は隔離、美の監禁に手渡すもの、我、

兩立しない造形の秘技と貨弊の強引、
兩立しない創造の喜(よろこび)と不耕貪食の苦(にが)さ。

がらんとした家に待つのは智恵子、粘土、及び木片(こつぱ)、
ふところの鯛燒はまだほのかに熱い、つぶれる。


7 風にのる智恵子


狂つた智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と相圖する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴(さつきばれ)の風に九十九里の濱はけむる
智恵子の浴衣が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ


8 千鳥と遊ぶ智恵子


人つ子ひとり居ない九十九里の砂濱の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無數の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな趾(あし)あとをつけて
千鳥が智恵子に寄つて來る。
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
兩手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい――
兩手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商賣さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち盡す。


9 値(あ)ひがたき智恵子


智恵子は見えないものを見、
聞えないものを聞く。

智恵子は行けないところへ行き、
出來ないことを爲(す)る。

智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、
わたしのうしろのわたしに焦がれる。

智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。

わたしをよぶ聲をしきりにきくが、
智恵子はもう人間界の切符を持たない。


10 山麓の二人


二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡いて波うち
芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途(みち)無き魂との別離
その不可抗の豫感
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく觸れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃(げき)として二人をつつむこの天地と一つになつた。


11 レモン哀歌


そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


12 荒涼たる帰宅


あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
智恵子は死んでかへつて来た
十月の深夜のがらんどうなアトリエの
小さな隅の埃を払ってきれいに浄め
私は智恵子をそつと置く
この一個の動かない人体の前に
私はいつまでも立ちつくす
人は屏風をさかさにする
人は蜀をともし香をたく
人は智恵子に化粧する
さうして事がひとりでに運ぶ
夜が明けたり日がくれたりして
そこら中がにぎやかになり
家の中は花にうづまり
何処かの葬式のやうになり
いつのまにか智恵子が居なくなる
私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる
外は名月といふ月夜らしい



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   Shimizu Osamu 清水脩

( 2011.01.30 藤井宏行 )