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Shest’ romansov na slova japonskikh poetov   Op.21
日本の詩人の詩による6つの歌曲

詩: ブラント (Aleksandr Nikolayevich Brandt,-) ロシア

曲: ショスタコーヴィチ (Dimitry Shostakovich,1906-1975) ロシア ロシア語


1 Ljubov’
1 恋

Wenn erst die Sonne hinterm Berg verschwand,
In rabenschwarzer Nacht komm ich heraus,
Und du wirst nahen wie die Morgenröte,
Mit Lächeln und mit strahlendem Gesicht.
Und deine Arme,die so schimmernd weiss
Wie Taku-Rinde glänzen,wirst du zärtlich
Auf meinen Busen legen,der dem Schnee
An Zartheit gleicht. Und eng verschlungen werden
Wir liegen und uns kosen und die Arme
Als Kissen unters Haupt uns betten,während
Die Schenkel nahe beieinander ruhn.
Sprich mir von Liebessehnsucht nicht zu sehr,
Du grosser Gott der achtmaltausend Speere!
Wenn erst die Sonne hinterm Berg verschwand,
Komm ich heraus.

   実際はロシア語詞で歌われます
太陽が山のかなたへと沈んで
カラスのような暗闇がやってきたら
わたしは出かけるとしよう
そなたは朝焼けのように迎えてくれる
はにかんだ赤い顔で微笑みながら
そしてそなたは両の手で優しく
私のこの胸を触れてくれる
それはまるで、雪がそっと降りつむように
それから互いを求め合うのだ、横たわり抱き合って
広げた腕を枕の代わりに
もっと近付いて、横たわろう
愛の言葉をそんなに私に告げないで
八千の矛の偉大な神であるそなたよ
太陽が山のかなたへと沈んだら
わたしは出かけるとしよう


2 Pered samoubijstvom
2 自害の前に

Die Blüten rieseln nieder.
Dichter Nebel Verbirgt den See.
Die wilden Gänse rufen Erschreckt
am heiligen Teich von Iware.

Düstere Träume schatten um mein Haupt.
Mein Herz ist schwer.
Wenn übers Jahr die Gänse Von neuem rufen,
hör ich sie nicht mehr.

      実際はロシア語詞で歌われます
木の葉は舞い散り
濃い霧が湖を覆っている
野生の鴨は驚いたように鳴いている
この聖なる磐余(いわれ)の池に

陰鬱な夢が我が頭を翳らせ
我が胸は重い
一年の後、再び鴨の鳴き声が響こうとも
もはや私は聞くことはないのだ

3 Neskromnyj vzgljad
3 無遠慮な眼差し

Die Sommerweide Zeigt ihren schlanken Stamm,
Wenn der wehende Wind Durch ihre feinen Zweige fährt.

Deine schlanken Füsse,meine Weide,Sah ich heute,
Da der verliebte Wind Kosend durch deine Kleider fuhr.

    実際はロシア語詞で歌われます
夏の柳がそのほっそりした幹をあらわにする
いたずらな風がたおやかな枝を揺らしたときに

あなたのほっそりした足を幸運にも今日覗き見てしまった
いたずらな風があなたの着物の裾を揺らしたときに

4 V pervyj i v posledij raz
4 最初で最後の

Ja sorval tvoj tsvetok ty moja.
Ja prizhal tebja k sertsu,
K sertsu i slilsja s toboj.
Kogda noch otletela,
Ja uvidel,chto tebju so mnoju bol' she net.
Ostalas lish bol,lish bol.
Mnogo eshche bydet u tebja tsvetok,
Blagoukhannykh i divnykh,
No moe vremja rvat stvety proshlo,
I v temnoj nochi net u menja miloj.
Ostalas lish bol,lish bol....

私はあなたの花を摘んでしまった、私のあなたよ
私はあなたを胸に引き寄せ
胸に抱き、そしてひとつに溶け合った
夜が明けたとき
私は知った、あなたはもう私のところには来ないのだと
残るのはただ苦しみ、苦しみだけ
あなたの花園にはこれからもまたたくさんの
香り高さと美しさが溢れるだろう
だが、私の花摘みの季節はもう来ない
そして暗い夜にも、愛しい人は側にはいない
残るのはただ苦しみ、苦しみだけ

5 Beznadezhnaja ljubov
5 絶望的な愛

Zachem ja ljublju tebja,
Ved nikogda nikogda ty ne budesh moej?
Ne ja budu laskat tebja,
Ne ja,istomlennyj tvoimi laskami,
Usnu rjadom s toboj.
Zachem zhe ja ljublju tebja?

どうして私はあなたを愛しているのだろう
決して、決してあなたは私のものにはならないのに?
あなたを愛撫するのは私ではなく
あなたの愛撫に疲れてあなたの横に
眠るのも私ではない
ならばどうして私はあなたを愛しているのだろう?

6 Smert
6 死

Ya umiraju...
Ya umiraju,ne znaja ljubvi.
Menja ona ne ljubila,
Ona ne zhdala menja s neterpen'em,
Kogda ja ukhodil.
Ya umiraju,
Potomu chto nelzja zhit bez ljubvi.
Ya umiraju....

私は死んでいく
私は死んでいく、愛されることを知らずに
あの人は私を愛してはいなかった
あの人は私を待ち焦がれてはいなかった
私がいなくなったあとでも
私は死んでいく
愛されずには生きていけないから
私は死んでいく


ショスタコーヴィチの主要な歌曲作品はすべて彼が壮年時代を迎えた1940年代以降に書かれています。したがって20歳そこそこで書いたこの「日本の詩人の詩による6つのロマンス(最初の3曲が1928・第4曲が1931年・第5・6曲が1932年)はかなり異色の存在ということになります。まだ社会主義リアリズムなんて変テコな強制力がそれほどのさばっていなかった時代、この曲の曲想はアルバン・ベルクの歌曲のような感じで、ほのかなロマンを漂わせながらもかなり前衛的です。ただもう既にショスタコーヴィチ色がそこかしこに出ていて、歌詞は情熱的な恋の歌なのですが、どこかほの暗く重々しい感じが滲み出るのが面白いところです。まだ若い彼でしたから、実は当時最初の妻になるニーナの他にも別の女性とも交際をしていたのだそうで、そんな男女関係のドロドロを率直に音楽にしたらこんなになりました、ってことなのかも知れませんが。
 (このあたりのゴシップ的な話のお好きな方は、筑摩書房から出ている「驚くべきショスタコーヴィチ」の第2章をご覧ください。彼を巡るたくさんの女性のエピソードが詳しく紹介されています。この曲が書かれたニーナとの結婚前のいろいろはこの手の話の好きな人にはたまらないかも知れません。いや、この本自体は真面目な本なのですけれど...)

なおこの歌曲のうち1928年に書かれた初めの3曲は1912年にロシアで刊行された「日本抒情歌集」より取られたとあります。ところが歌詞をよくよく見てみると、これってハンス・ベートゲの詩集「日本の春」にあるものとまるで一緒ですので、恐らくこの詩集のロシア語訳なのでしょう。このうち最初の2曲はドイツ出身で、第2次大戦後はイスラエルで活躍したユダヤ人作曲家パウル・ベン-ハイムの素敵な作品を最近見つけましたので、これをご紹介するためにドイツ語より訳すことにしました。詳細な詩の解説はそちらにあります。また詩人としてはベートゲのところに入れさせて頂こうと思います。歌はロシア語で歌われるのですけれども...(ロシア語詩の著作権がよく分かりませんし、そもそもロシア語から訳すのがとてもつらいので...)
また、3曲目の「無遠慮な眼差し」は以前ご紹介したノルウェーの作曲家イルゲンス-イエンセンの書いた歌曲集「日本の春」に入っている曲と同じベートゲの詩ですので、こちらもこれから訳したものを載せます。こうして3曲訳してみるとエクスタシー、ハラキリ、スケベと日本の春の諸相を絶妙に選んでいるショスタコーヴィチの選択眼に脱帽。1曲目はラヴェルのマダガスカル島民の歌より「ナアンドーヴ」を思わせる艶かしさが凄いですし、第2曲のドラマティックなエンディングもとても印象的。なおこの曲は磐余(いわれ)という固有名詞のおかげで元歌は分かっているようで、万葉集・大津皇子の和歌であるようです。(この作者名をベートゲはOzi(皇子?)とだけしているのは何だか笑えます)
そして第3曲、イルゲンス-イエンセンの曲ではユーモラスな異国趣味が面白かったのですがこちらはかなりムッツリスケベな趣です。こちらは18世紀詠み人知らずの歌とのこと。江戸時代の狂歌かなにかでしょうか?

なお第1曲目、ベートゲの原詩では上の訳のように胸をさわるのは「あなた」ですが、ロシア語訳では「わたし」に変わっています。というのは原詩(古事記にある大元の日本の詩も)は女性の立場で詠まれているのですが、ショスタコーヴィチ作品で歌うのはテノールですから、どっちにしても胸を触っているのは男の方になるんですね(つまらぬところに感心)。そしてロシア語詞では八千矛の神という表現もなく、ひたすら男女の愛が表現されているようです。

ところがこのあとの3曲、これは現在までの研究でも元歌がよく分かっていないのだそうです。もしかするとショスタコーヴィチ自身が自らの思いを詩にしたためて、それに曲を付けたのかも知れないとさえ言われています。まあ確かにこのほの暗くも激しいパッション、日本の和歌に詠まれるような心情からは程遠い感じもしなくはありません。相当深刻な三角関係だった(というよりもショスタコーヴィチの二股だったようですが)ことが窺い知れます。

こちらは仕方がないのでロシア語から(英訳の助けも借りながら)訳してみましたが、間違いがあればご容赦ください。またロシア語の訳者も含め不詳ということでしたのでこれらはロシア語の原詩を掲載させていただこうと思います。

彼の強烈な個性が出る前の作品である上に、ロシア語の歌えるテノールの独唱に管弦楽伴奏が付くというそのスタイルの故か、あまり演奏されることも多くないようですが、ロジェストヴェンスキー指揮のソヴィエト文化省交響楽団をバックにテノールのマーンスレニコフ(ユダヤの民族詩の初演者のひとり)が歌った録音が、叙情的な声とドラマティックな表現でこの曲が持っているものを見事に表現しているのではないかと思います。この難解な歌曲をとても美しく聴かせてくれます。
もう少しドラマティックに歌われているのでは、ウラディミール・カサチュクの歌にユーロフスキー/ケルン放送交響楽団(Cappritio)のものを。
これは謎に満ちた後半の3曲に味わいがあります。
のちに作曲者自身がのちにピアノ伴奏に編曲しなおした版は、Delosの全集で聴くことができます。がやはりこの曲はオリジナルの管弦楽伴奏の方が映えるように私は思いました。

(2006.03.19 藤井宏行)

先日入手したメキシコの作曲家、マニュエル・ポンセの歌曲集に、インドの大詩人、ラヴィンドラナート・タゴールの詩による歌曲集というのが入っていたのですが私はそれを見てビックリしました。その第1曲目の「私はあなたの花を摘んでしまった」の詩がこの謎とされている第4曲目とまるで一緒だったからです。そう言われてみればこの後半の3つの詩、なんとなくタゴールの詩っぽい味わいに溢れていますよね。残りの2曲もタゴールの詩なのかも知れません。
調べてみるとこの詩、タゴールの詩集「Gardener」の中に確かにありました。さすがに他の2編を探し出すほどの気力はありませんでしたが、その確認はどなたか情熱のある方にお願いできればと思います。まあ若いショスタコーヴィチにとっては日本もインドも区別のできない東洋の不可思議な国、ってところだったのでしょう。しかし思いがけないところで出くわすものですね。ポンセにタゴールの詩による歌曲集(しかも英語詞)があるというだけでも驚かされたのに、です。ポンセの歌曲集もとても興味深いのでこれはまた改めて紹介します。とりあえずタゴールの詩をこちらに...


  I plucked your flower,O world!
  I pressed it to my heart and the thorn pricked.
  When the day waned and it darkened,
  I found that the flower had faded,
  but the pain remained.

  More flowers will come to you
  with perfume and pride O world!
  But my time of flower gathering is over,
  and through the dark night
  I have not my rose,but the pain remains.

( 2006.07.15 藤井宏行 )