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Mein Lied ertönt   Op.55-1  
  Zigeunermelodien (Cigánské melodie)
おれの歌が響き出す  
     ジプシーのメロディー

詩: ヘイドゥク (Adolf Heyduk (1835 - 1923),1835-1923) チェコ
    Cigánské melodie 40 Má píseň vroucně láskou zní

曲: ドヴォルザーク (Antonín Leopold Dvořák,1841-1904) チェコ   歌詞言語: ドイツ語/チェコ語


Mein Lied ertönt,ein Liebespsalm,
Beginnt der Tag zu sinken,
Und wenn das Moos,der welke Halm
Tauperlen heimlich trinken.

Mein Lied ertönt voll Wanderlust,
In grünen Waldeshallen,
Und auf der Puszta weitem Plan
Lass frohen Sang ich schallen.

Mein Lied ertönt voll Liebe auch,
Wenn Heidestürme toben;
Wenn sich zum letzten Lebenshauch
Des Bruders Brust gehoben.





Má píseň zas mi láskou zní,
když starý den umirá,
a chudý mech kdy na šat svůj
si tajně perle sbíra.

Má píseň v kraj tak toužně zní,
když svetem noha bloudí;
jen rodné pusty dálinou
zpěv volně z ňader proudí.

Má píseň hlučně láskou zní,
když bouře běží plání;
když těším se,že bídy prost
dlí bratr v umírání.


おれの歌が、愛の賛歌が響き出すのは、
日が沈み始めるころ、
それから苔やしおれた茎が
露の珠をひっそりと吸うころ。

おれの歌は流浪の喜び一杯に響き出す、
緑の森の広間で。
そしてプスタの広大な広場に
おれの陽気な歌を響かせるのさ。

おれの歌は愛にもあふれて響き出す、
荒野に嵐が吹き荒れるときに、
最期の命の息を吸おうと
兄の胸がふくらんだときに。

  (フランツ・ペーター訳)



わが歌は再び愛を響かせる
古い日が死に絶えたとき
しなびた苔が 自らに纏わせようと
ひそやかに露を集めているときには

わが歌はあまねく憧れを響かせる
世界をこの足で歩き回るときには
だが故郷のプスタにあれば
歌声はわが胸より豊かにあふれ出る

わが歌は高らかに愛を響かせる
嵐が平原を駆け抜けるとき
われが見送るときに、貧しさより逃れ
兄弟たちが死に行くのを

  (チェコ語詞より藤井訳)

チェコ国民楽派の巨人アントニーン・ドヴォルジャーク(またはドヴォジャーク)が39歳の1880年に、ヘイドゥクAdolf Heyduk(1835.6.6-1923.2.6)の詩に作曲した7曲からなる「ジプシーのメロディー(Zigeunermelodien)Op. 55」の第1曲。ボヘミア生まれのヴィーンのテノール歌手グスタフ・ヴァルターGustav Walter(1834.2.11-1910.1.31)に献呈されている。「わが母の教え給いし歌」として知られる第4曲があまりにも有名なわりに曲集中の他の曲は案外知られていないが、全曲ともに優れた魅力的な作品である。
インド西北部発祥と言われるジプシー(ロマ)は流浪の旅を続ける中で独自の音楽を生み出していった。リストやブラームスなども関心を持ったようにジプシーと音楽は切り離すことが出来ない。
第1曲はジプシーの生活に欠かせない歌への賛歌である。露の光る朝だろうが、日が沈む夕暮れ時だろうが、森の中だろうが、広大な平原だろうが、嵐が吹き荒れる時だろうが、身内が死の床に就いている時だろうが、ジプシーは愛を歌うのである。ピアノ右手の3度音程のトレモロが民族楽器を暗示し、激しい情熱をほとばしらせた熱い音楽が聴き手を引き込む。だがただ熱いだけではなく、静かに抑えた箇所と情熱を迸らせる箇所の対比がお互いを引き立てている。歌声部は山型の3連音が特徴的で粘るように歌われる。激しいピアノの響きと情熱的だが哀愁を帯びた歌の旋律が歌曲集全体の性格を象徴している。なお第2節の「プスタ」とはハンガリーの大平原を指す。

シュライアーPeter Schreier(T)の十八番でドゥンケルRudolf Dunckel(D.SCHALLPLATTEN : 1968年3〜4月)、ヴェルバErik Werba(ORFEO : 1979年8月)、ラプシャンスキーMarián Lapšanský(CAPRICCIO : 1983年)といった異なるピアニストとの3種類の録音が聴ける。シュライアーはヘイドゥクの書いたドイツ語詞ではなく、曲集全体をBronislav Wellekの独訳で歌っている。もともとチェコ語の詩人であったヘイドゥクのドイツ語詞に物足りなかったということだろうか。演奏はどれも清冽な声で真っ直ぐに歌い上げ、声の表現力で勝負している。私は最初のドゥンケルとの演奏がピアノも含めて艶っぽさと若々しさに溢れていて最も好きだ。このWellekによる歌詞で歌われているケースはシュライアーに限らず多いようである。
シュライアー以外は殆ど女声に独占されている感がある。
ファスベンダーBrigitte Fassbaender(MS)&エンゲルKarl Engel(EMI CLASSICS : 1973年9月)は野生味あふれる彼女の歌がこの作品の性格にぴったり一致しており、エンゲルの腕の冴えも見事だ。
オッターAnne Sofie von Otter&フォシュベリBengt Forsberg(DG : 1998年2月)は上手さで聴かせる。
鮫島有美子(S)&ドイチュHelmut Deutsch(DENON:1989年6〜7月)は湿って重い彼女の声がなかなかいい味を出している。ドイチュは作品の性格をとらえながらも知的な解釈を聴かせる。なお、彼女はヘイドゥクの独訳の方で歌っているが、その意図はライナーノートに詳しい。また対訳も彼女自身の手になるものである。
ユリア・ハマリJulia Hamari(A)がフーベルト・ギーゼンHubert Giesenと組んだ珍しい録音(PALETTE : 1968年)は、バッハ歌いのハマリと堅実なギーゼンによるギャップのある演奏が面白い。(2005.09.18 フランツ・ペーター 2009.09.18改定)



ドヴォルザークの歌曲の中ではもっとも親しまれているのがこのOp.55、7曲からなる「ジプシーの歌」でしょうか。
もともとはチェコの抒情詩人アドルフ・ヘイドゥクの書いたチェコ語の詩(ネット上で原詩を見つけましたが59篇からなる大きな詩集でした)を大元として、そこから選び出された7篇の詩のドイツ語訳にドボルザークがメロディをつけたものでした。ドイツ語への翻訳はヘイドゥク自らが携わったということですが、ロシア語に非常に良く似たスラブ語圏のチェコ語と、ゲルマン系のドイツ語では同じ意味の言葉でも語感がまるで違ってしまいます。それもあって詩としての音の響きをヘイドゥクは最も重視したのでしょうか。チェコ語の詩の内容と、ドイツ語で歌われている内容がかなり違っているのです。
作曲の翌年1881年にはチェコ語でも歌える第2版が出て、現在でもチェコ語で歌われることもよくありますので、ここはひとつ両者がどのように違うのかを見てみることにしましょう。
また話をややこしくしているのは、前の記事でフランツさんも言及されていますが、ヘイドゥクの訳したドヴォルザークが曲をつけたオリジナルがドイツ語詩としてあまり出来が良くないということ(私は必ずしもそうは思いませんが)で、歌手によっては大元のチェコ語詩から独自にドイツ語の詞を訳し直したもので歌うというケースがけっこうあるということです。
第1曲目はそれほどの差異はないのですが、申し上げました通りチェコ語の原詩とドイツ語の作曲時オリジナルとでもかなり詩の中身のニュアンスが異なっていることもあり、これらのドイツ語歌詞同士でもかなり内容が違ってしまっています。ここではそんなわけで大元のヘイドゥクのものだけに限って見ていきたいと思います。

チェコ語とドイツ語の歌詞を見比べて頂くと、チェコ語の方が単語の長さが短いのに気付かれるかと思います。結果的に日本語に訳したときも、チェコ語バージョンの方がシンプルな言葉が並びます。
これは思うに、ドイツ語が母語でない詩人のヘイドゥクが、韻律を踏むと言う制約の中ではシンプルなドイツ語の単語を自由には選べなかったということが効いてきているのでしょう。

チェコ語の方はそのシンプルさが災いして、私では全く意味が取れなかったところがいくつもありました。特に最後のところは単語を拾って無理やり繋ぎ合わせているような感じですのでご注意ください。
チェコ語からきちんと訳したと考えられる日本語や英語のソースをまだ見つけられていないものですから、誤訳・珍訳はどうかご容赦ください。ちなみにこの詩は原詩集では40番目、それと興味深いのは原詩ではプスタ云々と歌っている第2スタンザがないばかりでなく、いくつかの言葉がチェコ語で歌われている詩と違っていることです。恐らくチェコ語の歌詞をつける際にメロディに合うよう更に詩人の手が入ったということでしょうか。興味深いところなので大元の詩も下に載せておきます。意味も微妙に違ってはいるようですがこちらの訳はご勘弁を。

Má píseň vroucně láskou zní,
když tklivě den umírá,
a mech chudobný ozdobou
skvost rosných perel sbírá.

Má píseň vroucně láskou zní,
když bouře běží plání;
když těším se,že bídy prost
dlí bratr v umírání. -

(2009.09.18 藤井)

( 2009.09.18 フランツ・ペーター/藤井宏行 )


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