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Krasnyj Sarafan    
 
赤いサラファン  
    

詩: ツィガーノフ (Nikolay Tsyganov,1797-1832) ロシア
      Красный сарафан

曲: ヴァルラーモフ (Alexander Varlamov,1801-1848) ロシア   歌詞言語: ロシア語


“Ne shej ty mne,matushka,
krasnyj sarafan,
ne vkhodi,rodimaja,
popustu v izjan.

Rano moju kosynku
na dve raspletat,
prikazhi mne rusuju
v lentu ubirat!

Pushchaj ne pokrytaja
shelkovoj fatoj
ochi molodeckije
Radujet soboj!

To li zhitje devichje,
chtob jego menjat,
toropitsja zamuzhem
okhat da vzdykhat?

Zolotaja voljushka
mne milej vsego.
Ne khochu ja s voljushkoj
v svete nichego!”



“Ditja mojo,ditjatko,
dochka milaja!
Golovka pobednaja,
nerazumnaja!

Ne vek tebe ptashechkoj
zvonko raspevat',
legkokryloj babochkoj
po cvetam porkhat'.

Zableknut na shchechen'kakh
makovy cvety,
priskuchat zabavushki,
stoskujesh'sja ty!

A my i pri starosti
sebja veselim,
mladost' vspominajuchi,
na detej gljadim!

I ja molodeshen'ka
byla takova,
i mne te zhe v devushkakh
pelisja slova.”

わたしには縫わないで、おかあさん
赤いサラファンを
手間をかけないで
そんな無駄なことに

まだ早いの、この髪をほどき
二本に編み分けるのは
私の茶色の髪には
リボンをかざらせてちょうだい

絹のヴェールを
かぶったりせずに
男の子の目を
ひきつけたいの

乙女の暮らしは素敵だから
それを諦めるなんてイヤ
あわてて結婚をして
後で溜息するなんて

黄金の自由が
私にはなにより大事
この世の何とも私
取りかえるわけにはいかないわ



私の子、愛しい子 
わが娘よ!
なんて浅はかなこと
無分別なこと

お前は一生小鳥のように
歌って過ごすわけにはいかないよ
かろやかな羽の蝶のように
花をとびまわることも

色あせるのさ、頬に咲いた
けしの花も
楽しい遊びも退屈になり
お前は憂鬱になるのさ

でも年寄りには別の
楽しみがあるのさ
若い頃を思い出しながら
子供たちを眺めるということ

若かったときの私も
そうだったよ
お前と同じ歌を
歌ったものだった


津川主一の付けた日本語詞「赤いサラファン縫うてみても 楽しいあの日は帰りゃせぬ」という歌詞で広く知られた、多くの楽譜や録音でロシア民謡とされている曲です。でも実はこの曲グリンカと同世代の作曲家アレクサンドル・ワルラーモフ(1801-1848)の手になるれっきとした歌曲なのです。ですから本場もののロシア民謡集などを注意深く見らると、意外とこの曲が入っていないことが多いことに気付かれるのではないでしょうか。1833年に出版されたこの曲は大変ヒットしあらゆる階層で歌われたといわれていますし、作詞のツィガーノフ(1797?-1832)は当時民謡風の詩人としてならした人だそうなので今や民謡のようになってしまっていてもまあ当然といえばいえないこともないのではありますけれど。

翻訳詞で歌われることが多いせいか、この曲もまた原詞の内容はあまり知られることがなくなっています。こうして真面目に訳してみると現代日本でもありそうな母と娘の会話。いい歳をしてもニートで親元での家付き食事つきの娘がちゃらちゃらと遊びに出かけようとするのを母親が叱っている光景を連想してしまいました。
とはいいつつもまだ貧しい農民たちが多かった当時のロシア、ここで自由への憧れを歌っている娘はきっとまだ10代も半ばくらいであったのでしょう。縫われている赤いサラファンは婚礼の衣装、そして当時の娘は1本のお下げを婚礼のときに2本に編み上たりヴェールで髪を覆う習慣があったのだそうですから、まだ結婚など考えたくない年齢の娘が早く嫁に行け、と言われている歌。今のように女性にさまざまな生き方の選択肢が多くなかった時代ですからより切実な会話です。
(詞の訳を含めこの項を書くに当たって大いに参考にさせていただいた「マーシャは川を渡れない」(伊東一郎著・ユーラシアブックレット)によれば、これは昔の婚礼歌のスタイルで書かれているのではないかということでした)

津川訳では母親の独白になっていてこれはこれで老いの哀しみの味わいがありましたが、やはりここはオリジナルで聴くとこの曲の良さがより一層わかるように私は思います。娘のせりふの部分は津川訳でいうと「赤いサラファン縫うてみても 楽しいあの日は帰りゃせぬ」の明るく可愛らしい冒頭の旋律をずっと繰り返してこの5節を歌います。そしてそれに答える母のせりふは短調に変わっての悲しげなメロディ。そんな幸せは一生続かないという諦観を歌うのにこれほどピッタリなものはないでしょう。母の「でも別の楽しみが」の部分は津川訳でいうと「笑ろたりしないでかあさんの」の再び旋律が明るくなる部分、そして自分の娘時代を思い出す最後の節の旋律は冒頭に娘が繰り返し歌っていたのと同じもの。どうです、こちらの方が粋だと思いませんでしょうか?

もっとも、日本でも津川訳以外にもいろいろな方が詞を付けておりけっこういろいろなシチュエーションが楽しめます。原詞に一番近い訳は堀内敬三の付けたもののようですが、こちらは例によって著作権が生きているので載せられませんので皆様でお探しください。中でも私が好きなのはこの詞、おそらくこの曲が日本に紹介された最初期に作られたものだと思いますが、こちらは娘の方の独白になっています。そしてお嫁に行く日を指折り数えているというオリジナルとは全く逆のシチュエーションですがなんとも暖かい感じがしませんでしょうか。


   赤いサラファン縫う時は
   囲炉裏に静かに火が燃える
   外では雪も降るような
   母さん一人で縫っている
   白い窓にも火が映り
   母さん一人起きている

   私の着物赤い色
   お嫁に行く日を待っている
   指折り数えて夢みてる
   母さん私をいとしんで
   昨日も今日も囲炉裏辺で
   私のサラファン縫っている
   私の幸い願いつつ
   願いつつ

     (大正2年頃 詞:山崎義一)

面白いのはこの詞でも、堀内詞でもまた津川詞でも娘の歌った部分は繰り返されずに1回しか使われていないことです。保守的なおじさんたちは娘の勝手な言い分を長々と読み込んで描写することに耐えられなかったのかな?というのは穿ちすぎですが、原曲のようにこれを延々と繰り返すことでこの青春の喜びのメロディが耳に残るからこそ、母親の歌でそれが打ち消され、そしてまた最後の部分で再び現れることの意味合いがよく分かることを思うと、こんなにつづめてしまうのは私にはちょっと疑問の処理に思えます。

珍しいところでは昨年CD復刻された「コロムビア・アワー・歌声喫茶の頃」というCDに昭和初め〜30年代に活躍した歌謡曲作詞の大家・門田ゆたかの手になるものが収録されていますがこれは凄い。「儚(はかな)い春を 惜しまねば 嘆きは長い 秋の夜...」と七五調の見事な流行歌に化けています。古関裕而の編曲による、コーラスから古賀政男ゆかりの明大マンドリンクラブまで起用したたいへんゴージャスなサウンド。そして歌うは当時の大人気ラジオドラマ「君の名は」の主題歌を歌っていた歌手・織井茂子。今は絶滅してしまった「遥か別世界」のロシア民謡が堪能できます。このCD、彼女の歌う「トロイカ」や伊藤久男の歌う「バイカル湖のほとり」なんかも聴けて、いわゆる「ロシア的」なものとはまるで違う濃密さがたまりません。
オリジナルのスタイルでのロシアン・ロマンス版は探し方が悪いのか、ロシアのソプラノ、ゴルチャコーワの歌ったものしか見つけることができませんでしたが、可愛らしいピアノの前奏や間奏との掛け合いで素朴に歌われ、グリリョフやドゥビュクなど他のロシア18世紀の歌曲に混じってなかなか魅力的な音楽でした。

( 2006.01.07 藤井宏行 )


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